無人島でぼくたちは


「歌手になるって言ったら、これは私の夢なのかな」
「なんで俺に聞くんだよ」

 物音がする奥から途切れ途切れに聞こえてくる会話に驚く。

 熊くんと肩をぴったりくっつけ壁に寄りかかりながら、バレないかとひやひやする。

「ピアノはお母さんが習わせてくれた。歌も好き。それだけで私になれるのかな」

 ナオミは私にも語ったことのない夢を海くんに聞かせていた。

「なれるか分かんないから夢って言うんじゃないの? だからみんな夢を叶えようと必死で努力するんだよ」

 説得力のある言葉を聞いて、そっか、と静かに口にする。

 最初の相談相手が自分でなかったことにちょっぴり寂しさを覚えながら、その相手が海くんだったことに少しだけ嫉妬した。

 ふたりは並んで帰っていく。

 膝を抱えてうずくまる私の心はざわざわと違和感を覚えていた。


 日が暮れて海くんたちの家に集まった。

 大きなクリスマスツリーと煌びやかな装飾に囲まれる。

「メリークリスマース!」

 七面鳥を中心に並ぶ豪勢な料理を前にして、私たちはノンアルコールのシャンパンで乾杯した。

 クリスマスソングを流し出すマリアさんがキッチンの方で楽しそうに小躍りをする様子が見え、思わず笑みがこぼれた。

 チキンを頬張りながら、ちらりとナオミに視線を向ける。

 改めて凹凸のある美しい横顔を見たらついつい見惚れてしまう。

「ん?」

 あまりにも見過ぎていたのか、グラスを片手に向いた顔がやっぱり綺麗で、なんだか悔しかった。

「ナチュラル美人……羨ましい」

 私はいじけるように口にしていた。

「そういえば、海いないね」

 ふと部屋を見回しながら言うナオミの言葉に固まる。

 やっぱり海くんが好きなんだ。

 ビーチで見た光景を思い出し、疑惑が確信に変わっていく。無意識に探してしまうのは、好意を寄せているからだ。



 それにしても本当に見当たらない。

 さっきまでみんなとツリーの近くにいたはずなのにとキョロキョロしたら、タイミングよく熊くんと目が合った。

「そういえばさっきの」
「海くん見た?」

 近づいてきた彼に聞こうとしたら、声がちょうど重なる。

「あ、ごめん。先にいいよ?」

 少し恥ずかしくなって譲ると、彼は顔を引きつらせ苦笑いを浮かべた。

「月ってさ、海のこと好きだよな」
「え?」

 一気に顔が熱くなるのを感じた。

「いやいや、ないないない」

 慌てて頬を両手で押さえながら、ぶんぶん首を横に振る。

「だって私別れたばっかりだよ? 一ヶ月も経たないうちに新しい誰かとかまさか」

 隣にいるナオミを気にして笑い飛ばしていた。

「え、そうなの? 好きなんだと思ってた」

 しかし彼女から意表をつく言葉を受ける。

 もはや逆に驚いたような顔をされ思考が停止した。



「嫌がらないの?」
「なんで。私が?」
「だってナオミ、海くんのこと好きでしょ?」

 目が点になる、とはこういうことを言うのか。いつも冷静沈着な彼女の間抜け面を見た。

「それ本気で言ってる? 悪いけどタイプじゃない」

 次第になにがおかしかったのか笑い始めた。

「なんだ」

 呟きながらナオミに気持ちがないと知ってホッとしている。

 しばらくして、どうしてホッとしたんだろうと自問自答した。自分でも自分の感情がよく分からなかった。

「海なら外のデッキにいるよ。悩んでるみたいだから励ましてやれば?」

 熊くんは私の肩を持ち体の向きをくるっと変えてくる。

 そのまま軽く背中を押されバタバタと前に進む私は、玄関の前で固まって動揺していた。





 騒がしい声と陽気な音楽が聞こえてくる。

 みんなはクリスマスパーティーの真っ最中だ。俺はひとり、外のウッドデッキに出て夜空を見上げる。今日は特に星が綺麗に見える日だ。

 ウィンドサーフィンを始めて一ヶ月が経とうとしている。

 競泳のためにわりと鍛えてきた方だとは思っていたのに、使わない筋肉を使い全身が悲鳴を上げていた。

「海くん」

 後ろから明るい光に照らされたかと思えば、玄関の扉が開いて月の声がした。

 ぎこちなく近づいてきた彼女は少し離れて隣に座った。

「なにしてるの?」
「マリアがうるさいから出てきた」

 冗談っぽく返すと、小躍りしていた姿が頭に浮かび、くすくすと笑い出す月につられて口元が緩んだ。

「そっちは? 向こう盛り上がってんじゃん」
「えっと、風が気持ちよさそうだなって」

 そういう今日はあまり風がない。

「変なやつ」

 笑って言うと、別にいいじゃん、なんて言って頬をパンパンに膨らませた。




「そうだ、ウィンドサーフィンはどう? 楽しい?」

 こもったようなバックミュージックと夜独特のしんとした空気に包まれる。

「んー、全然上手くいかない」

 彼女の問いかけにどう答えるべきか迷ったが、結局情けない言葉がこぼれていた。

「そんなことないよ」

 必死に励まそうとしてくれたが、なんと言われようと事実は変わらない。

 最初はそんなものだと言われても、周りで軽々とやってのけるのを見たらどうしても負けず嫌いなところが出てしまう。

 気持ちだけが先走っていた。

「ほら、佐伯先生も褒めてたよ。今朝だって凄く上手くいってたし」

 続ける彼女は途端に、はっと口を押さえる。

「今朝?」
「うん、たまたま? コンビニ行くついでにちらっと見かけて」

 恥ずかしそうに俯く。

 苦し紛れのセリフに、ふーんと反応するが俺は知っていた。

 練習していたところはコンビニを通り過ぎないと見えないはずだ。



 たまたま見かけられるわけはなく、きっと気にして様子を見にきてくれたんだろうと察した。

 気が抜けたように笑い、ごろんと寝転がった。

「自分の力、過信してたのかな」

 なんとなく彼女になら弱みを見せられるような気がした。

「周りに追いつくので精一杯だし、波があるからプールともわけ違うしさ。競泳ならそう簡単に負けなかったのにな」

 ずっと心の中だけに秘めてきた気持ちを月になら見せられるような気がした。ありのままでいられる気がした。

 なにかを言おうとしては言葉を飲み込んで悩む月を見た。

「頑張ろ」

 彼女の顔を見たら踏ん切りがつき、心のうちを吐き出せたおかげでスッキリした。

 ふぅっと息をつき、立ち上がる。

「来週の花火大会!」

 先にパーティーへ戻ろうと玄関の扉に手をかけた瞬間、月の声に引き止められた。

「ああ、大晦日の?」
「一緒に行きたい」

 前のめりになってこちらを見上げてきて、あからさまにドキッとした。



 カーテンの隙間から外に漏れ出す光に照らされて、少しだけ月の頬が赤くなっているのが分かる。

 ずっと教室で話題にしていたし楽しみにしているのは知っていたけれど、これはどう受け取るべきだろうか。

「みんなでね! そう、みんなで」

 勘違いしそうになったのに気付いたのか、焦って付け加える彼女が恥ずかしそうに笑う。

「ああ、だよな」

 俺は自意識過剰か。

 一瞬ふたりで行こうと言われているのかと思い、危うく早とちりしておかしな返答をしてしまうところだった。

「ん?」
「ううん、楽しみにしてるよ」

 顔を引きつらせながら何事もなかったように装い、家の中に戻った。



 今年最後の日がやってきた。

 これまで何度も過ごしてきたものとは違い、夏の暑さのまま迎える大晦日は変な感じがする。

 今日もいつも通りの練習を終えてシャワーを浴びたあと、着替えて熊の部屋を覗いた。

「花火って言ったらこっちかな? それともこっち?」
「どっちだっていいわ」

 中からは林太郎と言い合う会話が聞こえてきた。

「もう出るんじゃねえの?」
「服が決まんないんだと。女子か」

 呆れる林太郎は椅子にもたれかかって左右に揺れている。

 指さす先には鏡の前で着せ替え人形と化している熊がいて、あーっと納得した。

「早くしろー」

 月たちを迎えに行く時間はとっくに過ぎていた。

 急かしてみるがまだまだ終わりそうにもなく、仕方なしに熊の部屋で座り込んだ。