「んじゃーハブアナイスバケーション!」
担任からの話が終了して(やっぱりテキトーな担任だ、事故るなしか言わなかった)、僕らは本格的に夏休みに突入した。
「みんな聞いてくれ!」
古谷くんがパンッと手を叩いてみんなに告知する。こう言う時はさすがクラス委員、統率力が光る。
「これから、中夜祭のバンドメンバーで演奏すっから聴きに来て!」
勧誘は古谷くんに任せて、他のメンバーはひと足先に視聴覚室に移動する。
「じゃあ、セナ、行ってくるね」
「うん。わたし保健室にいるね」
視聴覚室は電波が飛び交う部屋なので、できるだけ機械のセナを近づけたくない。特に害はないだろうけれど、それでも何かあったら嫌だから。その話は朝来る時にセナにしてあって、彼女も「わかった」と了承してくれている。
機材の準備は朝のうちにしてあるので、あとは音のチューニングやらなんやらをするだけ。
「そんなに急がなくても大丈夫そうだな」
「そうだね」
移動中に早瀬が「あ、電話だ」と声を上げた。スマホの表示を見て目を丸くした彼女は「ごめん、ちょっと出てくる」と言って途中で脇道に逸れた。
結果、僕は松村くんと楸と一緒に視聴覚室へ向かう。視聴覚室は別棟にあるので少しだけ距離がある。
「成績どうだった?」
「僕生物5だった!」
「あー、松村生物好きだよな。俺は大体3てとこ。穂積は?」
「……2ばっか」
「マジ? お前頭良さそうなのに意外だな!?」
「勉強、好きじゃないから」
昔は、好きだったけど。両親と同じ、医者になりたいってそう思っていたときは。
「……なんのためにやるのかわからないから、あんま身に入らなくて」
「あー、まーな……その点松村はいいよな、夢があって」
「夢って呼べるほどのもんじゃないよ」
「はぁ? 生物学者になりたいだなんて十分夢じゃねーか!」
「あはは、そうかな? でも香山だって、音楽頑張ってるじゃん」
みんな何かを頑張って、それを生きる意味にしている。
——僕は?
脳裏に浮かんだ映像を掻き消すように首を振る。ダメだ。夢なんて、みたら、いけない。
もう2度と、失うのはごめんだ。
そう思ったところで、視聴覚室に到着した。3人で視聴覚室を開ける。朝の通りセッティングは崩れていない。順番にアンプの電源を入れて回る。PA卓はもうすでに調整済みだ。
「早瀬帰ってこないな」
「まー早瀬いなくても準備くらいできるっしょ」
「そうだね」
僕が楸の言葉にうなづいた時、松村くんが「あっ」と何かに気がついた。
「エレキのチューニングは?」
確かに、彼女のエレキのチューニングが終わらないと始められない。観客が入ってくるのは5分後、でもまだ早瀬は戻ってこない。
「香山できない?」
「ちょっと微妙……かも」
自信がなさそうな楸と目が合う。
「そっか、じゃあ観客入れるの待ってもらう?」
「でも時間押すとめんどいぜ?」
視聴覚室は、普段部活などにも使われている部屋だ。もちろん今日もこのあと違う団体が使用予定だ。時間予約制だから、自分たちが使える時間を過ぎてしまわないように片付けまで終わらせる必要がある。
ふたりは困ったように顔を見合わせている。今までの僕なら、見て見ぬふりをした。でも。
彼らは、僕にとって、すでに他人ではなくなってしまった。もちろん、古谷くんも、早瀬も。
だから——。
一度目を瞑る。浮かぶのはあの頃の僕。
『ダメだよ』
……大丈夫だよ、置いていくわけじゃない。
『思い出さないで』
少しだけ……友達に手を貸すだけだから。
小さな僕にそう言い聞かせて、目を開いた。
「……僕やるよ」
「え」
「え、穂積ギターできんの?」
「……ちょっとだけ、なら」
ギターを教えてもらっていたのは遥か昔だけれど、チューニングくらいならできる。早瀬の音は半音下げ。
Fenderのテレキャスター。父さんの持っていたのと、同じ——
そう思いながら弦を弾いた。聴き慣れた響きが脳を揺らして、
ずきん。
「っ」
おかしい。早瀬が弾いているときは頭痛なんて起きたことないのに、なんで。
『あーあ。だからダメだって言ったのに。またひどい頭痛になるぞ』
でもさ、友達が困ってるんだよ。少しだけ、助けてあげたいんだ。
『ほんとうに、トモダチなの?』
…………。
『お前が勝手に、そう思ってるだけじゃないの?』
……うるさい。静かにしてて。
脳内で響く声に懸命に答える。それでも頭痛は止まらない。どうにか我慢しながらチューニングを合わせていく。ずきんずきんと側頭部まで痛みが広がってくる。
あと、ちょっと。
最後の弦を弾いて、ふらつきながらエレキを楸に手渡した。