病院のトイレで制服に着替えて、のろのろと登校した。二時間目から授業に出たが、頭には何一つ入ってこない。数学の公式も、英語の発音も。とにかく不安ではち切れそうで、じっとしているなんて頭がおかしくなってしまう。
「なあ、本当にどうしたの」
 昼時、虎太郎の声に顔を上げた。「どうしたって」文也はとぼけた台詞を返す。
「聞こえてなかった? オレ、何度も話しかけてたんだけど」虎太郎は苛立ちよりも心配そうな表情で、前の席に座っている。
「ごめん。聞いてなかった」
 素直に謝り、取り合えず弁当を鞄から出す。しかし全く食べる気が起きない。むしろ下手に口にすれば、気分の悪さに戻してしまう気さえする。
「めちゃくちゃ疲れてそうだけど。なんかあったの」
 躊躇いつつ自分の弁当に箸をつけながら、控えめに尋ねる虎太郎。抱えることに耐えられず、文也は重い口を開いた。
「桜の容体が、悪くなったんだ……」
 ぽつぽつと今朝のことを話すと、虎太郎は真剣な顔をして話を聞き、最後には「そっかあ」と眉尻を下げた。
「そりゃあ、心配だよな」
 彼も食べる手を止め、考えている。その姿は悲しげだ。
「いいよ、俺のことは放っといて」こんな自分と居るよりも、他の誰かと昼休みを過ごした方が楽しいだろう。彼まで憂鬱な気持ちでいる必要はない。
 文也はそう思ったのだが、「オレも、祈っとくよ」と虎太郎は神妙な面持ちで言った。
「あの子が助かるように、応援するよ」
 虎太郎と桜は、話したことさえないはずだ。桜の方は、彼の名前すら把握していない。
 それでも人の良い虎太郎は、心痛している。その表情はただ相手に合わせているだけ、などとは思えない。文也は黙って頷いた。

 放課後、再び文也は此花病院を訪ねた。
 治療を続けている桜は、まだ予断を許さない状況らしい。面会できないことを謝る律子の疲れ具合に、文也は居たたまれなくなる。
「桜は、絶対に戻ってきます」
 自らを鼓舞するように、文也は言う。
「絶対。絶対に、大丈夫」
 同じ屋根の下で、桜は文字通り命がけで頑張っている。精いっぱい、生きようとしている。彼女を信じるしかないと思う。
 颯介と薫子に知らせると、見舞いに行きたいと二人とも言った。だが二人の高校はそれなりに距離があるし、第一、桜に会うことはできない。桜が病室に戻ったらすぐに連絡するから、その時に見舞いに行こうと文也は説得した。しかし会えなくとも病院に行きたいと彼らが渋るので、明日の放課後に集まろうと約束する。明日は七夕。まさかこんな形での再会になるだなんて。
「桜ちゃんを、信じよう。大丈夫だよ。桜ちゃんはフミの元に必ず帰ってくるから」
 夜になり電話をかけてくれた颯介の言葉に励まされ、文也は眠れない身体を横たえた。