『        』



 だって僕は。
 僕の、せいで。


 ずきん。



「つぅ」



 痛い。痛い。痛い。

 頭が痛い。



『——頭が、いたい?』

 ああ、痛いさ。

『ほんとうに?』

 ああ、ほんとうさ。

『どうして?』

 僕が、この数ヶ月——音楽を始めてからの月日、まさかキーボードだけしか触っていなかったとでも、本気で思っているのか?

 触ったさ。放置されていたピアノも、ギターも。僕も、みんなみたいに乗り越えたいと思ったから。

 でも、ダメだった。早瀬のギター、父さんと同じギターを僕が弾くと、絶対に頭が痛くなるんだ。前みたいに動けなくなるんだ。だから、ギターをやるのは、それだけは——僕には無理なんだ。



「ごめん」

 もう一度謝った。頭を下げた。めまいがゆっくりと僕の頭を支配し始めた。

 刹那。



「なんでだよ」

「……早瀬?」

「なんで、アンタは、いつもそうなんだよ」



 早瀬が、ベッドの上で上半身を起こそうともがく。慌てて古谷くんが手を貸した。彼女のバイタルは妙に大きく波打っていた。



「ねぇ、句楽」



 早瀬はじっと僕を睨みつける。



「あたしは、小学生の頃、アンタのピアノを聴いて——音楽がすきだって、そう思った」



 右目だけで、僕を、射抜くように睨みつける。



「この意味がわかるか?」

「……何だよ」

「アンタの音楽が、あたしに音楽の楽しさを気づかせたんだ」



 ああ、頭が痛い。イライラする。

 回りくどい言い方に、僕の口調も荒くなる。



「全然意図がつかめないんだけど、」



 言いたいことがあるならはっきり言えよ。

 そう言おうとした。けれども、その言葉は、早瀬の叫ぶ声にかき消された。



「——この道にあたしを引っ張り込んだのはアンタだって言ってんだよ、穂積!」



 昔みたいに早瀬が僕を穂積と呼んで叫んだ内容に、ガンッと何かで頭を殴られたような衝撃が走った。



「今、なんて言った?」



 僕の影響で、早瀬は、音楽を始めたのか?

 てことは、僕がいなければ——早瀬は、あんなふうに苦しむこともなかったっていうのか?



“……あたしの今の音楽じゃ、届かなかった……”



 そう言って泣いた早瀬。親に反対されても、諦めなかった早瀬。



「……ごめん、早瀬」

「なんで謝るんだよ」

「だって、早瀬は僕のせいで、苦しんだんだろ」



 音楽を知らなければ、早瀬はこんなにも苦しむことはなかった。

 この道に僕が彼女を引き込んだということは、早瀬にいらない苦しみを与えたのは、僕だってことになる。



 だから、謝った。

 手に入れなければ、失わなくて済むことだったから、謝った——、



「ふざけんな!」

「っ」

「バカにするなよ! 謝るなよ! あたしの選択は——あたしの、あたしだけの選択だろうが!」

「早瀬、」

「あたしは!」



 早瀬は泣いていた。泣きながら、僕に向かって怒っていた。



「あたしは、オーディションに落ちた! 力が足りなかった! 落ちた時はそりゃ悔しかったし、辛かったし、苦しかった!」

「早瀬、ちょっと落ち着け、」

「止めんな、古谷」



 呼吸が荒くなった早瀬を抑えようとする古谷くん。それを止める楸。彼らは、それぞれ——何かを知っている。早瀬が怒っている理由に気づいている。



「それでもあたしは、音楽が好きだ! 今はできなくても、いつか、きっと——音楽で生きていくって、自分で決めたんだ! だからその苦しさも、次の幸せに変えてやる!」



 苦しさを、幸せに、変える?
 早瀬は、何を言ってるんだ?



「穂積、あたしは、アンタの——アンタのその才能が、羨ましい、欲しくて欲しくて——嫉妬してた。なのに、アンタはいつも飄々としてる。自分はやりたくないです。自分で始めたんじゃないです。言われたからやってるだけです。そんな顔して音楽やって、でも、それなのに、あたしよりずっと——ずっと、うまいんだ」



 早瀬はもう、涙でぐちゃぐちゃだった。それでも僕に、必死に、叫んでいた。



「アンタは何を怖がってるんだ!? なんでそんなに力があるのに、才能があるのに、逃げんだよ!?」



 ぷつん。
 脳内で、何かが切れた音がした。



「……お前らは、いいよな」

「は?」

「穂積、何言ってんだ?」

「ちょっ、……句楽、くん?」



 ああ、もう、うるさい。
 うるさいよ、みんな。



「知らないんだ、本当の、地獄をさ」



 知ってるか?
 裏切られる気持ちを。


 知ってるか?
 ——できたことができなくなる、苦しさを。



「生きてることに価値を見出してるお前らなんかに、僕のことは、絶対に——わからない」



 しん、と沈黙が満ちた。

 ほら。
 誰も、何も、言い返せない。

 そう思って、顔を上げた——、



「……っ」



 古谷くんも。楸も。松村くんも。早瀬も。

 まるで、可哀想な子どもを見ているような、そんな瞳で。

 どこか泣き出しそうな顔をして——僕を見ていた。



「……」



 やっぱり僕は普通なんかじゃなかった。

 こうやって普通に紛れたらいけなかったんだ。