「……どうして、ここに」

「それはこっちのセリフ。どうした?」


 ドクンと、胸が高鳴る。


"それはこっちのセリフだ。どうしたんだよこんなところで"


 あの時のオミと全く同じ言葉に、優恵は一瞬で顔を歪めた。


「ちょっと、ね」

「……そっか」


 優恵の含みのある言い方に頷くしかなかったのは、


「直哉くんは?」


 平日の朝にも関わらず、私服で傘をさす直哉の姿だった。


「俺はこれから定期検診だから病院に行くところ。向こうにある大学病院なんだ」

「そうなんだ」


 頷いた優恵を見て、直哉は徐にその隣に座る。


「……? 病院行くんじゃないの?」

「うん。でもまだ時間あるから。ちょっと疲れたし休憩しようかなって」


 実際は結構ギリギリの時間だったものの、こんなところで一人でいる優恵を放っておくことなどできない。


「……そっか」


 今度は優恵がそう返事をして、一緒に正面の鉛色の空を見上げた。


「……雨ってさ、空が泣いてるみたいに見えない?」


 しとしとと降り続く雨を見ながら、直哉がぽつりと呟く。
それにちらりと視線をやってから、優恵はもう一度正面に戻して雨粒を見つめてみた。


「……そうかな。私、雨はあんまり好きじゃないから考えたこともない」

「そっかー。俺はマスクが蒸れるのは嫌だけど、雨自体は結構好き」

「珍しいね。……でも空が泣いてるみたいだなんて、直哉くんって結構ロマンチストなんだ」

「ははっ、そうかも。入院してる間、ずっと外に出られなくて。窓から景色だけ眺めてたからかな。人一倍憧れはすごいよ」


 太陽の日差しの下を歩いたり、雨の中自分の傘をさして歩いたり。
そんな、みんなが当たり前のように過ごしている日常が羨ましいと思っていた時期もあった。


「昔、大部屋だった時に向かいのベッドの子が泣いちゃったことがあったんだ。ちょうどその時外は雨が降ってて。それで思ったんだよね」

「……空が泣いてる、って?」

「そう。昼過ぎだったのに、夕方じゃないかってほどに暗い日で。なんか向かいの子ともリンクしちゃって、泣いてるように見えたんだ。……それに、よく"止まない雨はない"って言うじゃん」

「うん」

「涙もそれと同じだなって思って。雨はいつか必ず止むし、涙だっていつか必ず止まる。その子が泣き止んだのが雨が止んで虹が出てきた時だったから、余計にそう思ったんだよね」

「……なんか、素敵だね」

「でしょ」


 止まない雨はない。
どんなに悲しいことがあっても、涙は永遠に出続けるわけじゃない。いずか必ず止まる。

 雨がやめば空には虹がかかるし、涙が止まればいずれそこには笑顔が蘇る。

 直哉自身も幼い頃から自分の境遇に散々泣いてきたからだろうか。
そう思うとどことなく似ているような気がして、直哉は雨をどうしても嫌いだと思えない。


「それ以来、雨が降ってる日はもしかしたらどこかで誰かが泣いてるのかもって思うようにしてる」

「誰かが泣いてる……」

「そう。まぁ、この瞬間もどこかで誰かが泣いてるのなんて、ちょっと考えれば当たり前のことなんだけどさ。初心を取り戻すって言うのかな。俺が生きてるのはたくさんの涙が流れたからこそだと思ったら、雨が嫌いじゃなくなった」

「……やっぱりロマンチスト」


 そう呟くと、直哉は嬉しそうに笑う。
その笑顔につられるように、優恵も小さく微笑んだ。

 雨が降ってる日は、どこかで誰かが泣いているかもしれない。


「そうだよね。悲しいのも苦しいのも、私だけじゃないもんね」


 優恵の声は、直哉に届く前に雨音にかき消されてしまっていた。