それは、しゃぶしゃぶを食べに行った帰り道のことだった。
早瀬は細い夜道で、車と接触事故を起こした。命に別状はなかった。けれど、全治2ヶ月の怪我を負って入院となった。
練習どころじゃない。早瀬に面会ができるようになってすぐに、僕らは早瀬のお見舞いに訪れていた。その日はあいにくの空模様で、かなり病室は暗い。まるで僕らの心を表しているようなそれに、少しだけイラついた。
「早瀬、大丈夫?」
「……うん」
早瀬は、右腕、右足、頭から左目、至る所が白い包帯で固定されていた。きっと服で見えないところもいくつかガーゼや包帯が巻かれているのだろう。腕や足からは透明なチューブや赤や黄や青のコードも伸びていて、まるで早瀬をベッドの上にがんじがらめにしているみたいに思えた。
「……みんな、ごめん」
「謝んなよ、早瀬のせいじゃない」
「そうだよ、命に別状ないんだから、また、来年——、」
言いかけた松村くんがハッとしたように口をつぐむ。
来年。
僕らは、高校3年生だ。
「……来年は、もう、できないか」
そう。きっと、来年の僕らは、こんなふうに集まって何かをする時間なんてない。それぞれの進路にむかって、それぞれで努力をしているだろうから。
みんなそれをわかっている。だから、誰も何も言わない。いつもだったらふざける古谷くんですら、黙ってじっと地面を見つめている。
どのくらいの時間が経っただろう。ふと、楸が「まぁ」と口を開いた。
「今回ばかりはしょうがないよな」
楸が苦笑混じりに言う。
「そう、だね。今回は誰も悪くない」
松村くんも、作り笑顔でそう言う。
「エレキなしは無理だよなぁ……くっそー、悔しいなぁ」
古谷くんが涙混じりの声で言う。
「……」
セナは何も言わない。ただ、じっと僕を見つめている。
その視線の意味はわかっている。
僕だって気づいている。たったひとつ、そのひとつだけ、僕らが諦めなくてもいい方法があるってことに。
でも、それは。
「……」
そんな目で見るなよ。
僕には無理だよ。だから、そんなふうに期待を込めた瞳を、向けないでくれよ。
それでも、セナは僕を見ることをやめなかった。ついに我慢の限界が来た僕は、思わず口に出してこう言っていた。
「……言いたいことがあるなら、言えよ、セナ」
「……?」
突然喋り出した僕に、きょとんとした視線が集まる。
「……ホヅミ、なんで言わないの」
「え? ……あ」
早瀬は、そのセナの一言だけで気がついたらしい。
「句楽、アンタ——ギター弾けるじゃん」
「何!?」
すっとんきょうな声をあげる古谷くん。そうだった、彼はあの時、いなかったんだ。
「そうじゃん穂積! お前できるじゃん!」
パァッと顔を輝かせる楸。
「キーボードは最悪なしでもいけるしね!」
うれしそうに笑ってそう言う松村くん。
「……アンタがチューニングしたギター、完璧だった。弾けるんでしょ? ……あたしからも頼むよ、句楽」
「……早瀬」
ここまで、皆、一生懸命に準備して来た。それは僕が一番わかっている。夏休みも1日も欠かさず練習していた。最高の文化祭にしようって、その想いだけでここまで来た。
早瀬が一番辛いのだって理解している。代われるものなら代わってあげたい。僕にできるなら、一も二もなく引き受ける。
だけど——だけど。
僕は、首を横に振った。
「……できない」
「え?」
「ごめん。それだけは、できない」
バンドを組むって決めてからの期間、僕は本当に色々なことを知った。人にはそれぞれ何かしらの苦しみがあって、僕だけがこんなふうにトラウマを抱えているわけじゃないってことを知った。苦しみを抱えながらも、懸命に今を生きようともがいていることを知った。
“いつか目を覚ました時にさ、こいつに胸張って言いたいんだ——ずっと好きだったって。そんで——これからも永遠に好きでい続けるよって”
“俺は、父ちゃんの代わりに、明るくいようって”
“自分くらい、自分の気持ちを受け入れてあげないと可哀想じゃんか”
“また大学行ってから頑張るさ”
みんなまっすぐ生きていた。生きる意味なんて考えなくても、自分のことを見つめて、自分を信じて生きていた。
それを真似したいと思った。
自分のことを受け入れたい。ちゃんと皆みたいに、思い出を、自分の生きて来た道を大事にしたい。
ちゃんと、そう思ったのに。
だけど、できないんだ。どうしても、できない。