私には、高校一年から同じ部活に入っている仲の良い男の子がいる。


「おーい奈緒、帰るぞー」
「はーい」


 私の名前は野風 奈緒(のかぜ なお)。
 私の隣を歩くのは、佐竹 朝日(さたけ あさひ)。

 だいぶ前に陸上部を引退した、高校三年生。
 引退するまでは、部活が終われば一緒に帰る。
 引退した後も、放課後になれば一緒に帰る。
 毎日が、その繰り返しだった。


「今日さぁ」
「あはは、何それ」


 他愛もない話をしながら、二人揃って帰路に着く。一日あった事を報告し合う、何気ない時間。

 その時間が、今日。
「卒業式」という行事を経て、
 終わりを告げる――


 ◇


「野風、ちょっといい?」
「え、あ……うん?」


 卒業式が終り、皆と大量の記念写真を撮り、高校生活をどう締めくくろうか――そんな事を各々が考えていた時。

 私は、同じクラスの男の子に呼ばれた。
 名前は――谷瀬 大志(たにせ たいし)。

 呼び出されたのは、人気のない廊下の一角。
 そこで言われたのは、なんと。


「野風の事が、好きなんだ」
「……へ?」


 ビックリした。

 まさか、卒業式の日に告白をしてくれる人がいるなんて。しかも、高校生活において「何度となく」私に優しくしてくれた、この人が。


『う……っ、うぅ』
『野風。今は、いっぱい泣けばいいから』


 大丈夫。野風は何も、悪くない――


 私が欲しがる言葉を、何度も送ってくれた人。
 私に寄り添い、励まし、支えてくれた人。
 その人が、耳まで赤くさせて――
 いつもの優しい瞳とは違う、真剣な表情で私を見ていた。


「今、返事を聞かせてほしい」
「い、今……?」

「野風は、もしかしたら……まだ気持ちの整理がついてないかもしれないけど」
「……っ」


 普通の女子高生なら「はい」というだろう。
「喜んで」と答えるかもしれない。
「もちろん!」の方が、可愛げがあるかな。

 だけど、私は――


「今は、谷瀬と付き合えない」
「野風……」
「ごめん、違うの。私――
 先に、行かなきゃいけない所があるの」


 その言葉を最後に、谷瀬の前から姿を消す。
 私の高校生活の締めくくり。
 それを今から、成し遂げるために――

 ◇

 校門を出て、少し走った後。
 いつもの帰り道にたどり着く。
 少し進むと、その人はいた。


「よ」
「朝日……」


 朝日は、いつものように片手を上げる。
 私は、いつもより控えめな笑顔で頷いた。


「卒業おめでとう、奈緒」
「ありがとう」

「あっという間だったな」
「うん。そうだね」


 ハハと笑みを浮かべる朝日を、私は見た。
 これでもかと、見続けた。
 すると、私の視線に気づいた朝日が、大きく広げた手を、私の顔に被せる。


「……なんだよ。ジロジロ見んな」
「うん……」

「奈緒? どうした」
「私さ……、これだけは言っておこうと思って」


 三月初旬の、お昼時。
 涼しくも、温かい季節。
 頬を撫でる風の中に、せっかちに咲いた桜の花びらが混じっている。


「今まで見守ってくれてありがとう。朝日がずっと傍にいてくれて、心強かった」
「……」
「”あの日”から朝日は――
 幽霊になってまで、ずっと私を守ってくれたね」


 そう。
 あの日――というのは。
 私たちが、高校三年生になったばかりの時。

 いつものように部活終わりに帰っていると、信号無視の車が突っ込んで来た。

 車側にいた朝日、反対側にいた私。
 一方は命を失い、一方は生きながらえた。
 朝日と私は、そんな関係だ。


「朝日が幽霊になってくれて、私は嬉しかったよ」


 すると、私の顔から手をどけた朝日。
「うそつけ」と、小さな声で呟いた。


「俺が傍にいることで、お前はいつも肩身が狭かったはずだ。自分だけ生き残ってしまったって。その後悔から逃げたくて、もう消えてくれって思ったこともあっただろ」
「そんな事、ないよ」
「だから……うそつくな」


 私を見ないまま、朝日は顔を下げた。
 地面に転がる空き缶が、風に吹かれて左右に動いている。

 カタカタ、カタカタ――

 空き缶の音が、二人の間に静かに木霊する。


「今日、卒業式なんだろ? 高校生活が最後なんだから、ここ一年でため込んだ思いを、全部パーッと吐き出しとけ。
 お前の本音、ちゃんと俺に聞かせろよ」
「!」


 なぜか、朝日にギロリと睨まれる。
 まるで「私が悪い」と言わんばかりの顔。
 居心地が悪くて、私はキュッと唇を噛んだ。
 だって気を抜けば、朝日の言う通り、何でも喋ってしまいそうだった。

 だから、耐えた。

 だって私の本音は、きっと【口にしてはいけない】から。その九文字の言葉で、自分の気持ちに、いつも栓をしていた。

 だけど朝日は、その栓を抜かんとする勢いで、私の心に不躾に踏み込んで来る。


「辛気臭い顔すんな。自分だけ悪い、みたいなオーラ出すな」
「そ、そんなこと……!」

「じゃあ、本当の事を言え。じゃないと――
 俺は、お前の周りにいる奴らを呪うからな」
「!」


 私の周りにいる人?
 それって……


――野風の事が、好きなんだ


 頭に浮かんだのは、谷瀬。
 私の返事を待っている、あの人の顔。
 谷瀬の事を思うと、カッと。
 顔に熱が溜まるのが分かった。


「人が……、ってのに……」
「あ?」


 その時、私の頭の中で、何かが弾けた。
 いや、心にしていた栓が、すっぽ抜けたんだ。
 まるで、風船から空気が抜けていくみたいに。

 空気の抜けた私の心が、すごい勢いで踊るように舞っている。そして、舞っている最中に――今まで隠していた気持ちが、口を割って、次々に出て来た。


「そうだよ……。朝日の姿を見て、辛い時もあったよ。なんで私だけ生き残ったの?って思ったよ! 朝日は私を責めてないかな?って不安になったよ。だから、朝日を見たくないって思った時もあったよ!」


 私の本心を、初めて聞いた朝日。
 初めて聞いたはずなのに、まるで「知ってた」と言わんばかりに落ち着いた態度で「やっと言ったか」と。呆れたように、ため息をついた。


「”やっと”って……。朝日、私の本音に気付いてたの?」
「お前の顔見てりゃ、嫌でも分かる。だから、いつも思ってた。それだけ溜まってんのに、なんで俺に”消えて”って言わねーんだって」
「言うワケないじゃん! だって朝日は、」


 未練があって、ここにいるんでしょう?
 本当は生きたいのに、敵わなかった――
 そんな無念を抱く朝日に「消えて」なんて。
 私が朝日に、言うワケないじゃん。


「……っ」
「……悪いけど」


 ここに来て、未だ口を閉ざす私を見て、朝日は再び怖い顔をした。そして私を追い詰める言葉を、まるで挑発するように無作法に並べ続ける。


「悪いがな、俺もだよ。
 なんで俺が死んで、お前が生き残ったんだって思う日があったよ。お前の傍にいて、お前を見守るフリをしながら……お前に、良心の呵責を押し付けた日もあったさ」
「じゃあ、言えばよかったじゃん。目の前にいるんだから、直接、私に言えばよかったじゃん! なんでお前だけ助かったんだって、代われよって!」


 すると、朝日は目の色を変えた。
 今まで「睨まれている」と思っていたけど……。それは、まだまだ所の口だったらしい。今は鬼のような形相で、本当に誰かを呪いかねないオーラを出し私を睨んでいる。


「じゃあ、言ってやるよ……。会うたび会う度、自分が悪いような顔をしやがって!
 そんなに俺が可哀そうかよ! むしろ私が死ねば良かったってか!?」
「そんな事は……っ」

「な、出来ねーだろ! 俺に対して何もできねーくせに、変に同情すんじゃねぇ!
 そんな物、俺はこれっぽっちも望んでねーんだよ!」
「ッ!」


 大きな声を出した朝日。息切れをしたのか、しばらく浅い呼吸を繰り返した後――「お前なんて」と喉から絞り出したように、掠れた声で続けた。


「俺に同情し続けるお前なんて……もう、うんざりだ」


 朝日は私から視線を外した後、地面を見た。そして一瞬だけ、目を見開く。何を見たかと視線を追うと――


「影が、一つだけ……」


 この場に二人いるのに、影は一つ。
 その影が残酷で、私は再び唇を噛んだ。

 だって――

 なにをどうあがいても朝日は幽霊なのだと、もう死んでいるのだと思い知らされる。辛い現実が、これでもかと容赦なく私たちに体当たりしてくる。

 息つく間もない「死」への認知の連続――まるで広い海の真ん中に、服を着たまま落とされたみたいだ。私たちは、無事に息継ぎが出来ているだろうか。朝日は、どうだろう。少なくとも私は……もうとっくに溺れかけている。私にとって朝日の死は、未だ忘れられない、辛い出来事だ。


「なぁ、奈緒」


 しばらく影を見ていた朝日は、まるでスイッチが切れたように――声のトーンを低くした。


「今日が卒業式だっていうなら、ちょうどいい。お前なんて、あの事故の日からサッサと卒業して……俺の事なんか忘れちまえ」
「え……?」


 その時、突風が吹く。
 私の髪が大きくなびき、一瞬だけ視界が隠れた。

 だけど、次に視界が露わになった時。
 私は、見てしまう。
 朝日の姿が、足元から消えている事に。


「朝日……?」
「俺も卒業する。もうオサラバだ」
「でも、まだこの世に未練があるんじゃないの? だから幽霊になったんじゃないの?」


 すると朝日は「ハハ」と笑った。それは乾いた笑みにも聞こえたし、どこかスッキリした声にも聞こえた。


「未練か。あるとしたら、それはお前だ」
「え、私……?」

「でも、もういい。だってお前、もう一人じゃないだろ?」
「!」


 私のすぐ後ろで、告白した谷瀬が見えてるみたいに――朝日は私を見つめる。もしかして朝日は、私が告白されたって知っているの?
 

「……っ」


 自分を置いて、別の人と前に進もうとする私を、優しい笑みで見つめる朝日。その顔を見ると、涙がこぼれた。


「なに……、かっこつけてんの」
「いいんだよ、これで。俺は死んでる、お前は生きてる。遅かれ早かれ、絶対にこうなる運命なんだ。
 今日が卒業式だって言うんなら、いいじゃねーか。俺は――お前への未練を卒業するよ」


 今にも「バイバイ」って言いそうな朝日。
 このままサヨナラなんて嫌だ。
 なんとか朝日をとどめようと、私は必死に言葉を紡ぐ。


「さっきまで、私の周りを呪うとか……威勢のいいことを言ってたじゃんっ」
「あぁ、あれはウソだ」

「でも、あの怖い顔は……ウソじゃなさそうだった!」
「おい、邪推すんな」


 ホラ、死人に口なしって言うだろ――と。朝日は茶化した。朝日の「場の雰囲気を全く読まないところ」は、生前からの悪い癖だ。


「朝日は……、ズルいよ」
「そういう言葉で俺の決心を鈍らせようとするお前も、充分ズルいからな。お前の悪い癖だぞ。
 まあ、元気でやれよ。最後に思いっきりケンカ出来て、満足したわ」
「朝日……っ」


 そうか、そうだったんだ。
 初めからサヨナラするつもりで、朝日は私にキツイ態度をとっていたんだ。わだかまり無く、私の中から消えるように。全ては、私の事を思って――


「待ってよ、朝日!」


 半透明になりつつある朝日の手を握る。
 その時、握った手から「朝日の想い」が伝わって来た。


――奈緒。また、そんな顔してる
――お前が悪いわけねーだろ
――もう消えなきゃいけねぇ。じゃねーと奈緒が辛いだけだ
――でも……消えたくねぇなぁ
――まだ奈緒の傍にいたいんだ


「……っ」


 それは、朝日が幽霊になってから蓄積した「私への想い」。
 さっき、口ではあんな事を言っていたくせに。いやというほど、朝日は私の事を想ってくれていた。


「ねぇ、朝日……」
「なんだよ」


 遅いかもしれないけど。言わせて。
 さっき、ヒドイ事を言った私だけど。
 私の本心はもっとあるって、知ってほしい。


「事故に遭った日から、私は前を向いたり後ろを向いたりしたけど……。でも、いつの私も”朝日が早く消えたらいいのに”って思ったことはなかった。一度だって、なかったよ」
「さっきは俺の事”見たくない”って言ってたくせに」
「一生見たくない、とは言ってないもん」


 ズビズビと、鼻を鳴らして泣く私。そんな私を見て、朝日は呆れたように笑った。


「お前も俺から卒業しないとな、奈緒。
 俺のことは心配すんな。ちゃんと天国に行ってやるから」
「……うん」


 私も必ず行くから
 だから、待ってて

 そう答えると、朝日は私を見る。
 そして「ゲ」と。まるでマズイものを食べたように、舌を出した。


「な、なに……」
「お前さ。間違っても、俺の後を追うなよ」

「後を追う?」
「早くコッチに来るなってこと」


 私が自殺するかもって心配してる?
 すると、どうやらあたりだったようで――朝日は、私の頭を優しく撫でた。


「お前が俺に会いたくて生き急ぎ過ぎないよう、こっちで誰かに手を握っててもらえ」
「え……」

「いるんだろ? 隣にいてほしい奴が。だから今日、俺にサヨナラしにきたんだろ?」
「!」


 なんでわかったの?と。言葉ではなく、表情で伝えてしまった私。そんな私の顔を見て「相変わらずウソが下手だな」と、朝日は目を細めた。


「そんな顔すんな。俺はもう、充分なんだ。
 でも――最後に一度だけ、抱きしめさせて。
 お前に包まれながら消えるって、最高だろ?」
「何いってんだか……っ」


 泣きながら、笑いながら。
 私は、朝日に近寄る。

 もう、これが最後。
 これで最後――。

 朝日と共に過ごした思い出も。
 朝日に抱いた感情も。
 忘れるんじゃなくて、過度に思い過ぎるんじゃなくて。いつか私の記憶の一ページになるよう――ゆっくり、丁寧に畳んでいく。

 ギュッ

 朝日が、私を抱きしめる。
 もう半透明だというのに、朝日に抱きしめられてる感触がしっかりあって……。余計に、名残惜しさが募ってゆく。

 朝日、寂しいよ――

 喉まで出かかった言葉を、やっとの思いで飲み混む。
 だって私たちは、今日で最後。
 お互いを、卒業するんだから――

 最後に朝日の背中を抱きしめようと、手を伸ばす。もう少しで朝日に触れると安心した、その時だった。

 スゥ

 朝日は、消えてしまった。


「え……朝日!!」


 その場に響く、私の声。
 私、一人だけの声。


「朝日、朝日ぃ……っ!」


 ひどい、あんまりだ。せめて、私からも抱きしめさせてほしかった。名残惜しさが消えてくれない。
 こんなのってあんまりだよ、朝日!

 すると――「クク」と。
 花びらとともに、朝日の笑い声が耳に届く。


『俺を抱きしめられなくて悔しいか、ざまぁみろ』
「朝日……!」


 まるで桜の花びらが喋っているようだ。
 せっかちに咲いた花びらと、せっかちに消えて行った朝日。
 似た者同士の、桜とキミ。


『でも、これであおいこだ』
「あおいこ?」

『俺はお前を一方的に抱きしめて消えた。最後に好き勝手させてもらったぞ。
 だから――お前も好き勝手しろ。お前は生きてるんだから。いいか? 約束したからな』
「……うん、約束っ」


 その時、再び突風が吹き抜ける。
 桜の花びらは早いスピードで飛んでいき、地面を転がる空き缶は、やっとの事で重い体を動かしていた。

 花びらと、空き缶。
 それはまさしく――キミと、私。

 キミは早くに「天国」へ飛び立ち、私はゆっくり「今」を進む。これが今の私たちの関係なんだと、頬を伝わる涙が私に囁いた。


「朝日……っ」


 いつも一緒に帰ってくれてありがとう。つまらない話にも笑ってくれてありがとう。部活で凹んだ時は、慰めてくれてありがとう。

 高校生の自分を思い出した時。あなたの姿を、必ず一緒に思い出す。私の高校生活は、朝日ナシでは成り立たなかった。


「ありがとう、朝日――」


 朝日の声が消え、思い切り泣いた後。
 私は、おもむろにスマホを取り出す。そして、いつか交換した連絡先を呼び起こした。


 プルル――


「もしもし、私。まだ学校にいる?
 あのね、これから会いたいんだけど……いいかな?」


『いいけど、大丈夫?』と私を心配し、寄り添ってくれる声。私は、ゆっくり頷いた。

 朝日が死んで、私だけがこの世に生き残ってしまった時。部活にも顔を出さずに、ただ教室で「生ける屍」になっていた。そんな私に、谷瀬はいつも寄り添ってくれた。


『う……っ、うぅ。どうして私じゃなくて、朝日なの……っ』
『野風。今は、いっぱい泣けばいいから。
 大丈夫。野風は何も、悪くない。
 それでも自分を責める時は、俺も一緒に受け止める。
 だから、いつか』


 笑ってほしい、心から――


 そう言って、何度も、何度も何度も。私を支えてくれた谷瀬。

 最後の最後で、腹を割って朝日とケンカ出来たのは――きっと谷瀬のおかげだ。私の手を引き、前を向かせてくれた谷瀬がいたからこそ。朝日と最初で最後のケンカと、仲直りが出来た。

 私の手を引いてくれてありがとう、谷瀬。
 私の背中を押してくれてありがとう、朝日。

 私は、きっと。これから時間をかけて「大丈夫」になっていく。朝日を記憶の一ページに刻む時、心から笑っていられるように――


『会いたい人には会えた?』
「うん。きちんと、卒業式をしてきたよ」

『そうか。きっと、いい式だったんだろうね』
「うん、」


 そうだね――とほほ笑む私の前で、桜の花びらが仲良く舞う。

 今日は、私とキミの卒業式。
 私とキミの、大事な門出。
 お互いが前に進むための、大切な日。


【完】


私とキミの卒業式