寝ていると思っていたサリアが涙を流す俺にハンカチを手渡してくれ、それで涙を拭う。女の前で泣くのを見せるとは情けない。そう思っていると、サリアがカーナビに向かって話しかけた。
「そのお姿。さては、女神ルアンですね?」
<えっと、はい、さっきそう名乗りましたから……って現地人が居たんですね、迂闊でした……>
「何故、疑問形で……」
小さく首を傾げるサリアが尋ねると、ルアンはびくっとして敬語で返していた。
なにかあるのかと黙って様子を見ていると、彼女は続ける。
「ヒサトラさん、この方は世界を見守っているとされる女神様です。彼女がこう言っているのであれば、恐らく元の世界に戻ることは難しいと思います」
「ああ、うん、それも聞いたけど……なにが言いたいんだ?」
「はい。戻ることは難しい……だけど、こちらに持ってくることはできる。違いますか?」
<え? まあ、それはできるわね>
「なら、ヒサトラさんの母上をこちらに呼び寄せればいいのではありませんか?」
……!
なるほど賢い! 俺はサリアを見て目を丸くする。そうだ、俺が戻れないなら母ちゃんを呼べばいいのだ。
期待を込めてルアンを見ると、物凄く面倒くさそうな顔でこちらを見ていた。
「……おい」
<ハッ!? い、いや、できなくはありませんよ? しかし、今、ヒサトラさんをこちらへ呼び寄せたことで力がね、ちょーっと足りないと言いますか……!>
「もし、ここで『できない』というのであれば、わたしは女神がクズ野郎だったと言いふらすことになるでしょう」
<!? や、やめなさい、そんなことをしたら私が力を失い、消滅してしまうでしょうが!?>
「くくく……わたしはメイド、ゴシップと噂話でストレスを解消する生き物ですよ? 明日には町、明後日には国中に広まっているでしょうね」
<ひいっ!?>
サリアがくっくと笑いながらルアンを追いつめる。近所のおばちゃんかメイドは。そして消滅は嘘だろうけど、この怯え方。力が無くなると困るのは間違いなさそうだ。
ともかく頭を抱えて呻く自称女神をとりあえず置いておき、サリアに小声で質問を投げかける。
「どういうことなんだ?」
「実在するとは思いませんでしたが、伝承では人間の信仰心が大事らしいのでカマをかけてみました。どうやら当たりだったようですのでこのまま追いつめましょう」
よく分からないが好機らしいな。俺の自殺も都合が悪いようだし、ルアンのせいでここに来る羽目になったんだ、我儘を聞いてもらわねえとな。
「ルアンよ、俺はこのトラックですでに異彩を放っている。なぜ異世界の人間がここにいるかと尋ねられたらお前のせいだと言うだろうな。嘘じゃないし」
<な、なにを……?>
「そこで、ルアンの都合でこっちの世界に無理やり来た、と言えばどうなるかな?」
<あ!? そ、それだけは>
「なら、母ちゃんを呼ぶように手配をしてくれ。そうすりゃ俺もこの世界でなんとか生きてやるよ」
俺が睨みつけるとルアンは冷や汗を流しながら黙り込み、しばらく無言の時間が訪れた。
そして涙目で小さく頷いてから口を開いた。
<わ、分かったわ……確かにそっちの都合を考えないで呼んだのは軽率だったし……でも、お母さんをこっちへ呼ぶのは本気で力が無いわ。だから蓄えられるまでは待って欲しいの>
「ああ、癌が進行するまでになんとかできそうか?」
<やってみるわ。とりあえず、このカーナビは繋げておくから報告用に。……ごめんなさい……>
「鼻水を拭け。まあ、色々と聞きたいこともあるし願ったりだな」
ようやく心からの謝罪を聞けたような気がして少し気が収まる思いがした。
しかし、だ――
「……マジで帰れねえのか……」
<そうね……あの高校生が死ぬと本気で地球の損失が大きかったから……>
「まあまあ、こうなった以上ヒサトラさんはこの世界で生きていくしかありません。ファイト!」
「軽いなあ、お前……。向こうと違って食い物も生活習慣も違うし、一番の問題は金だ。仕事がすぐ見つかるとは思えねえ」
「ふむ」
他にも色々あるが衣食住に職は重要な要素で、特に金を稼がないと衣食住にありつけない。と、そこで俺はルアンがカーナビに現れた理由を聞きそびれていることに気づいた。
「そういやなんか言いたいことがあったんじゃないか?」
<ん、そうだった! とりあえず押し切られたけど、今あなたが言った通り、この世界で生き抜くために知恵を与えようかと思ったのよ。まずはこれね>
「うおお!?」
ルアンがカーナビから手をにゅっと出してきて思わずシートにべったりくっついてしまう。
物理的に手渡せるのかよと思っていると、俺の様子をケラケラと笑いながら言う。
<冗談よ、まあホログラムみたいなものね。さておいて――>
「ヒサトラさんはビビリですねえ」
「人の袖を力強く掴んでいるくせに」
「……」
俺の指摘にサリアが無言で目を逸らす。たまにいいことを言うんだが、基本的にはアホな子に見える
それはいいとして、ルアンがカーナビ画面の向こう側で目を瞑り、なにかぶつぶつと唱えた瞬間に俺の目の前に光る袋が現れて膝の上に落ちた。
「こいつは……」
<この世界の貨幣ね。お札ってないからコインばかりよ>
「偽金じゃないだろうな……?」
<ああ、大丈夫よ向こうの世界でヒサトラさんの『代わり』ができたようにこのお金もあったものとして認識されるから。で、他には――>
そしてルアンが色々と説明してくれる。
それはもうサリアの顔が興奮状態になるくらいにはやばい話を、だ。