「セナ!」



 きっと僕が固まっていたのは数秒。我に返って、慌てて駆け寄った。

 近くで見たら、そこに倒れていたのがセナだということが——現実として僕に突きつけられた。

 何で。なんでなんでなんで。
 どろっとした赤黒い液体が手のひらにつく。錆臭い。

 これは何だ。どう考えても血だ。何でセナから出てくるんだ。ロボットのはずじゃないのか。


「……ほづみ……?」

「喋るなバカ!」

「……はは、本当に穂積だった……助けてよかった」



 どうすればいい?
 どうしたら、救える?

 必死で探すけれど、目の前で倒れているセナの身体のどこにも、そのヒントは見つからない。ああ、中途半端に医療の知識なんんてつけるんじゃなかった。

 だって、これじゃあ、



「…………っ」



 もう、助からない。それが、わかってしまうから。

 いや、まだだ。まだ大丈夫。だって、セナは——




「……穂積」



 セナは何かを呟いている。泣きそうになりながら、耳を近づける。



「だいじょうぶ、だいじょうぶ」



 聞こえた言葉に、ツンと鼻の奥が痛くなる。

 何が、大丈夫なんだよ。

 声が出ない。喉の奥に張り付いてしまったみたいに出てこない。ただひたすらに、嗚咽がこぼれないように我慢するだけしか、できない。



「大丈夫だよ、だってね、わたし、は、機械だから」



 まだ、きみはそんな嘘をつく。

 じわじわと真っ赤な血溜まりを広げながら、荒い呼吸の隙間でそんなわかりきった嘘をつくんだ。



「うそ、つけ」



 ようやく僕が喉から転がした声はガサガサで震えていた。



「大丈夫だよ、穂積。嘘じゃ、ないよ」



 うそだ。

 だって機械から血が出るもんか。

 そんなふうに息が上がるもんか。

 そこまでして、誰かを、庇ったりするもんか————。




「……セナは……本当は、機械じゃ、ないんだろ……?」



 よく笑って、よく怒って、そうして、涙をこぼして泣いて。

 こんなにも、ずっと、ヒントはあったじゃないか。

 彼女が機械なんかじゃないっていう、証拠が。



 ああ、セナ。
 君は、どんな気持ちで、ずっと機械のふりをしていたんだろう——。



「あーあ。バレちゃったかぁ」



 げほ、と湿った咳をしてセナは苦しそうに息をする。



「穂積、よーく聞いてね」



 セナは血まみれになりながら、それでもいつも通りの笑顔で僕に笑いかけて、こう言った。



「わたしはね、穂積のお父さんとお母さんに、命を救われた、ただの人間」

「え……?」

「もう……時間がなさそうだから、詳しくは菅田先生にでも聞いてね」

「ちょっ、セナ」



 もう目の前は涙で見えない。



「ぜんぜん意味わかんないよ、なんでセナが死にそうになってるんだよ」

「わたしはここで死ぬ運命だったんだよ」

「そんな、諦めんなよ!」



 言っただろ、セナ、僕に諦めないでって。



「約束しただろ……、ずっと僕の傍にいるって、一緒に、桜を見ようって」



 だけどセナは、柔らかく笑って、僕に謝るんだ。



「……ごめんね、穂積」

「なんで、なんで——セナが、死ななきゃ……いけないんだよ」



 崩れ落ちるように地面にしゃがみ込んで、ぼろぼろと涙をこぼす僕に、そっと手を伸ばしてくる。



「泣いたら、ダメだよ」

「そんなこと、言ったって」



 しょうがないじゃないか。だって涙が止まらないんだから。



「もー、しょーが、ないなぁ……」



 僕の頬に伸びてくる指。
 いつもセナ特有の温もりを宿していたその指。

 今は血まみれの、冷たい、指。



「穂積は大丈夫だよ」

「……セナがいなくなったら、どうやって生きていけばいいんだよ……」

「生きられるよ。大丈夫」



“だいじょうぶ”



 小さな頃からずっと、セナは同じように僕に言う。



「だってさ、穂積はもう、ひとりじゃないでしょ」



 ごほっと血の塊を吐き出して、それでも、セナは笑っている。



「なんでそんなふうに、笑うんだよ……っ」



 苦しい時は苦しいって、痛い時は痛いって、そう言ってくれよ、セナ。

 だってそれじゃ、諦めているみたいじゃんか。最期くらいは笑っていようって、そう思っているみたいじゃんか。

 そう思いながらも、本当は僕もわかっている。セナは、もう、助からない。



「……穂積」

「セナ……?」

「わたしもね、……ずっと、地獄にいたんだ」



 セナは懸命に言葉をつむぐ。彼女の残り時間は、きっと、あとわずかだ。



「地獄みたいなわたしの人生は、いつ終わりになるんだろうって、ずっとそう思ってた。でもね、そこにね、ある少年が現れたんだ」



 それは。

 ああ、セナ。



「わたしに生きる意味をくれたのは、あなただよ、穂積」

「——……っ」



 もし、そうなのだとしたら。



「僕だって、それは同じだ」



 友達ができたこと。人生というものが、少しだけ、素敵だと思えたこと。

 自分ひとというものの、愛おしさ。

 それを知ることができたのは。



「……全部、セナの、おかげだ」



 セナがいなかったら僕はきっと、今でもずっと、がらんどうのままだった。



「だから……ありがとう、セナ」

「……よかったぁ。わたしも、役に立てたね」



 ホッとしたようにそう呟いたセナの瞳から、つぅと一筋涙が流れる。すぐに赤く染まって地面に吸い込まれていく。



「じゃあ、ね。元気でね、穂積。こっちにすぐ来たら、許さないからね」

「セナ、」



 僕の声をその指で遮ったセナは、ふわりと笑った。



「ありがとう、穂積。だいすきよ」



 セナの瞳が閉じる。指がぱたりと地面に落ちる。





 やさしい春風が、桜の花びらとともに——そっと、セナを、連れていった。