「句楽、お前、面白すぎ、」

「……そりゃどうも」

「褒めてねーよ」

「悪かったね口下手で」



 ひとしきり笑った後、「あーおもしろ」と言いながら彼は目尻を拭う。感情の雫はすぐに指先に吸い込まれて消える。



「なぁ、句楽」

「……何」

「お前いい奴だな」

「……は?」



 まさかそう言われるとは思っていなくて、目を瞬く。



「別にいい奴なんかじゃない」



 だって僕は、香山くんが昔の僕に重なって見えたからこそ、助けたくなっただけだ。しかもうまく話せなかったし。結局何もしてない。



「あのなぁ、いい奴かどうかは自分で決めるんじゃないんだよ。他己評価なの、そーゆーのは」

「……ふーん」



 夕焼けチャイムがなる。もう18:00になる。面会終了はあと30分後だ。15分ごろから追い出しが始まる。



「なぁ」

「ん?」

「これさぁ、誰にも言ってねーんだけどさぁ」

「え? うん」



 香山くんはさっきカバンに仕舞い込んだお菓子を取り出して、封を切った。小さな頃によく食べた動物型のお菓子。「ん」と差し出されたのでひとつ手に取る。

 その瞬間、香山くんはこう言った。



「俺、この人のことが好きなんだ」



 …………?
 このひとのことがすき?



「え、ええ?」



 意味を理解した瞬間、驚いてもらったばかりのお菓子を取り落としそうになった。慌ててもう一度掴む。



「驚きすぎ。だいじょーぶ、血は繋がってないから」

「……なんだ、びっくりした」



 禁断の恋かと思った……、いや、戸籍上は姉弟だから、これでも禁断の恋なのか?

 でも、だから。



「だから、咲さんって呼んでるんだね」

「……そう、」



 それから少しの間、香山くんと咲さんの話を聞いた。

 姉弟になったのは咲さんが高校1年生、香山くんが小学校3年生の頃。8歳差。彼女は高校で軽音学部に入っていて、ベースをやっていたこと。その影響でベースを始めたこと。短大を卒業して働き始めた咲さんは職場の決まりで変形カットができなかったから、代わりに香山くんがウルフカットにしていること。




「いつ、好きだって、そう思ったの?」

「いつだろーなー、ちゃんとは覚えてないけど、多分中学入学くらいじゃないかな」

「きっかけはあるの?」

「お前めっちゃ聞くじゃん」

「……」



 だってさ、こんな僕でもわかるくらいに、君が聞いて欲しそうな顔をしているんだもん。

 そんな軽口を叩きながらも、夕陽に照らされた香山くんは懐かしそうに笑う。



「俺が中学で軽音入るって言ったら、こいつ、すっごい嬉しそうに笑ったんだよね。その笑顔が忘れらんなくてさぁ。気づいたらどうやって笑わせようかって、そればっかだった」

「……そっか」

「お前は? 好きな人とか、いないの?」



 好きな人。



「……笑ってて欲しいなって、そう思う人なら……いるよ」



 そう答えれば、香山くんは全部わかったみたいにくしゃっと笑って、「そっか」と言った。



「いつか目を覚ました時にさ、こいつに胸張って言いたいんだ——ずっと好きだったって。そんで——これからも永遠に好きでい続けるよって」



 ずっと。永遠。

 苦しいずっとはいつまでだって続くのに、幸せな永遠はすぐに消えて無くなる。『春の夜の夢のごとし』と言われるくらい、短いものだ。

 だから、僕は逃げている。7年前のことからも、恋とか愛とか、そういうものからも、逃げている。

 それでも、不思議だ。香山くんをみているとほんの少しだけ——「永遠」を信じてみたくなるんだ。



「すごい奴だな、君は」

「別にすごかねーだろ。普通に恋してるだけだ」




 普通に恋をすることが、すごいんだよ、香山くん。というか、普通だったら恋してるとか、口に出して言えない。

 そう言ってやろうかと思ったけれどやめた。



「すごいかどうかは自分で決めるんじゃなくて、他己評価なんだろ?」

「……そうだったわ」



 そこでちょうど館内放送が入った。18:15。



「よいしょ。じゃあまた来るな、咲さん。また今度、みんなを連れて」



 去り際に見た咲さんは、どこか来たばかりのときよりも柔らかく見えた。

 香山くんと一緒に咲さんの病室を後にする。帰路逆順というんだろうか、来た時の逆の手順にそってエレベーターの下のボタンを押す。僕も病棟が違うので一度エントランスに向かわなくてはいけない。



「本当に陽が落ちるの遅くなったよなぁ」

「そうだね」



 もう18:30だというのにまだまだ明るい。夕日を受けて眩しそうに目を細めた香山くんは、くるりと僕を振り返ってこう言った。



「ありがとな、句楽」

「うん」



 エレベーターが到着した。中には誰もいなかった。僕らは二人で乗り込む。

 5、4、3、……降りていく階数表示を見ていたら、突然香山くんが口を開いた。



「なぁ、」

「ん?」

「……穂積って呼んでいいか?」

「え? 別に、いいけど」



 そう言えば「よっしゃ」と小さくガッツポーズをする。



「お前も(ひさぎ)でいいよ」

「……楸」



 変な感じがした。たぶん、うれしいほうの、変な感じ。



「じゃあな、穂積。また明日」

「うん。じゃあね……楸」



 よくわからない人だと思っていたけれど、そんなのは当たり前だ。だって今までほとんど話したことがなかったんだから。

 彼は、咲さんのために生きているのか——いいや、違う。咲さんに、自分の気持ちを胸を張って伝えるために生きているんだ。それが、彼の、生きている意味だ。



「……」



 僕にはそんなものはない。

 だけれども、明日学校に行ったら、彼の名前を呼んでもいいだろうか。

 ちゃんと、呼べるだろうか——。



 そんなことを考えていたら違う病棟のエレベーターに乗ってしまったのは、絶対に秘密だ。