「いやー、仕上がってきたなー」

「ようやくここまできたかーって感じだね」



 夏休みが終わり、9月1日、始業式の日の午後。天気はあいにく曇りで、今にも雨が降り出しそうだった。文化祭までは残り1週間、僕らは最後の追い込みにかかっていた。



「穂積、そこの音もうちょいスタッカートでいける?」

「楸のベースに合わせればいいってこと?」

「そ」



 微調整を繰り返す。そして、完成度を上げていく。



「まぁまぁ、今日はこのくらいにして、飯でも食いにいかんかね、諸君」

「さんせーい!」



 早瀬が両手をあげて喜ぶ。セナもニコニコと笑っている。

 あの日からセナとは何事もなく普通に過ごしているけれど、妙に距離を置かれている気がしてならない。ベッドに潜り込んでくることも、のしかかってくることも、いきなりくっついてくることもかなり減った。

 こっちがセナへの気持ちを認めようとした途端そうなるなんて、なんて神様は意地悪なんだ。



「桜庭も行くよな?」



 今までだったら、「穂積が行くなら」と答えていたはずのセナは、今では「うん」と普通にうなづく。そういうのを見るたびに、少しだけ胸がざわつく。

 ずっと僕の傍にいるんじゃないのかよ。

 そんなふうに黒い感情が満ちるのが気に食わなくて、僕はまだセナへの気持ちを見て見ぬふりをしている。



「香山何食べたい?」

「何食べてーかなー」

「俺焼肉!」

「それは終わった後にとっとこーぜ?」

「前祝いだよばーか!」



 楽器を仕舞いながらそんなことを言い合っている。と、早瀬が「句楽は?」と僕にも聞いてきた。



「僕は別になんでも」

「でた穂積のなんでも! そーゆーの良くねーぞ!」

「別にっていうのはオンナノコが一番求めてねー返事なんだぞ句楽! な! セナちゃん!」

「わたしはあんまり気にしないかな……早瀬ちゃんは?」

「あたし!?」



 突然の流れ弾に面食らう早瀬。当たり前だ、この場所で早瀬を女扱いするのは稀だ。



「えーと、」



 困ったみたいにしている早瀬。あーもう。めんどくせー。



「わかったよ、好きなもの言えばいんだろ言えば!」

「おっ、ついに句楽の好きな食べ物がわかるぞ!」

「んな注目するなよ……」





 結果、みんなでしゃぶしゃぶを食べに行くことになった。念の為言っておくが、しゃぶしゃぶが好きなわけじゃない。

 僕はポン酢が好きなんだ。





 降り出しそうだった雨もどうにか降らず、僕らはたらふくしゃぶしゃぶを食らったお腹を抱えて、曇り空の夜道の下帰路に着いた。

 9月に入って夜は少しだけ秋の匂いがするようになった。この暑さならセナも大丈夫だろう。

 目の前のセナの制服のスカートが揺れる。制服姿で歩くのはずいぶん久しぶりだった。セナは前の列で楸と古谷くん、松村くんと並んで何か話している。必然的に後ろを歩くのは僕と早瀬の二人になる。



「この間はありがとな、句楽」

「え?」



 前を向いて歩きながら、早瀬はそう呟いた。



「あのさ、えっと……肩、貸してくれてさ」

「あ、うん」



 そのことか。ひとりで納得する。



「あとさっきも」

「さっき?」

「あたしが困ってたらアンタ会話引き取ってくれたじゃん」

「あーあの好きなもののくだりの時ね」

「アンタって昔からそういうとこあるよな。なんつーか、困ってる人ほっとけないとこっていうか」

「……そうかな、気のせいだろ」

「ま、よく知らんけど!」



 とにかく、と早瀬は笑う。ローファーがカツン、と高い音を立てる。



「アンタのおかげでちょっとは前向けたよってゆー報告」

「ふーん」

「また大学行ってから頑張るさ」

「……そっか」



 そこで会話は途切れた。最寄駅についたからだった。



「じゃあ、また明日」

「ばいばーい」

「またね」

「またなー」

「じゃあなー」

「ばいばいー」



 僕らはそれぞれ帰路に着く。



「セナ、行こっか」

「……うん」



 それぞれの想いを、胸に抱えながら。