僕が彼女に会ったのは、桜が満開になって、今にも散り出しそうに枝葉を揺らしている、そんな夜のことだった。
カツン。
近くの床がそんな音を立てた。ここはベッドが4つ並んだ病室。僕以外には誰もいないはずなのに。
なぜ。
開きっぱなしのカーテンの向こう側、病室の入り口にゆるりと目をやる。
順番に僕の視界に入るのは、白い天井、白い床、白いベッド、白い布団——。真っ白の世界は簡単に月の色に染まっていて、もちろん、がらんどうの僕も例外なくそうだった。そんなしみったれた夜の香りのする空間に、突然彼女は現れた。
わずかに空いた窓から吹き込む春風は、黒い艶やかな髪を揺らした。小さくて細い身体を包むのは、白っぽい簡素な服。ともすれば小学生にも見えるような身長のくせに、大きな瞳と綺麗な鼻筋、ぷっくりとした唇だけが妙に大人びていて、チグハグだった。
僕が見ていることに気がついた彼女は、はっと息を呑んで、一度ゆっくりと瞬きをした。唇が開いたと思ったら、声が落ちてきた。
「こんにちは」
思ったより低い声だった。小学生だと思ったけれど、どうやらそれは違うらしい。
彼女は夜なのに、こんにちは、と言う。
変なやつだ。そう思った。
「……こんにちは」
同じように挨拶を返した。だって、僕も変だから。
僕の挨拶は彼女の声よりわずかに高く響く。
「…………」
彼女は僕の挨拶に何も言わずに、くるりと背を向けた。カツン、カツン、と足音が響いて、じっと見つめている僕の目線の先で、病室のドアが閉まった。
「なんだったんだろう」
誰ともなしに呟く。
もしかして、幽霊かな。
それとも、死神かな。
僕を、ようやく、迎えにきてくれたのかな。
そんなふうに思った僕の前髪を、窓から吹き込んだ春風が撫でて通り過ぎていった。