「ひとまずチャイムを」

 彼女は言いかけた言葉を飲み込んだ。ちょうど木々の隙間から家の外観が現れ始めた頃、タイミングよく壇らしき人物が出てくるのが見えたからだ。

 そのまま壇はこちらに向かって歩いてきた。俺たちはその場で立ち止まり待ち構えていると、壇の視線がこちらに向いてわずかだが進むのを躊躇したように見えた。

「あの、壇く……」
「言わないよ」

 通りすぎざまに一言だけ低い声を残した。

 彼女の言葉は食い気味に消され、壇は風のごとく去っていく。さすがの彼女も呆気にとられていた。

「もしかして話終わり?」

 言わないよ。その意味は俺にはまるで分からない。

 でも桜井月には伝わったようだ。

 壇のセリフに驚いたような顔を見せたあと、少しムッと頬を膨らませた。それから大きなため息をつき、力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。

「もう話しかけてくんなって感じだったよね」
「俺にはそう見えたけど」

 早く帰りたいという気持ちが先行し、適当に返事をしながら壇とは反対方向へ歩き始めようとする。

 しかし両膝の上で頬杖をつきながら、遠のく後ろ姿を目で追う彼女は動こうとしない。ちらちらと確認しながら、めんどくさい、とこっちがため息をつきたくなった。