「あの、先に言っときますけど、僕が鍵盤やってたのってすっごい昔で、この数年間一度も触ってないですからね」

「ブランクなんてかんけーねーよ、俺だって人前で歌うの久しぶりだし」



 いやあのね、古谷くん。普通の人は人前で歌った経験なんてないんですよ。



「……」



 だめだ。何を言っても聞き入れてくれない。



「そもそもなんでこんな僕にそんな頼み事をしようって思ったんですか」



 だって、きっと探せば、鍵盤ができる人なんて他にもたくさんいる。だって、ピアノというのは習い事ランキングでいつだって上位にいる。日本の全人口の3分の1は絶対一度は習ってるはずだ。

 それを、自分で言うのもアレだけどこんなとっつきづらいひょろひょろインキャに任せようだなんて——頭おかしいんじゃないか?



「それは、」



 古谷くんが口を開こうとした時、ひょいと白い手があがる。



「はーい」

「? セナ?」



 突然セナが挙手をした。5人の視線はそちらに向けられる。セナは座っていた机からぴょんと飛び降りて、僕らを見渡しながらこう言った。



「わたしがみんなに言ったんだ」

「……は?」

「わたしが、ホヅミのキーボード上手いよって、グループチャットでそう言った」



 水を得た魚みたいに古谷くんが「そう! あれだけ句楽と一緒にいる桜庭がそう言うなら任せられるって思ったんだよな!」と援護射撃をする。

 ちょっ、ちょっと待った。
 一旦状況を整理しよう。

 古谷くん含める4人のメンバーは、バンドを組むために後一人、キーボード担当が必要だった。

 それをクラスに問いかけたら早瀬が僕の名前を出した。

 でもやっぱり休みがちの僕のことは信用ならないから、古谷か早瀬かウルフかアフロかは知らんけど、誰かが真相を確かめようとセナに連絡を取った。

 そして、セナが後押しをした。

 てことは。


「おい」


 直接の原因はセナじゃないか。知ってたなら言えよ。



「セナ……お前後で覚えとけよ」

「ふふん」



 余裕そうに笑う。くっそむかつく。

 セナはわかっている。僕がセナの頼みを断れないことを。

 彼女は僕が少しでも無理をすると頭痛が襲ってくることを知っているはずなのに、それでも後押しをした。それは、言って仕舞えばこれが治療の一環になると確信しているからに他ならない。セナが僕の健康にとって不利益になることを承諾するはずがないのだ。

 だって彼女は僕専用の治療用AIなのだから。



「……なぁ、句楽。頼むよ。引き受けてくれよ」

「…………はあ」



 せめてもの反抗の印にでっかいため息をついて、僕は——



「わかったよ。引き受ける」



 しぶしぶうなづいた。