「今日も咲さんの好きなお菓子があったから、買ってきちゃった。じゃーん、見てみて、期間限定のマスカット味だって。もう夏だよ、咲さん」

「……」



 もちろん、お姉さんは何も答えない。それでも、香山くんは慣れたようにサイドボードに置いてあるお菓子と交換する。そしてそのまま、変えたお菓子をカバンにしまって、クラスで喋っているのと変わらないテンションで話しかけ続ける。



「今日はさ、テストが終わったよ。もう俺高校2年生になっちゃったよ」

「……」

「咲さんがくれたベースも、もう5年目だよ。そのうち咲さんと一緒にいた年数より俺の方が勝っちゃうからね」

「……」

「あっ、そう言えばさ、こないだ話した新しいバンドメンバー連れてきたよ。なんとなんとこの病院に住んでる句楽穂積くんでーす」

「……」

「今日初めて曲合わせたんだけどさ、めっちゃいいのよ、マジで。咲さんたちより上手いかもよ?」

「……」

「有名になっちゃう前にさ、咲さんに聴きにきて欲しいんだよね」



 どうしようもなく、胸が痛かった。それでも懸命にお姉さんに話しかける彼を止めることなんてできなかった。目を背けることもしてはいけないと思った。

 だって、彼は向かい合ってる。自分のトラウマから目を背けて逃げ続けている僕なんかに、それを止める権利なんてものはない。



「なぁ、だからさ、咲さん」



 香山くんの声が、突然滲んだ。ハッとして彼を見れば、ぎゅっと咲さんの手を握りしめて、俯いていた。



「……はやく、起きろよ……っ」



 その姿が、まるで——セナと会う前の自分、父さんと母さんを失ったばかりの自分に重なってみえて。

 いつもだったらここで頭痛がしていたことだろう。だけれども、今回はそうならなかった。どうして。わからない。

 だけど——ただひたすらに、助けたい、なんて。そんなふうに思った。心臓が鳴っていた。いつもとは違う。ゆっくりと、確かに鳴っていた。

 僕なんかには何もできない。できることはない。そう思う頭と裏腹に、涙で濡れた香山くんの言葉に、思わず、僕は口を開いていた。



「咲、さん?」



 上擦った声が転がった。驚いたように顔をあげる香山くん。言わずもがなその瞳は赤く潤んでいる。



「あ、あの……初めまして、僕、この病院に住んでる句楽穂積といいます。……ひょんなことから一緒にバンドすることになって、ええと……キーボードやってます」



 違う、違う。

 こんなことが言いたいんじゃない。でも、だけど。



「句楽……?」

「ええと、あの……香山くんのベース、すごく、上手いですよ。絶対に生で聴いた方がいいです」

「……ッ」

「だから、早く、起きてくださいね。……この病院の人、みんないい人たちだから……だからきっと、起きてからも退屈しませんよ」

「……句楽、」

「だから、ええと……」



 うまく収めるところが見つからなくて頭の中で懸命に言葉を探していた僕に、突然笑い声が届いた。



「ふっ、ふふふ、」

「……!?」

「あっはははは!」



 声の主は、もちろん——香山くんだ。

 香山くんは笑っていた。
 ……笑いながら、泣いていた。