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 最悪だ。

 職務を放棄して勝手に帰ってくるなんて、あってはならないミスだ。

 穂積に好きな人ができたら良い方向に向かうっていうことはわかっていた。菅田先生もその可能性は大いにあるって言っていたし、わたしが穂積の傍にいられなくなった時のためにも、穂積にはちゃんと恋をして、大事な人をつくってほしかった。

 ちゃんとそう思っていたんだ。

 でも、頭で考えるのと実際に目にするのとでは雲泥の差だった。とても見ていられなかった。

 穂積の肩に顔を埋める早瀬ちゃん。
 早瀬ちゃんの背に腕を回していた穂積。

 目にした瞬間、ものすごい衝撃だった。



「……っ」



 苦しかった。あの場所にいたら、正直に全部話してしまうかもしれないと思った。

 勝手に帰ってきてしまったことが妙に後ろめたくて、穂積には会えていない。菅田先生に誤魔化してもらっている。



「はあ……」



 自分の身体が嫌になった。つぎはぎだらけの、この身体。今は時限爆弾を抱えた、この身体。

 きっと早瀬ちゃんの身体は綺麗なんだろうなと思った。思って、また、苦しくなった。



「なんでこんなに、中途半端なの、わたしは」



 どうせ機械みたいになるんだったら、心も失くしてしまえたらよかったのに。

 そう思った瞬間、スマホがブブッと音を立てた。画面を見れば穂積からだった。



『夕方暑かったけど、帰った時具合悪くならなかった?』



 「……何で」



 なんで、わたしを責めないんだろう。わたしは穂積を置いてけぼりにしたのに。勝手にAIの仕事を放棄してしまったのに。理由くらい聞いてもいいものを、穂積は全くそんなそぶりを見せず、わたしのオーバーヒートの心配だけしている。

 開かないままじっと画面を見つめていれば、もう一件通知が入った。



『明日は10時に松村くんの家だって。体調悪くなかったら、朝、こっちの病室まで迎えにきて』



「……はは」



 穂積は当たり前のように、わたしが明日からも穂積と一緒に行動すると思ってるんだ。



「そういうとこだよ、穂積」



 彼はとても優しい。誰かを助けたり、誰かのためになることを厭わない。

 今はそれを隠しているけれどそれは彼の本質だ。気づいてくれればいい。それが彼自身の生きる意味になり得るということに。

 それなのに、彼自身は基本的に自分を顧みない。自分が幸せになんてなってはいけないと、そう強く思い続けている。

 それでも、バンドを組んでからの穂積はとても調子が良かった。

 香山くんと一緒にお姉さんのお見舞いに行った時くらいからだろうか、少しずつ、ほんの少しずつだけれど、回復してきている。バンドメンバーたちが穂積にいろいろ相談したりしているのが、穂積を徐々に回復させているのかもしれない。

 それは穂積がもともと持っている力だ。穂積のお父さんとお母さんもそういう優しい人だったから。

 楽しいというのは、決めるものじゃなくて感じるものなんだってことを、知り始めている。

 それはわたしにとってもうれしいことなはずなんだ。だって穂積を過去のトラウマから救うために、わたしは存在しているんだから。わたしがわたしであれるうちに、穂積には回復してもらわなきゃならないのだから。

 でも、それが、もし……早瀬ちゃんの、おかげだったとしたら。
 そう思うだけで、一気に、苦しくてたまらなくなるんだ。

 わたしは最低だ。

 穂積がずっと、わたしの傍にいてくれたらいいのになんて。今のまま、一生治らずにいてくれたらいいのになんて。

 そんな黒い感情が、ここ最近、ずっと支配しているんだ。



「……また、明日からは普通の、機械のわたしに戻るから」



 だから、お願い神様。

 今日くらいは、ほんとうの、わたしでいさせて。






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