やがて、両手に収まるほどの缶が一つだけ出てきた。側面にイラストが描かれたクッキーの缶。
「フミ……」
 颯介の声に、一度だけ頷く。
「これだ」
 ムギも吠えるのを止め、全員が集まる。「ほんまに出てきた……」と夏澄が驚きの声を零した。これが確かに、桜と文也が八年前に埋めたタイムカプセル。
「文也くん、ここで開ける?」薫子が尋ね、文也はもう一度頷いた。
 指でなぞり、少しだけ土を落として缶の蓋に手をかける。固く閉ざされたそれはなかなか開かない。僅かずつ隙間をつくり、ゆっくりと開く。
 中には水色の封筒が二枚入っていた。
 薄い封筒を一枚取り出す。右下には「つきしろふみや」と書いてある。
「文也が、自分に書いた手紙だ」
「中、なんて書いてあるの」
 虎太郎と葉澄が身を乗り出す。手の土をシャツで拭うと、そっと封筒を開け、中から一枚の便箋を取り出した。
「……おとなのぼくへ。ぼくは、さくちゃんと、いまもなかよしですか」
 文也は手紙を声に出して読む。それは、いつまでも桜と仲良しでいたいという、幼い自分の願いだった。
「ぼくは、さくちゃんがだいすきです。だから、おとなのぼくも、さくちゃんをだいじにしてください」
 幼い文也は、心の底から桜を愛していた。いつまでも一緒にいるのだと信じてやまなかった。身体の弱い桜を大切にして、明日も明後日も来年も十年後も百年後も、いつまでだって隣に居られるものだと思っていた。
 明日には桜との別れが待っているのだとも知らずに。
「ぼくはもう、おとなだとおもいます。だから、さくちゃんとけっこんしてください。ずっとずっと、さくちゃんといっしょにいたいです」
 たどたどしい字で書かれた手紙には、最初から最後まで「さくちゃん」が綴られていた。
「子どものフミも、桜ちゃんが大好きだったんだな」
 颯介が呟き、皆が頷く。文也は手紙を畳んで封筒にしまい、箱に戻した。残るのは、もう一枚の封筒。
「桜、開けてもいいか」
 口に出して尋ね、ポケットからスマートフォンを取り出し、地面に置いた缶の蓋の上に乗せる。全員が固唾を飲んで見守る中、「いいよ」と桜から返事があった。
 saku:ふーに、見て欲しい。
 わかったと返事をして、文也は手を伸ばした。疲労か緊張のせいか、指先が震えているのに気づき、一度強くこぶしに固める。覚悟を決めて手を開き、その右手で封筒を取り出した。
 封筒は少しだけ膨れていた。入っているのは手紙だけではないらしい。下の方には、「しいなさくら」の名前。
 封筒を傾けると、手のひらに小さな箱が転がり出た。それを一度缶の中に入れ、手紙を取り出す。
 拙いが丁寧な桜の文字。わたしへ、から始まっていた。
「わたしは、おとなになれていますか。びょうきは、なおっていますか。ふーちゃんに、またあえましたか」
 桜は自分が大人になるまで生きられない可能性を理解していた。それは、この頃も同じだったようだ。
「このてがみをみつけたのは、ふーちゃんとまたあえたからだと、おもいます。いまも、なかよしですか。けんかは、してないですか」
 自分の声が、桜の声と被って聞こえる。
「わたしは、ふーちゃんが、だいすきです。だから、さよならしたくないです」
 私のこと、忘れないでね。そう言った桜は、心から文也を愛していた。
「もしおとなになれてたら、ふーちゃんとけっこんしてください。ずっと、いっしょにいたいです」
 手紙の見せ合いなどしていない。けれど同じ内容を、かつての二人は手紙に書いている。
「ちゃんと、ごめんなさいしてね。みらいのわたし、げんきでね」
 声が震え、文也の声は掠れて消える。桜は大人になれなかった。二十歳まで生きられなかった。必死に涙を堪える。
「……桜」それでも今、隣にいる。彼女は同じ手紙を読んでいる。腕で目元をぬぐい、文也は問いかけた。「ごめんなさいって、なんのことだよ……」
 正面に置いている画面が点灯し、文字が並ぶ。
 saku:嘘ついてて、ごめんなさい。
「嘘って、なにが……」
 saku:その箱、開けて。
 手紙を入れた封筒を缶に戻し、代わりに小さな箱を手に出した。おもちゃの箱には、鍵穴がある。
 はっとして、文也はスマートフォンから桜のお守りを外した。桜貝がきらきらと光るお守りには、鍵が結び付いている。
 何の鍵なのか聞いたことがあった。しかし彼女はアクセサリーだよと言っていたから、あまり深く考えたことはなかった。
 桜が肌身離さず大事に持っていた鍵を、鍵穴にさす。カチリと小さな音が聞こえた。そっと箱を開ける。
 胸に熱いものがこみ上げて、文也は何も言えなかった。
 中には、指輪が入っていた。
 saku:学校で怒られるからだなんて、嘘ついててごめんなさい。
 saku:本当は、絶対に失くしたくなかったからなの。
 誰かが、「この指輪……」と口にする。その声に文也は、「ああ」と呻いた。
「俺が、桜にプロポーズして、指にはめた指輪だよ」
 saku:お父さんに捨てられて、なんとか見つけたけど、また捨てられるかもって思って。でも、ふーに言えなくて、嘘をついてたの。
 雨の降る庭で、桜は指輪を探していた。父親に捨てられた大事な指輪を探し、病弱な身体も顧みず、涙を隠して探していた。

 かえって。ふーちゃん。

 文也に協力を頼むわけにはいかなかった。大好きなふーちゃんからの指輪が見つからなければ。もしそれをふーちゃんに知られたら。そう思うと、文也に助けて欲しいなどと言えるはずがなかった。
 ばかだよ。さくら。それで俺が、さくちゃんを嫌いになるはずがないのに。
 saku:だから、ここに隠せば、結婚するまで守れると思ったの。
 我慢できない嗚咽が、文也の喉から漏れる。目元を汚れた腕で拭い、懸命に桜からの言葉を見つめる。
 saku:大人になって、私がまだ生きていて、ふーと再会できてたら。この指輪を、また指にはめて欲しかった。もう合わないねって、笑いたかった。
 桜は本気で、文也と一緒になりたかったのだ。だからタイムカプセルを提案し、手紙を書き、こっそり指輪を隠した。ふーちゃんとの未来を信じていた。
 桜はこんなにも自分を愛してくれていた。
 熱い涙がぼろぼろと頬を伝う。指輪を強く握りしめる。そんな将来があれば、どんなによかっただろうか。この指輪を桜の指にもう一度はめる未来があれば、どれほど幸せだっただろうか。
 saku:でも、私はまたふーと一緒にここにいる。
 saku:見つけてくれて、ありがとう。
 それでも、桜とさくちゃんは繋がった。優しくて明るくて前向きな少女は、今も隣にいる。求める未来を得られなくても、いつだって全力で咲き誇っている。
 まるで、満開の桜のような女の子。
「桜に会えてよかったよ」文也も涙を拭って笑った。「今まで本当にありがとう」
 saku:ありがとう、ふーちゃん。
 これが桜からの、最後のメッセージ。
 saku:私と、結婚してください。