ふと、何かが頭の中に何かが浮かび上がってきたのだ。
"優恵"
"優恵は大丈夫か"
"俺は優恵を守れたのか"
「……な、んだ? 今の……」
「ん? どうしたの直哉。何か怖い夢でも見た?」
「いや……」
心配そうな母親の声に、いつもなら"子ども扱いするな"と怒りたくなるところだったのに、その日は何故か違った。
"優恵"
何度も優恵という言葉が頭の中を過ぎる。
その度にひどい頭痛がして、直哉はナースコールを押した。
しかし検査をしても、脳に異常は見られない。
「何か声が聞こえた?」
「そう。"優恵"っていう声が」
「誰かの名前かい?」
「わかんない、でも俺は知らない人。聞いたことない」
「そうか……」
主治医はしばらく悩んだ様子だったものの、もしかしたら、と前置きしながら一つの仮説を立ててくれた。
「これは僕はあまり信じていなかったんだが……」
「なに?」
「直哉くんは、"記憶転移"っていう言葉を聞いたことがあるかい?」
それは、初めて聞く単語だった。
「記憶転移? 何それ」
「移植の多い海外では割と知られているかもしれないね。日本でもドラマや漫画になったりしているよ。臓器移植を受けたレシピエント……君のような患者に、臓器と一緒にドナーの記憶や趣味嗜好が移ってしまうという現象が報告されているんだ」
「記憶や趣味嗜好が? 移る? そんなことあるの?」
「僕は信じてないんだけどね。実際にそういう報告があるんだ」
「でも……待って、記憶って、脳に刻まれてるものなんじゃないの? なんで臓器と一緒に移っちゃうの?」
「それはわからない。あくまでもそういう事例があるっていうだけで、それが科学的に解明されたわけではないんだ。ドナーの情報もレシピエントの情報もお互いに開示されない。だから正直、本当に記憶や趣味嗜好が転移しているかどうかは確認のしようもない。それは誰にもわからないんだ」
「そんな……」
「現に、今までそれっぽいことを言っていた患者もいたんだが、気のせいじゃないかってことで済むようなものが多かったんだよ。好きな食べ物が変わったとか、今まで食べられなかったものが食べられるようになったとか。逆に好きだったはずのものが嫌いになったり服の系統の好みが変わったとかね。君のようにそこまではっきりと声が聞こえるとか、何かが浮かんでくるとか。明らかに攻撃的になったりとか目に見えて何かが変わったとか、そんな患者は見たことがなかったから。僕もどうにも信用できなかったんだよ」
「そう、なんだ……」
「でも、直哉くんの話を聞いているともしかしたら、と思ってね」
「……じゃあ、この心臓の元々の持ち主が、"優恵"って人を知っているってことか……」
「あくまでも仮説だけどね。まぁ、都市伝説レベルに考えておいてよ」
頭痛の原因を調べるためにいろいろ検査をしてみたものの、特に何も見つからなかった。
結局そんな都市伝説レベルの記憶転移という言葉と、それに伴うストレスが頭痛の原因なんじゃないかと告げられた。
しかし、そんなの到底納得できるはずはない。
心臓を移植したから持ち主の記憶が移った?本当にそんなことがあり得るのか?
そう思うけれど、
"優恵"
"優恵は無事なのか"
(なんなんだよ……なんなんだよ!)
次第に気を抜けば声が聞こえるようになり、直哉はしばらくそのストレスから逃げるようにベッドの中に潜り込んで塞ぎ込んだ。