セナが目を覚ましてから、数日後。
僕らは、いつも通りの日常を過ごしていた。学校に行って、当たり前にみんなと過ごして、夜はセナと一緒に過ごしていた。
いつまでも先延ばしにはもうできなかった。だから、次、晴れて月がでたら——セナに話そうと思っていた。
カーテンの隙間から窓の外を見る。ようやく、月が僕を優しく照らしてくれる日が訪れた。
「……セナ」
「ん?」
カーテンを閉めながらセナの名前を呼べば、セナは読んでいた雑誌から目を上げてこちらを見た。
ごくりと喉が鳴る。
「こないださ、セナ、言ったじゃん」
「……?」
「……言う前から、諦めないでよって」
「……っ」
「違うよ、責めてるんじゃなくて」
きゅっと手のひらをにぎる。
「今まで、ごめん……聞いて欲しい、ことがある」
僕は向き合わなきゃいけない。
彼らに、彼らとの思い出に。
思い出したくないことだった。
思い出そうとするたびに、頭がひどく傷んだ。ずきんずきんと脈打つ痛みを抑えるために、鎮痛剤を飲んだ。どうにか頭を抱えながら目を瞑って、くらくらと闇に沈んでいくときに、いつだって彼らの面影を見た。その証に、その眠りから覚めた時にはいつだって頬が濡れていた。
「僕の父親が、この病院の医院長だったことは知ってるよね」
「……うん、穂積のお母さん方のおじいちゃんから引き継いだんだよね」
セナが知らないわけない。だって彼女はこの病院でつくられた、医療用のAIだ。
「おじいちゃんが割と若くして亡くなっちゃったから、結婚したばかりで、若いのにそんなポストに就任させられちゃって大変だったってよく母さん相手に言ってたよ」
“母さんが医者だったらなー”
“残念でしたー、わたしは創薬担当だから!”
ふたりの声は、まだ簡単に脳裏に蘇る。一度目を瞑る。10歳の僕がこちらをじっと見つめている。
待っててよ、あの頃の穂積。
今から、お前にちゃんと——向き合うから。
父さんと母さんは僕にはとても優しかったけれど、自分たちにはとても厳しい人だった。
全ての命を救えるわけなんてないのに、いつだって救えなかった命のことを悔いていた。
あれはいつ頃だったろう。小学生になる前か、はたまた、なってすぐの頃か。夜トイレに行きたくなって部屋から出た僕は、たまたま母さんが泣いていて父さんがそれをそっと慰めている場面に出会したことがあった。
リビングにつながるドアからのぞいた先には、僕が今まで見たことのないふたりがいた。
「もう、辛いよ。あの子を見るたびに、苦しくなる。私たちが作り出したことは正解だったの?」
「そう、だな。でも、このプロジェクトは国からの要望だし、やらないわけにはいかなかった。僕らのせいじゃない」
話している内容はわからない。それでも僕の視線はふたりに釘付けだった。
初めて見る母さんの涙。父さんのやりきれない表情。
「あんな……あれしか、方法はなかったのかしら、あれじゃあただの、機械じゃない……」
「それでも、僕らはできることをするしかないし、あれがあの時の最善だったってそう思うしか、ないだろ」
「それは、わかってる……でも、あの子に、この先20歳まで生きられるかもわからない身体をもたせてしまった。なんの罪もない子に——もっと私に知識があったら救えていたかもしれないと思ってしまうの」
その言葉を聞いた時、僕は思わずドアから飛び出していた。
「穂積? 起きてたのか」
「父さん、母さん!」
頭の中には何もなくて、ただ、父さんと母さんを助けたいって、それだけだった。
「あのね! 僕がりっぱなお医者さんになって、それで、ふたりを助けてあげる!」
「穂積、」
「僕ね、せんせいにもほめられるんだよ。穂積くんはかしこいねって」
「……っ」
「ぜったい、お医者さんになって、父さんと母さんを助けるから」
駆け寄った先、ソファに座っていた母さんに抱きついた。
「だから、もう、泣かないで」
ぬくもり。母さんの匂い。
「ほづみ……」
僕は母さんを泣き止ませたくてそう言ったのに、どうしてだろう、母さんは僕の言葉にもっと涙をこぼし始めた。
「母さん、どこか痛いの?」
「ううん、違う、違うよ、穂積」
母さんは泣きながら、僕をぎゅっと抱きしめる。やわらかくて、あたたかい。
嗚咽で声を詰まらせる母さんに、父さんがそっと笑う。
「母さんはね、うれしくて、泣いているんだよ」
「うれしくても、泣くの?」
「そうだよ、ひとは、うれしいときも泣ける唯一の生き物なんだ」
「へえー! 人間って、すごいんだね」
「……そうよ。人間って、すごいの」
「じゃあ、それを助けるお医者さんは、本当にすごいってことだね!」
いつも仕事で忙しかったふたりだけれど、たまに休みがかぶると近所の公園に連れていってくれたり、雨の日には家でギターを弾いて歌ってくれたりした。
父さんは歌がうまかった。かっこいいギターも持っていた。
母さんは僕によくこう言っていた。
「父さんはね、母さんと幼馴染じゃなかったらすっごいアーティストになってたかもしれないのよ」
そんな時、父さんは少し照れたようにそっぽを向いていた。
「またまた。そんなこと言ったって何も出ないからな!」
「えー! 外食しようと思ったのにー!」
父さんの笑い声、母さんのぬくもり、3人でいればいつだって笑い声が絶えない。僕らは確かに、しあわせな家族だった。