「僕が小学生になりたてだった頃、海外で内戦が起きていたんだ。まだ小さかったからよく知らないんだけど、父さんの知り合いにNPO団体の人がいて、そういう紛争地域や戦争が起こっている地域ではたらいていたらしくて。父さんも母さんも、その団体の理念に強く共感して、その人を手伝ってよく海外に行ってたんだ」
「うん」
セナがゆっくり相槌を打つ。その速度に合わせて呼吸をする。
「でも、」
ごくりと喉が鳴った。僕は、これを認めることができるだろうか。ぎゅうと握りしめたこぶしに、ふわりとセナの手のひらが重なった。ハッとしてセナを見れば、彼女はそっと反対側の手を僕の背中に乗せた。
まるで、大丈夫だよ、とでも言うように、やさしい感触だった。
息を深く吸い込む。大丈夫、僕にはセナがついてる。
決めたんだから。ちゃんと向き合うって。
頭の中を逃げていこうとする言葉に手を伸ばして、散らばらないように握りしめた。そして、一気に吐き出す。
「殺されたんだ」
声が、震えた。セナは僕の背を撫でている手を少し止めて、慌てたみたいにまたそっと置いた。
「……よく、あることなんだ。まだ文明が発達していない地域での医療っていうのは魔法みたいなものだから」
ははっと無理に笑ってみた。だけれども、全然冷や汗がひかない。心臓の鼓動も徐々に嫌に高鳴ってくる。
「僕が10歳になったばかりの頃、その団体が担当する地域で嫌な伝染病が流行った。普通だったら僕は着いてもいけないんだけど、今回ばかりは長期の滞在になるかもしれないからって、父さんと母さんが一緒に行くか聞いてくれたんだ」
僕はその時、小学4年生で、クラスで新しいゲームが流行っていて、父さんと母さんがいなかったら好きなだけゲームできるかもしれないなんて、目先のことだけしか考えていなかった。
小さな頃から医者になるためにたくさんのことをやっていた僕は、自由時間が欲しかった。
クラスメイトがいつも遊んでいたりスポーツをしていたりする時間に、僕は病院でいろんな人から勉強を教えてもらっていた。
もちろん、父さんや母さんに早く追いつくことは自分で望んだことだったから、嫌だったわけじゃない。
それでも、たまには、自由にゲームとかしてみたかったんだ。目の前にぶら下がった自由時間はとても魅力的だった。ただ、それだけだった。
「それだけを理由に僕は海外行きを断った。建前は学校を休みたくないとかなんとか適当に理由をつけた気がする。父さんと母さんも、僕の考えてることなんてお見通しだったと思うけれど、そうだよねと言ってふたりでその地域に向かった」
いつもだったら1ヶ月もあればふたりはその地域の問題を解決して家に戻ってきた。だけれども、その時は違った。
ふたりが滞在して1ヶ月経っても、その伝染病の原因はわからなかった。水だとも、虫だとも、食物だとも考えられた。
「病気ってさ、初めは何も手立てがないんだ。どこに感染しているか、何の機能を狂わせてしまうのか、それがわからないと対処できない」
定期的にテレビ電話で話していたから当時の様子はよく覚えている。小学生の僕にもわかるほど、ふたりは憔悴していた。明るく振る舞ってはいるけれど、日に日に元気がなくなっていった。
『原因がわからないの?』
そう問いかけたら、父さんは少し迷う様子で瞬いた後、『……穂積に隠してもしょうがないな』と言って深くうなづいた。
『母さんがいろんな薬を試してはいるんだけど、全然原因が浮かんでこないんだ』
ふたりが困っているのを見るのは、あの夜以来久しぶりだった。あの夜は僕はまだちっぽけな子どもで何もできなかったけれど、今は多少知識がある。
知ったかぶりをして、こう呟いた。
『解剖してみたら?』
原因がわからないなら、身体の中を見てみたらいい。これは父さんが前に教えてくれたことだ。
だからとっくにやっていると思っていた。
『……そう、だよなぁ』
『え?』
『いや、なんでもないよ。それより穂積、勉強してるのか? ゲームばっかりやってたらダメだぞ』
慌てたように話題を逸らした父さん。僕は特に気にすることもなく、というかゲームという単語に焦って自分の発言を忘れてしまった。
まさか、僕のこの発言が、ふたりの運命を狂わせてしまうなんて——誰が予想できただろう。