そうして僕らは並んで電車に揺られて、松村くんの家についた。彼の家は本当に楽器屋さんで、お店の地下にスタジオがあった。疑っていたわけではないけれど、実際に目にすると妙に気分が高まった。



「トイレはこっちね。ついでにご飯食べるし、手洗いどうぞ」



 松村くんに言われた通り手を洗う。水が冷たくて気持ちが良かった。



「いただきます」



 こうやって、お昼を友達と食べる。たぶんほとんどの高校生は日常的にやってることだと思う。だけども、いつもセナとしか食べない僕にとってはほとんど初めての経験だった。

 なんて言えばいいかわからないけれど、胸の奥がふわふわした感じ。変だな。この間までずっと、人間が嫌いだったはずなのに。それなのに、今、こうして誰かと一緒にお昼を食べているなんて。

 そう思った時、スタジオのドアが開いた。そこにいたのはギターケースを背負って息を切らせたJK——早瀬だった。



「ごめん……!」

「あ、早瀬やっと来た」

「結果どうだった?」



 松村くんの言葉に「……結果?」と思わず口に出てしまった。



「あ、そっか句楽くんは知らないよね。早瀬さんさ、ギターのオーディション受けてるんだよ。今日はその結果が家に届く日でさ」

「へぇ」



 だから早瀬だけ後から集合だったのか。



「受かったらプロなんだって! すごいよね!」

「で、早瀬、結果は?」

「…………1次試験突破!!」



 その言葉に一番最初に反応したのは香山くんだった。



「すっげぇ! マジか! あの事務所、1次試験ですらボロボロ落ちるって有名なのに!」

「そうなの?」

「そうだよ、姉貴がそう言ってた」



 お姉さん。音楽関係者だったのかな。



「うわーじゃあ今度お祝いだね!」

「今日だといきなりすぎて母ちゃんとか飯用意しちまってると思うから、今度の練習後に打ち上げ行こうぜ!」

「うん!」



 未知の会話。なのに、どうしてだろう、僕も参加できている気がしてしまう。一言も、しゃべっていないのに。

 感じたことのない不思議な気持ち。それは練習が始まったらもっと高まっていく。

 ダメだなぁ、これ。やっぱ、よくない。麻薬みたいに、逃れられなくなっていく。

 ……だから、嫌だったんだ。一度知ってしまったら、もう、知らなかったことにはできないのだから。



 そして、その気持ちのピークは最後だった。合わせ練の最後に、一度通しでやってみることになったとき。



「じゃあ、行くね」



 松村くんのカウントを元に曲が始まる。バスドラと同じリズムで香山くんの指が弦を弾く。重なるように早瀬のエレキと僕の音が飛ぶ。そして、それをまとめ上げる古谷くんの声が舞う。

 音が生み出す響きに、鳥肌が立った。

 なんだ、これ。

 初めての経験だった。いつもからは想像できないほどカッコいい松村くん。ぐいぐいと心臓に食い込むみたいな音をだす香山くん。素早い指捌きで音を弾く早瀬。

 彼らが上手いのは知っていた。だから、置いていかれちゃダメだ。波に乗るんだ。演奏する前はそんなことを考えていた。

 けれど、今はそんなのどこにもなかった。ただ、指が動いて動いて——動いて動いた。

 最後の一音が途切れた瞬間、力が抜けてへたり込んだ。



「っ、はぁ」



 全力疾走した後みたいになっている自分に苦笑がこぼれて、皆を見渡す。一番初めに目があったのは古谷くん。彼も全ての力を出し切ったとでもいうようにダラっとしゃがみ込んでいた。



「句楽、マジでお前すげぇ弾けんじゃん」

「……そりゃどうも」



 こちとらほぼ完徹で練習してんだわ。弾けなきゃまずいだろ。



「だから句楽はサイコーに上手いってあたし言ったじゃん」



 ギターのネックを持ちながら早瀬がそう言う。満足げに微笑んでいる。



「お前そのセンスどこでもらってきたんだよ?」

「……」



 それは、多分、

 ずきん。

 こめかみが痛む。まるで、僕を引き止めるように。



『お前はそっち側の人間にはなれない』



 僕の中の10歳の僕が、ぎゅっと掴んで離してくれない。

 ……大丈夫だよ、安心しな。お前のことを置いてまでそっち側の人間になりたいだなんて、思ってないからさ。

 だから僕は、自分の感情を抑えて宥めて、「……さぁね」と笑って見せた。



「なんだよ生まれつきだとでも言うのかー!? これだから天才は!」

「まぁ、そんなとこ」


 そう答えた僕は古谷くんにヘッドロックをかけられた。



「く、苦しいって」

「くそ! でも敬語とれてて嬉しいから許したい! でも許せねぇ!」

「ちょっ、やめ、ギブ」

「ったくもう! 句楽がそんな香山みたいな性格だとは思わなかったぞ!」

「え。俺?」



 まさか自分の名前が呼ばれると思わなかったのだろう、きょとんとした声が上がったので、僕も古谷くんも自然とそっちを向く羽目になった。



「え、香山、片付けはっや」

「まーね、この後用事あるし」

「まさかお前女のとこか!?」



 そう聞いた古谷くんに、香山くんはニヤリと笑って一言。



「まぁ、そんなとこ」



 とそう言った。