六月中旬の土曜日は、幸い晴れ模様だった。雨が降って湿度が高ければ、きっと身体にも良くない。てるてる坊主でも作るべきかと考えていたが、予報通りに空は青かった。ところどころにぷかぷかと白い雲が浮かんでいる。
 文也は、御浜駅で颯介と薫子と待ち合わせをした。真面目な二人は律儀に午後一時の五分前にはやって来た。
「文也くん、久しぶり」薫子はそうして手を振る。黒く綺麗な髪を背中に流している彼女は、凛々しく知的な顔立ちをしている。初めは文也も近寄りがたく思ったが、彼女は口数は多くなくとも賢く気遣いのできる少女だった。極めて穏やかな物言いには、颯介との相性の良さを感じる。「桜ちゃん、最近会えてないけど、元気にしてるのかな」今は桜の心配をしてくれている。
「外泊出来るぐらいには、元気みたいだよ。一応、先生には許可貰ったって言ってたし」
「そうなんだ。お医者さんが言ってるなら、大丈夫だね」
 彼女も、文也が何度も桜にアタックしては撃沈していたことを知っているから、その想いが遂に実ったという報告に喜んだ。今日のデートについて颯介から提案され、彼女自身も心待ちにしていたそうだ。
 そして三人で桜の家に向かう。各々の学校の話をしながら歩いていると、すぐにマンションが目に入った。
 エレベーターで三階に向かい、角部屋の三〇五号室を目指す。文也も思い返してみれば、彼女が引っ越してから部屋を訪れたことはこれまで一度もなかった。
 部屋番号を確認し、チャイムを押す。少しの間を置いて、はーいと返事があった。
 ドアを開けた桜の母、律子は彼らを見て顔をほころばせた。
「みんな、わざわざありがとう。うちまで来てくれて」
 そんなことを言って恐縮する。文也たちが玄関に入ると、「ちょっと待っててね」と娘を呼びに引き返した。
 すぐに桜が奥から玄関に出てくる。彼女は水色の涼やかなワンピースを身に纏い、白いカーディガンを羽織っていた。それを見て、文也は挨拶もそこそこに歓声を上げる。
「なんだよそれ! すっげえ可愛い!」
 こんにちはーと声をかける颯介と薫子も、「可愛いね」と賛同した。中学時代から桜と仲良しの文也と颯介にとっても、普段の彼女の恰好は制服姿が常だった。もしくは病院でのパジャマ姿だったから、お洒落な私服を着ているのを見る機会はそうそうない。今の桜に、そのワンピースはとてもよく似合っている。
「ありがとう」彼女は恥ずかしそうに笑う。この日を心待ちにしていたことが、外見から窺われた。
「桜ちゃん、今日は行けそう?」
 しかし薫子はそう問いかけた。颯介も付け加える。
「少し顔色悪いみたいだけど、大丈夫?」
「全然平気。大丈夫!」
 桜は元気をみせて明るい声を出す。しかしその顔色は決して良くはない。空元気なのが楽に見て取れる。
「さっきまで寝てただけだよ、問題ないってば」
「もしキツかったら、別日でもいいんだぜ」
「ふーまでそんなこと言う! 私は行けるよ」
 桜の体調は桜にしかわからない。しかし心配で仕方のない文也は、桜の後ろにいる律子に目をやった。彼女は困った顔をしている。
「朝からちょっと貧血気味みたいで、休ませてたんだけど……」
「おかあさん!」
 余計なことを、と言わんばかりに桜が振り向く。だが母親が不安になるのは当然だ。どうすべきかと顔を見合わせる四人に、桜は尚も平気だと言い張った。
「今まで休んでたんだから、ちょっとぐらい何ともないよ。私も本当に駄目そうだったらちゃんと言うから」
 必死に食い下がる桜の姿は、あまりに不憫だ。以前からこの日を楽しみにしていて、普段は出来ないお洒落までして、それなのに体調のせいでみんなと遊びに行けないなんて。
「……そうだ!」
 暗く落ち込む空気の中、薫子が手を打った。
「これを使って行くのはどうかな」
 彼女が軽く触れるのは、三和土にある車椅子。今はきちんと折り畳まれている。
「そうしたら桜ちゃんも、あんまり疲れないで移動できるから」
 その提案に文也と颯介も同意した。だがそれでも桜は不満そうな顔。
「私、自分で歩きたいのに……」
「なあ桜、俺たちも桜がほんとに心配なんだよ。けど、一緒に出かけたいのもほんとなんだ」
 彼女の表情とは裏腹に、文也は車椅子が一つの希望にも思えた。
「俺が帰るまで全部押すからさ。な、そうしようぜ」
「でも私、重いよ……」
「は? 桜が重いわけねえだろ。そんなん気にする必要ねえよ」
「フミもこう言ってるし。坂道知ってるから、筋トレさせてあげようよ」
 颯介の言葉に、桜は思わず笑った。「……ふーのためなら、仕方ないなあ」
「もし体調が変わったら、ちゃんと言ってね」
 薫子の忠告に、「うん」と大きく頷く。「じゃあ、しっかり押してね、ふー」安心した笑顔は、ガーベラのように華やいでいた。