気がつけば雨が降り出していた。夕日の柔らかな橙色は姿を消して、僕らを取り囲んでいるのは雨の音だけだった。呼吸の音すら聞こえてしまいそうだった。心臓は妙に落ち着いていた。
目の前のセナはぐっとこぶしを握りしめて、ひたすら何かに耐えるように俯いていた。ちょうど陰になっていて、セナの表情は見えなかった。どこか遠くから救急車のサイレンの音がした。
ああ、悔しいなぁ。
こんなふうになっても、僕は心のどこかでセナにわかって欲しいと思ってしまう。
ううん、違う。
セナだったらわかってくれると——そう、期待してしまうんだ。
乾いた笑いがこぼれる。なんて自分勝手なんだろう。あれだけ酷いことを口にしたんだ。自分勝手な自暴自棄にセナが付き合ってくれるはずもないのに——、
と、その時。
「……穂積の、バカ」
セナがそう呟いて、それと同時にカッと右側の頬が熱くなった。
セナにビンタされたのだと気がついたのは、それから数秒経ってからだった。
「……痛って、何す」
んだよ、という言葉は喉の奥に滑り落ちていった。
「……バカ……」
セナが、泣いていた。
ぼろぼろと大きな涙の雫をこぼして、泣いていた。
呆気に取られた僕は何も言えずにただ自分の頬を抑えることしかできない。
「わかってないのは、穂積の方だよ……っ」
「え……?」
セナは、しゃくりあげながら僕を睨みつけて叫ぶ。
「わたしがどんな思いで穂積と一緒にいるのか、ぜんぜんわかってない!」
セナが、どんな思いで、僕と一緒にいるのか?
そんなの——治療のためじゃ、ないのか?
「穂積はわたしを言い訳にして、目の前のことから逃げてるだけじゃない」
「違っ……」
「誰にも言わないで勝手に自分の殻にこもってるのは、穂積だよ」
セナは泣いている。泣きながら、それでも、まっすぐに僕を見ている。懸命に言葉を伝えてくる。
なんで。お前はAIだろ。
なのに——なんで泣いてるんだ。
「……こうやって声をかけてきたのが、わたしじゃなかったら、……穂積は話したの?」
言葉に詰まる。何も、言い返せない。
「……そうだよね。穂積はきっと、他の誰だったとしても——話さない。古谷くんにはわからないよ。だって僕とは違うから。楸にはわからないよ。だって僕とは違うから。松村くんにはわからないよ。だって僕とは違うから。早瀬にはわからないよ。だって僕とは違うから——って、全員に何かしらの理由をつけて、話さない」
図星だった。
セナの目が、きらりと光る。
そうして、セナは、涙に濡れた声で叫ぶ。
「穂積は——そうやって、自分の選択をずっと誰かのせいにして生きていくの!?」
「——っ」
「そんなの……そんなの、穂積の方がAIみたいじゃない!」
刺さる。頭に、胸に、身体のいたるところに、セナの言葉が刺さる。
そして、僕は抉られる。
友達なんていらない。音楽なんて楽しくない。勉強なんて好きじゃない。恋愛なんて無縁だ。
どうせ失ってしまうのなら。生きていくことに、意味なんて——ない。
そうやって必死で纏っていた薄っぺらい鎧を、セナは、あっという間にひっぺがして——その下の僕に傷をつける。
『……痛い』
痛いな。
『守ってよ、穂積』
守ったよ、懸命にさ。
『足りないよ』
知ってるよ。でも、もう——誤魔化すのは、無理なんだよ。
『……なぁんだ』
10歳の僕が、僕に向かって残念そうに笑った時——
バタン!
「っ」
目の前で、セナが——倒れた。