連休に入ると、桜はシャント埋め込みの手術を受けた。血液透析では、大量の血液を循環させなければならない。その流量を保持するため、腕の動脈と静脈を縫い合わせ、シャントと呼ばれる太い血管を作る。手術自体は二時間程で終わるものと聞いて、文也は安堵した。
 しかし手術二日後の平日、桜は文也に学校を休むと連絡した。起床時から血圧が高く、体調が悪いらしい。手術の合併症とは限らないが、大事を取って休むと言った。文也も、無理をして学校に来るよりもその方がずっと良いと返した。
 桜のいない学校は、つまらなかった。
 教室は違っていても、朝、一緒に登校するだけで心が弾む。校内で見かけて立ち話をすると嬉しくなる。放課後に下校しながらふざけ合うのが楽しい。
 それら全てが存在しないとなれば、学校に関する時間はただただ退屈を極める。進級できないと困るから、授業こそは居眠りせずに受けるものの、灰色の退屈は景色さえモノクロに見せてしまう。
 そんな文也に、虎太郎は相変わらず話しかけた。あの日から毎日弁当を持ってきて、席で一緒に食べる。お喋りな彼は今も部活の話を語り、文也はただ曖昧な相槌を打つ。
 彼の話がひと段落した頃、弁当を食べながら鞄に手を突っ込み、文也はスマートフォンをチェックした。ボタンを押すと、一件の通知が画面に表示される。桜だ。リンクを立ち上げて、彼女からのメッセージを確認する。
 saku:さっきまで寝てた。ふーは居眠りしてない?
 桜は機械を触れるほどに元気なようだ。一安心し、文也も文字を打つ。
 ふー:してないよ。けど午後はわからん。
 saku:起きなよー。赤点とっても知らないぞー。
 すぐさま桜からメッセージが返ってくる。離れているのに、こうして繋がり合って軽口を叩けることに、幸せな気持ちになる。
「それ誰? 彼女?」
 唐突な台詞に、はっと顔を上げた。画面を覗き込む虎太郎が、不思議そうな顔をしている。
「彼女じゃねえし。ていうか見んなよ」
「ごめんごめん。なんかにやにやしてて嬉しそうだから、気になって」
 桜とやり取りできる喜びが漏れていたらしい。文也は慌てて仏頂面を取り戻す。「そんな嫌そうな顔しなくても」と虎太郎はブロッコリーを食みながら楽しそうだ。
「あの、いつも一緒にいる女の子? 彼女じゃなかったんだ」
「幼馴染だよ」
「いいなあ。仲の良い幼馴染がいるって」
 文也と桜が一緒にいる光景は、既に多くの生徒に認識されていた。周囲の雑音など気にしない文也は、ただ桜がどう思うかだけが心配だった。桜は最初こそ恥ずかしそうだったが、クラスメイトが自分の身体の事情を知り、文也といる姿をからかわないことを知ると、特に何も言わなくなった。だが、虎太郎のようにその事情を知らない生徒は、ただの彼氏彼女の関係だと思っているらしい。
「身体が弱いから、送り迎えしてるんだよ」
「なるほど。オレてっきり付き合ってるのかと思ってた」
 そうなればいいのに。文也は心中で思う。
「背が小さくて、色白の可愛い子だよな。そりゃあ守りたくもなるわ」
「知ってるのか」
「知ってるっていうか。何度か一緒にいるのを見かけただけだけど。可愛い子だなーって思ったよ」
 こんなところに桜を狙う相手がいただなんて。そうだ、天方桜は可愛い女の子だ。油断していた。
「なんだよ、そんな顔すんなってば」
「おまえ、まさか」
「違うって。可愛いって思っただけだよ。付き合いたいとかじゃないって」
 そうして否定されるのもなんとなく心外だが、かといって桜を他人にとられるのなんて論外だ。
「文也は、あの子が相当好きなんだな」
「そうだよ」
「なるほどなあ。幼馴染に片思いとか、意外と青春してんだなあ」
 片思い、という単語がいやにぐさっと刺さる。だがそれは、どうしよもない真実だ。いつまでたっても、桜がОKしてくれないのだから。
 ぶすっとむくれる文也を他所に、虎太郎はけらけらと笑っていた。