「……できた」

「ありがと穂積……てかお前大丈夫か? 真っ青だぞ」



 側から見てもそう見えるくらいなのか……。でもここで諦めたらあれだけ緊張してたみんなに申し訳ない。



「多分、平気……2分くらいじっとしてれば」



 横に置いてある椅子に腰掛けて、ぐっと奥歯を噛み締めてこめかみをもみほぐす。セナの冷たさが恋しい。でも今ここにセナはいない。

 大丈夫、大丈夫。いつもセナが言ってくれる言葉を脳裏に浮かべて目を瞑る。

 と、早瀬の声が聞こえてきた。



「ごめん、みんな」

「あ、早瀬。今、句楽くんが代わりにチューニングだけしてくれたよ」

「マジ? ほんとごめん」

「……一応確認だけして。半音下げにしたけど合ってる?」

「合ってる。おっけい確認する」


 目を開かずに声だけで言う。きっと今目を開いたら吐き気でどうにかなってしまう。

 早瀬がギターを持ち上げる音がして、そして、開放で音を鳴らす。


「え」

「……ごめん変なとこあったら直して」

「違うよ、完璧じゃん、句楽アンタ、ギターもできるの?」

「……まぁ、チューニングくらいなら……」



 答えながらそっと目をひらく。うん、大丈夫だ。立ち上がって頭を振ってみる。

 目眩なし。僕の中の10歳の僕も、今は何も言ってこない。



「平気か? 穂積」

「うん。……もう大丈夫」



 キーボードの前に立つ。白と黒の鍵盤に少しだけ心臓の鼓動が早くなる。頭痛のタネがチクリと脳裏を刺激する。首を振って集中する。

 大丈夫。この2ヶ月ずっと練習してきた。きっと僕に応えてくれる。

 そう思って、ああ、なんだ、と小さく笑いが溢れた。

 僕もちゃんと緊張してるじゃんか。



「客入れるぞ!」



 お客さんが入ってくる。みんなクラスメイトのはずだけれど、僕はまだ名前すら知らない人もいる。

 あの人たちの名前を僕は知れるだろうか。このまま、みんなみたいに、臆することなく名前を呼ぶことができるだろうか。

 


「本日は、お越しくださいまして誠にありがとうございます!」



 いいぞー! と歓声が上がる。さすが古谷くんだ。古谷くんだけじゃない。松村くんも、早瀬も、楸も、みんなキラキラした瞳で前を見据えている。

 客席から見たら、僕もそう見えているだろうか。

 実際、どうだかはわからない。


 でも、そうだったらいいなと——つよく、思った。








「            」






 みんなの音が重なって、最後の和音が消えた。

 演奏が終わった。



 しん、と静寂が満ちて、次の瞬間。



「すっげぇぇぇぇっっ!」

「ブラボー!!」



 割れんばかりの歓声と拍手が視聴覚室の中に轟いた。



 演奏中のことはよく覚えていない。

 それでも、メンバーはみんなキラキラしていて、客席の人たちの笑顔が見えて、何だかとても、幸せだった気がする。



”笑ってよ、とうさん、かあさん”



 何か、昔に失ってしまった大事なことを思い出せそうな、そんな気がした。