異世界でトラック運送屋を始めました! ◆お手紙ひとつからベヒーモスまで、なんでもどこにでも安全に運びます! 多分!◆

「さて、と……今回は長距離だな。都内から福岡まで約1200km……ご安全にってか」

 一人呟いてから俺は車のキーを回してエンジンをかける。
 ゆっくりと動き出したトラックが倉庫の駐車場から道路へと出る。
 
 少し進んだところでカーナビをが目的地までの時間を語り出し、特に問題ないことを確認した俺はトランスミッターを起動して音楽を流し始める。

 俺、日野 玖虎(ひさとら)は長距離トラック運転手。
 長距離トラックというのは一人孤独を愛する男の職業なので、音楽が唯一の友人なのである。

 ……まあ、嘘だが。

 俺に友人が少ないだけだ。もちろん悔しくはない。

 それはともかく、今回は厄介な仕事だとガムを口にしながら胸中で舌打ちをする。
 現在、俺が乗っているトラックは十tなんだけど積み荷部分のコンテナが‟ウイング型”と呼ばれるもので、上にガバっと開くタイプの荷台だ。

 見た目はカッコいいのだが、実はこのタイプ、嫌われている。
 
 一番の理由は雨天の時に積み荷を降ろそうと思ったら対策をしないといけないことだろう。
 後は安全面。
 ロックをしっかりしていないと挟まれたりするしな。
 最近だと安全装置があるから、ウイングを上げたまま発進して事故みたいなことはないが、通常のコンテナであるバン型と比べたら使いたくないとは思う。

 俺はベテランと呼ばれるくらいには乗っているのでコンテナが違う程度じゃ大した差にならない。
 
 ……が、面倒は面倒。

 しかし、会社の同僚に交代を頼まれて仕方なくこいつに載っているという訳。
 
 とはいえ、俺の場合はコンテナうんぬよりも距離が問題だ。

 1000kmオーバーの仕事なんて滅多になく、帰ってきたら確実に休みを寝るだけで潰すことになるため誰もやりたがらない程疲れるのである。
 今回もたくさんの荷物を乗せているので、慎重に、かつ確実に時間通り運べるようルートも調べてある。この距離をやったことが無いわけでもないのだが――

「母ちゃん、風邪を引いているって言ってたけど大丈夫かねえ……」

 ――家に居る母ちゃんが心配だった。

 ウチは父親が早くに亡くなっていて、学生時代はそれを弄られることも多く、それが嫌で酷く荒れていた時期があった俺。

 まあ、暴走族に入って無茶してたというよくあるクソガキの典型さ。
 おかげで母ちゃんは仕事を頑張っている中、暴れ回り、心労をかけた結果……高校二年の時に倒れた。

 いや、ありゃ肝が冷えたな……そこで俺はなに馬鹿なことをやってたんだって病室で先生の話を聞きながら考えていたよ。

 そこからなんとか高校を卒業することができたが進学は諦めて母ちゃんに無理をさせないように働くことに決めた。
 でもコンビニバイトくらいしかやったことが無かった俺にできることは何か? そう考えた時、当時、無免許ながらも運転は上手かったことを褒められたことを思い出して、運送業をすることに決めたのだ。

 最初は軽トラ。
 そこから2t、4tと上げて行き、この10tクラスを操るまでになった。
 給料もかなりいいので、母ちゃんも無理させないようにできたのは本当に良かったと思う。

「……ま、親孝行はこれからなんだけどな」

 早く孫を見せろという冗談が口癖だけど、そんな相手はどこにも居ない。
 婚活とやらができるほど賢くもねえし、あるのは貯金くらいだ。

「ボチボチやるさ……って、雨か」

 嫌な天気だとは思っていたが、降って来たな。夜中で雨とはついてねえが、まあこんなことは日常茶飯事だと俺は慎重にハンドルを握る。

 そして移動を始めてから二時間ほど経過したところで、雨足が強くなってきたことに舌打ちをする俺。

「チッ、土砂降りか。ちっと飲み物でも買うか」

 コンビニにでも寄って天気情報でも調べるかと思考を切り替える。
 
 前に見える信号は青。
 
 左にコンビニが見えた、と視線を移したのが、まずかった。

「……!? 人!? 馬鹿野郎っ、こっちの信号が青だっつーの!!!!」

 ヘッドライトの向こうに見える影――

 間違いなく人間。

 よそ見をした瞬間、土砂降りの中で傘もささずにフラフラと躍り出てきたそいつは、ぴたりと立ち止まりこちらを向く。

 俺は慌ててブレーキを踏むが、感覚でわかる……これは、間に合わない……!!

 この巨体ではハンドルを切っても避けられない。
 むしろ雨で滑って横転か、家屋にぶつかり大損害が関の山。

 「ぐおおおおおおお!!! と・ま・れ・ぇぇぇぇぇぇ!」

 しかし、無常にもトラックは雨の中を滑っていく。
 これが晴れならもしかしたら止まっていたかもしれない……この運の悪さを恨みつつ、ぶつかるというところで俺は目を瞑るのだった――
 
 ――目を瞑ったままブレーキをベタ踏み。

 その直後に『ドン!』という鈍い音と共に車体が滑るように止まり、俺は急ブレーキの反動でハンドルにぶつかった。
 そのまま頭を埋めていると、冷や汗が噴きだしてくるのが分かった。
 静寂に包まれ、ワイパーの音がカタカタとなっていて逆に不気味さを醸し出している。

 終わった。

 そりゃもう色々な意味で。
 コンビニへ寄るつもりだったからスピードはそれほどのっていなかった……はずだ。しかし軽自動車でも打ちどころが悪ければ死ぬ。まして10tトラックならなおさらだろう。

「……母ちゃんすまねえ……」

 これが罰ってやつだろうか?
 散々好き勝手やってきたのを神様ってヤツは見逃しちゃくれなかったらしい。

 これでも真面目に頑張ってきたつもりだったんだがな……。
 
 いや、そんなことを考えている場合じゃない。
 まだ生きているかもしれないし外に出て確かめないと!!

 俺は慌ててトラックから降りて撥ねた人を確認しにいく。
 救急は会社で消防訓練があるからマッサージや人工呼吸くらいならなんとかできる。
 警察にも連絡をしないと、と思ったところで異変に気付いた。

「……って、あれ? 雨が止んでいる? それに……周りが木ばかりだ……俺は住宅街を走っていたはずだが……」

 そう呟きながら周囲を見渡すと――
 

「……」
「……」

「……」
「……」

 ――美少女二人に、小さい子供みたいな人間……人間か?
 なんか物騒な棍棒や剣をもったごつごつした肌の人型が目を丸くしてこちらを見ており、そして足元にはそのごつごつした肌をしたなにかが血まみれで倒れていた。

「うわああ!? な、なんだこりゃ!?」

 そこでようやく訳が分からないことに気づき、訳が分からないまま叫ぶと、我に返ったように気持ち悪い『なにか』達が騒ぎ出す。

「ギャー!」
「ギャギャギャ!!」
「OH……なんか怒ってる? いや、仲間がこんなことになったら流石にそうなるか。って、うわ!?」

 瞬間、奇妙な生き物は俺に棍棒をフルスイングしてきた!?
 
「ちょ、待て! こいつを助けるのが先決だろ!?」
「もう死んでますね……」
「そんな……!」

 いつの間にか倒れている奇妙な生物の脈を取る美少女二人が茶番を繰り広げていた。
 その間も奇妙な生物に棍棒を振り回されていて、声をかけながら回避していると、他の生物も高らかに声を上げてこちらへ向かってくるのが見えた。
 
 これはまずいと目の前の相手を蹴り飛ばしてから美少女二人へ声をかける俺。

「おい、あんたら、俺の言葉は通じるか!?」
「ええ、わかるわ!」
「こいつらはなんだ!?」
「え、ゴブリンですけど知らないんですの? っと、いけませんわね、あなた、あれは動きますか?」
 
 金髪ポニテの美少女がトラックを指しながらそう言うので、

「動くぞ、多分!」
「では私達を乗せて逃がしてください。ちょっとゴブリンに襲われてしまったんですけどあいつらは女をさらっては言葉にできないことをするのです。だから先ほどのように轢いてもらえると」
「怖いね、君!?」

 銀髪メイドがぺこりと頭を下げるが、言葉は物騒だった。しかし、ゴブリンと言われればなんとなく納得がいく。

 俺はトラックへ戻ると、助手席のドアを開けて乗るように指示する。

「さあ、行きなさい! 屍を築くのよ!」
「我々を恐怖に陥れた代償を払わせてあげてください!」
「物騒だな、おい!? くそ、なんかよく分からねえが突っ切ればいいか!?」

 ゴブリン共がトラックに接敵しようとしたところでアクセルを踏み、キュルルルという軽快な音と共に急発進。
 
「ギャヒー!?」
「グガァァァ!?」
「ゲゥエヘ!?」
「ゴベ!?」

 正面に居た何匹かと跳ね飛ばし、ギャグみたいな感じで飛んでいく。最初に轢いたやつも踏んでしまうが、叫び声をあげたところを見ると生きていたらしい。あの茶番は嘘だったようだ。

「おふぉ! はっやーい!」
「これは凄いですね。馬車の何倍速いのでしょう」

 興奮気味の二人を見て逆に冷静になれた俺は正面を見ながら問う。
 
「よく分からねえけど、どっか安全な場所はあるか?」
「この先に開けた場所がありますから、そこで一旦様子を見ましょう。……あら」
「ん?」

 金髪ポニテが後方を見てなにかに気づき声を上げたので、バックミラーを確認するとそこには必死の形相で走る馬が居た。

「ありゃ? 馬がついてきているな」
「ウチのシタタカですわね。ゴブリンの群れから逃げて来たようです」
「お前のかよ!? 助けてやれよ!!」

 結構なスピードで走っていたのでゴブリンには追いつかれていないだろうと、トラックを止めて馬を保護することに。
 ガチで競走馬レベルの加速をしていたせいか、止まった瞬間、死にそうな声で項垂れているのが不憫だったよ……。

「ひーひひーん……」
「よしよし、辛かったな。とりあえずこいつも乗せて行こう」
「乗れるんですか?」
「ああ、ここを開ければな」

 そういってウイングを開け、後部の昇降機を使って馬を乗せる。
 荷物はたくさん載っているが馬一頭が乗れないようなぎゅうぎゅう詰めって訳でもないからな。

「それじゃ、とりあえず移動するか」
「そうですね。町まで行けばなんとかなると思います。そういえばごたごたしていましたからお名前も聞いていませんでしたね」

 メイドがそんなことを言い出し、俺達は自己紹介を始めることにした。

「俺は玖虎。日野 玖虎ってんだ」
「わたくしはアグリアス=ロティリアと申しますわ」
「私はサリア。見ての通りケチなメイドでございます」
「いや、知らんけど……ま、まあ、よろしく頼む。いきなりで驚いたけど、ここは一体どこなんだ?」
 
 俺がチラリと視線だけ向けて恐る恐る尋ねてみると、予想通りというか、認めたくないというか、そんな答えが返って来た。

「ここ? ここはビルシュ国はロティリア領……すなわち、わたくしの家の領地ですわ!!」

 ……どうやら、ゲームや小説でよくあるような……異世界へと招かれた……らしい――
 馬を乗せた後、道なりにトラックを走らせること数時間。
 森を抜け、自然溢れる草原に出たところでスピードを落として周囲を見渡す。

「……どっきりとかでもなさそうだな」
「どっきりってなんですの? それより、この動く鉄の塊すごいですわね! 馬車みたいに馬が引いている訳でもないですし」
「この鉄の塊の下では相当数の馬が働かされているのですよお嬢様」
「そうなんですの!? もしやシタタカもその仲間に……」
「サラッと嘘つくな!? 後、お前は見捨てようとしたろうが!」

 臆面もなくお嬢様を騙そうとするこの銀髪メイドは油断ならねえな……。それはそうと、これからどうしたものか。
 
 どういうことか?
 
 二人を送り届けた後のことを考えないといけないのだ。少なくとも自分の知らない土地で生活するには知識が足りなさすぎる。
 そうだな……幸い言葉は通じるし、助けた礼代わりに元の世界に戻る方法を知らないか聞いてみるか?

「あー、ちょっといいか? 俺は多分、別の世界からここに来たんだと思う。さっき聞いた地名は記憶にないし、トラックも見たことないんだろ?」
「別の世界、ですか?」
「ああ……人を轢きかけて目を瞑ったらさっきの状況だった。元の世界に戻る方法とか知ってたりしないか?」

 俺がそう尋ねると、二人は困った顔でを見合わせ、お互いを指さして『お前知ってる?』みたいな顔をする。やがて俺に向きなおると首を振った。
 
「……そうか。どうしたものかなあ、こいつもガソリンが無くなったら終わりだろうし、さっきみたいなのと戦うのも難しい」
「でしたら、わたくしの家へ来ませんか? 命の恩人です、お父様に話して別世界について知っている人が居ないか聞いてみましょう!」
「そうですね。わたしからのお礼はこのなまめかしい体を好きなように使ってもらう、ということでいいですか?」
「自分を安売りをするんじゃねえって。たまたま助けただけだし気にするな。親父さんに助けてもらったらお互い様だろ? とりあえずよろしく頼むぜアグリアスさん」
「アグリアスでいいですわ、ヒサトラ」
「サンキュー。というか二人はなんであんなところに居たんだ?」
「えっと……」
「わたしから話しましょう。実は――」

 まだ予断を許さない状況とはいえ、今後の身の振り方が確保できたのは良かった。
 たまたま出てきたところがゴブリンの群れの前でお嬢様を助けたなんて出来過ぎだ。でも藁をもすがりたい状況である。
 恩を着せるようで悪いが、いいところのお嬢さんならそれなりの情報が入ると思いたいところ。
 
 こういう異世界へ行くって話は深夜アニメとかでやっていたから知識がないわけじゃない。
 よくある話だと別の人間になったり、異世界到着の直後で誰かに助けられたりするものだが、まさか助ける側になるとは思わなかったぜ。

 おっと、それはともかくサリアの話はこうだ。
 隣の領地に婚約者とやらに会いに行くため馬車を走らせていたらしい。謀略とか逃げ出したとかではなく、愛する人の下へってやつだな。
 
 距離があるらしいのでメイドと二人だけと驚いたが、護衛やお供はゴブリン強襲のどさくさではぐれてしまったのだそうだ。
 まさに九死に一生を得たと嘘泣きをしながらサリアが言う。さては結構余裕があったなこいつ……?

「護衛は助けなくて良かったのか?」
「彼らはわたくしたちと違って弱くありませんし、お父様のところへ戻って救援に向かえば良いかと。あそこからなら先に進めば町もありますし」

 らしい。
 集団だと手ごわいが冒険者なら武器もあるし逃げ切れるはずとあっさり言い放つ。異世界とはかくも厳しいものなのだと背筋が寒くなった気がした。というか耐久力は高かったけどなあゴブリン。
 
 そんな話をしながらゆっくりとトラックを走らせていくうちに、日が暮れてくる。

「っと、暗くなってきたな。町はまだなのか?」
「あと少しですね。それにしてもこの乗り物は快適で素晴らしいです」
「なんだか小さいお部屋みたいですわ。ここはベッド、ですの?」
「ああ、俺のくっさい毛布があるから近寄るなよー」
「ほう……」
「むしろ積極的にいっただと!? こら、サリア、恥ずかしいから止めろ!!」

 
 ドタバタとしながらそこから30分ほど経過したところで、ようやく人口建造物が見えてきた。
 巨大な壁が左右に伸び、大きいはずの門が小さく見えるほど高さもある。
 城壁。いや町だから町壁か? そういうやつだと思うが、さっきの奇妙な生物、ゴブリンみたいなのが闊歩している世界なら町を守るために必要な措置だな。

 門が近づいて来たのでヘッドライトを消してブレーキをかける。
 窓を開けてやるとアグリアスが顔を出して手を振りながら、こちらを見て驚愕した顔の人物へ話し出す。

 鎧兜……ゲームかってくらいステレオタイプの二人である。
 たまーにこっちをチラリと見ながら困ったようにアグリアスと見比べていた。
 まあ得体のしれない乗り物に乗ったヤツを信用するのは難しいか。

「なあ、俺は外でもいいぞ。町の近くでトラックなら簡単に襲われたりしないだろうしな」
「いえ、命の恩人を外に放り出すなどロティリア家の恥ですわ。ではわたくしが家に戻ってお父様を呼んできますから、お待ちくださるかしら?」
「ああ、全然いいぜ」
「サリア、行きますわよ」
 
 アグリアスがサリアを呼ぶが返事は無い。俺が寝台へ目をやると――

「……ぐがー」
「毛布にくるまって寝ている……! こいつ本当にメイドか?」
「この子はいつもこんな感じですから。わたくしだけ帰ってきますわ」
 
 ため息を吐いて苦笑しながら兵士に導かれて町へと入っていくアグリアス。
 もし町に入れるならとは思うが、ダメだった時のために、トラックを切り返して門から少し離れた所へ駐車しておくことに。

 途端に静かになった車内。

 俺はようやく落ち着いて頭を使える状況になったと背をシートに預ける。そのまま頭の後ろで手を組んで天井を仰ぐ。
 信じがたいことだが、ここは夢でもなんでもなく異世界。
 
 考えてどうにかなることではないけど……

「……なんでこの世界に来たんだろうな……? あの男はどうなったのかとか知りたいことは多いんだが、答え合わせをしてくれる奴が居ないんだよな」

 俺がぽつりと呟いた瞬間、カーナビから眩しい光が放たれた――
 
「な、なんだ……!?」
 
 テレビにもなる現代の便利アイテムであるカーナビが急に動作を始め、車内に光が溢れだした。
 目を開けるのも難しいほどの光を手で庇いながら、なんとか薄目でカーナビの様子を確認する。すると程なくして光は収束し、再び元の静寂さを取り戻した……と思ったのだが――

<あーあー、聞こえる? なんだそこに居るじゃない。返事くらいしなさいよ、もうー……元気ですかー!!>

 ――カーナビに知らない女の子のドアップが表示され、どっかのレスラーみたいなことを言い出した。

 俺が口をパクパクさせていると、眉を顰めたカーナビの女の子と目が合い、妙に明るい口調で話し始めた。

「ごめんねー遅くなって! いきなりこっちの世界に来て驚いたでしょ? 異世界のアイテムに通信を繋げるのが難しくってさー」

 軽い。
 最初に感じたのはその口調。ヤンキー時代にいたギャルみたいだと言えばいいのだろうか?
 口調もそうだが、声も高いので耳ざわりである……。顔は美人寄りの可愛い系で、先程のアグリアスも美人だったがこいつもかなりいい容姿だ。
 
 だが、そんなことより気になるワードが出て来たので俺はカーナビを両手で掴んで口を開く。

「お、おい! 今なんて言った!? こっちの世界に来て驚いただと? もしかしてこの状況はお前のせいか……!!」
<はい!>

 満面の笑みで答えた。
 その瞬間、俺の怒りが爆発した。

「てんめぇぇぇぇ! 今すぐ元の場所に帰せ!!」
<んああああああああああああ!? 揺れる!? ダメ、止め……おろろろろろ……>

 カーナビから顔が消えて嗚咽が聞こえて来た。
 そこからしばらく待っていると半泣きの女の子がぬっとカーナビの画面に顔を出して抗議の声を上げる。

<ふざけんな! 私とこのカーナビはリンクしているんだからそんなことしたら頭が揺れるんだっての!>
「知るか! それより元の世界に戻れるんだろうな? 体が弱い母ちゃんを置いてきてるんだ。仕事も途中放棄だし、ペナルティが発生したらせっかくここまで築き上げた信頼が無くなっちまう!」
<あー……>

 俺が一気にまくし立てて怒鳴ると、女の子が冷や汗をかきながら目を逸らす。
 嫌な予感がするがなにかしらの答えを聞くまで黙っていると――


<私の名前はルアン! 世界と世界を管理する女神よ☆ あなたは運よく異世界に召喚された勇者! さあ、魔王を――>
「いきなり自己紹介するのかよ、それにんなわけあるか!? 運は悪い方だよなどう考えても! てめぇ一体なにを隠している? 薄情しねえとカーナビぶち割って鼻血ぶちまけさせるぞ?」
<あひゅん!? ……怒らない?>
「怒るに決まってんだろ。まあ一応、内容によるとだけ言っておこうか」
 
 その言葉に冷や汗を流しながら笑顔になるルアン。
 そして俺に状況を告げる。

<……あなたが地球でひき殺しかけた高校生、彼は将来物凄い人物になる予定なの。トラックに跳ねられて死ぬと地球という世界にとっての損害がとんでもないってわけ。だから慌てて転移魔法を使ってこっちの世界へ移動させたって感じよ>
「あいつが……。なんか二ートっぽい奴だったけどなあ」
<あの子、高校生で今はいじめられているけど、将来その悔しさをバネに研究者となるのよ>
「ふうん、まあ助かって良かったって感じか? で、俺はどうなる? お前が出て来たってことは戻れるってことでいいのか?」

 俺の言葉に笑顔のまま固まり、そして最悪の事態を、告げる。

<……無理です>
「は?」
<無理です……帰れません。この移動は一方通行なんです……あなたはもう、帰ることができません>
「おい!?」
<よってこの世界で生きていくしかありません。頑張ってくださああああああああああああああい!?>

 俺は怒りのあまりカーナビをグラグラと揺らして引導を渡す。
 画面に汚物がまき散らされてルアンの絵面がやばくなっていくが、俺には関係ないと力の限りぶん回す。

「はー……はー……」
<……>

 画面には親指を立てた右腕だけが映り、本人は消えた。 
 そこで俺はようやく冷静に今の状況を思い直して体が震える。帰れない? ここから? 絶対に?
 仕事はとか荷物とかそういうものより先に、俺はやはり母ちゃんが心配になる。

 今でこそ殆ど働かずにすんでいるけど俺を育てるために酷使した体はなかなか元に戻っていないためフルタイムは厳しい。俺が居なくなったら給料も入らなくなるので生活がきつくなるだろう。

 するとそこで復活したルアンが俺に語り掛けてくる。

<一応、あなたのお仕事の代わりは別の存在が成り代わって続行しているから問題ないわ。荷物が届かないってことはないわね。なんというか分身とはちょっと違うんだけど、人ひとりが消えるという世界の因果を修正するために生まれてくるって感じかしら>
「だからそこに割り込む余地がなくなる、とか?」
<あー。賢いわね、ヤンキーだった割に! ……ちょ、ストップ。カーナビを揺らしたら必要な情報が手に入らないわよ? それでもいいのかしら>

 女神を名乗るくせに脅迫じみた取引を持ち掛けてきやがる。とりあえず手を出すのは難しいのと、情報は大事なので大人しくしておいてやるか。

「チッ……早く話せ」
<ガチで怖い!? 次にあなたのお母さまのことだけど、調べたところによると癌にむしばまれているようね。あなたが居ても居なくても、余命三年くらいって判定よ>
「な……!?」

 馬鹿な!?
 今日も元気そうだったのに、後三年だって……!

「おい、マジかよ! 本当に戻れねえのか!? 最後を看取らないと後悔しか残らねえよ……!!」
<ごめん……>

 その謝罪はなんの謝罪だろうか……。
 俺は本気で泣きながらがっくりとシートに項垂れてしまう。改心してもダメなものはダメなのか……。

「くそ……このままトラックをどっかにぶつけて俺も死ぬか……」
<ちょちょちょ……!? まってまって! それをされると私の立場が!>
「知るか! っとでも今は無理か……サリアを降ろしてから――」
「……」
「うわお!?」

 気づけば俺の傍でじっとカーナビを見るサリアが居た。
 彼女はすぐに俺にハンカチを手渡しながら静かに口を開く――

 寝ていると思っていたサリアが涙を流す俺にハンカチを手渡してくれ、それで涙を拭う。女の前で泣くのを見せるとは情けない。そう思っていると、サリアがカーナビに向かって話しかけた。

「そのお姿。さては、女神ルアンですね?」
<えっと、はい、さっきそう名乗りましたから……って現地人が居たんですね、迂闊でした……>
「何故、疑問形で……」

 小さく首を傾げるサリアが尋ねると、ルアンはびくっとして敬語で返していた。
 なにかあるのかと黙って様子を見ていると、彼女は続ける。

「ヒサトラさん、この方は世界を見守っているとされる女神様です。彼女がこう言っているのであれば、恐らく元の世界に戻ることは難しいと思います」
「ああ、うん、それも聞いたけど……なにが言いたいんだ?」
「はい。戻ることは難しい……だけど、こちらに持ってくることはできる。違いますか?」
<え? まあ、それはできるわね>
「なら、ヒサトラさんの母上をこちらに呼び寄せればいいのではありませんか?」

 ……!
 なるほど賢い! 俺はサリアを見て目を丸くする。そうだ、俺が戻れないなら母ちゃんを呼べばいいのだ。
 期待を込めてルアンを見ると、物凄く面倒くさそうな顔でこちらを見ていた。

「……おい」
<ハッ!? い、いや、できなくはありませんよ? しかし、今、ヒサトラさんをこちらへ呼び寄せたことで力がね、ちょーっと足りないと言いますか……!>
「もし、ここで『できない』というのであれば、わたしは女神がクズ野郎だったと言いふらすことになるでしょう」
<!? や、やめなさい、そんなことをしたら私が力を失い、消滅してしまうでしょうが!?>
「くくく……わたしはメイド、ゴシップと噂話でストレスを解消する生き物ですよ? 明日には町、明後日には国中に広まっているでしょうね」
<ひいっ!?>

 サリアがくっくと笑いながらルアンを追いつめる。近所のおばちゃんかメイドは。そして消滅は嘘だろうけど、この怯え方。力が無くなると困るのは間違いなさそうだ。
 ともかく頭を抱えて呻く自称女神をとりあえず置いておき、サリアに小声で質問を投げかける。
 
「どういうことなんだ?」
「実在するとは思いませんでしたが、伝承では人間の信仰心が大事らしいのでカマをかけてみました。どうやら当たりだったようですのでこのまま追いつめましょう」
 
 よく分からないが好機らしいな。俺の自殺も都合が悪いようだし、ルアンのせいでここに来る羽目になったんだ、我儘を聞いてもらわねえとな。

「ルアンよ、俺はこのトラックですでに異彩を放っている。なぜ異世界の人間がここにいるかと尋ねられたらお前のせいだと言うだろうな。嘘じゃないし」
<な、なにを……?>
「そこで、ルアンの都合でこっちの世界に無理やり来た、と言えばどうなるかな?」
<あ!? そ、それだけは>
「なら、母ちゃんを呼ぶように手配をしてくれ。そうすりゃ俺もこの世界でなんとか生きてやるよ」

 俺が睨みつけるとルアンは冷や汗を流しながら黙り込み、しばらく無言の時間が訪れた。
 そして涙目で小さく頷いてから口を開いた。

<わ、分かったわ……確かにそっちの都合を考えないで呼んだのは軽率だったし……でも、お母さんをこっちへ呼ぶのは本気で力が無いわ。だから蓄えられるまでは待って欲しいの>
「ああ、癌が進行するまでになんとかできそうか?」
<やってみるわ。とりあえず、このカーナビは繋げておくから報告用に。……ごめんなさい……>
「鼻水を拭け。まあ、色々と聞きたいこともあるし願ったりだな」

 ようやく心からの謝罪を聞けたような気がして少し気が収まる思いがした。
 
 しかし、だ――

「……マジで帰れねえのか……」
<そうね……あの高校生が死ぬと本気で地球の損失が大きかったから……>
「まあまあ、こうなった以上ヒサトラさんはこの世界で生きていくしかありません。ファイト!」
「軽いなあ、お前……。向こうと違って食い物も生活習慣も違うし、一番の問題は金だ。仕事がすぐ見つかるとは思えねえ」
「ふむ」

 他にも色々あるが衣食住に職は重要な要素で、特に金を稼がないと衣食住にありつけない。と、そこで俺はルアンがカーナビに現れた理由を聞きそびれていることに気づいた。

「そういやなんか言いたいことがあったんじゃないか?」
<ん、そうだった! とりあえず押し切られたけど、今あなたが言った通り、この世界で生き抜くために知恵を与えようかと思ったのよ。まずはこれね>
「うおお!?」

 ルアンがカーナビから手をにゅっと出してきて思わずシートにべったりくっついてしまう。
 物理的に手渡せるのかよと思っていると、俺の様子をケラケラと笑いながら言う。

<冗談よ、まあホログラムみたいなものね。さておいて――>
「ヒサトラさんはビビリですねえ」
「人の袖を力強く掴んでいるくせに」
「……」

 俺の指摘にサリアが無言で目を逸らす。たまにいいことを言うんだが、基本的にはアホな子に見える
 それはいいとして、ルアンがカーナビ画面の向こう側で目を瞑り、なにかぶつぶつと唱えた瞬間に俺の目の前に光る袋が現れて膝の上に落ちた。

「こいつは……」
<この世界の貨幣ね。お札ってないからコインばかりよ>
「偽金じゃないだろうな……?」
<ああ、大丈夫よ向こうの世界でヒサトラさんの『代わり』ができたようにこのお金もあったものとして認識されるから。で、他には――>

そしてルアンが色々と説明してくれる。
それはもうサリアの顔が興奮状態になるくらいにはやばい話を、だ。
 ルアンがペラペラとこの世界で暮らすための心得やらを教えてくれる。
 
 まず、金はそこそこ生きていける程度にはあるらしい。これで食事と宿を見つけて欲しいと。
 次に、この世界は剣と魔法、そしてサリアたちが襲われていたように魔物と呼ばれるモンスターが闊歩する場所だとのこと。 
 マンガやゲーム、小説のように『ギルド』というものが存在し、様々な職業のギルドがあるのだそうだ。

 魔物退治なら冒険者ギルドで、商人が牛耳るのが商業ギルドといった感じだな。仕事の斡旋をしてくれるハローワークみたいな場所もあるから使いたいところだ。
 俺にも魔法が使えるようになっているのは興味深いが、訓練は必要らしいや。

 そのほか――

<このトラックも魔力で稼働するように改造して、ヒサトラさんの魔力と連動しているわ。だから魔力が尽きるまでなら動かすことも可能よ。それとトラックの積み荷はそのままもらってOKだから使いなさいな。なにが入っているか分からないけどね♪ 向こうの世界の道具とか食料なら大切した方がいいかもね>
「結構積んでいるから開封も大変だがなあ。でもガソリンがいらないのは助かるな」
「異世界の道具……興味ありますね」

 サリアが目を輝かせて俺を見るが、面倒ごとになりそうなので無視しておこう。
 するとそこでルアンがサリアに対して口を尖らせる。

<サリアさん、だっけ? ヒサトラさんもそうだけど私と出会ったことは内緒でお願いね。本当なら現地人と接触する前に説明したかったんだけど、まさか即手籠めにしているとは思わなかったから>
「してねぇよ!?」
「激しかったですねえ……ポッ」
「やめろ!?」
「ゴブリンをひき殺したあの勢いが」
「そっちか!?」
<ま、まあ、なんでもいいけどトラックも奇妙な存在でなおかつ女神と会ったことがあるなんて知られたら、変な宗教系とかに絡まれるわ。気をつけなさいよ?>


 神様に会ったなんていうのはアタオカ案件だから口にしたくはない。
 
「トラックはどう誤魔化すんだよ……」
「物凄い遠い土地に居る錬金術師とか魔法使いに作ってもらった、とかでいいんじゃないですか?」
「適当ー。でも、ま、それしかないか」
<別に異世界から来たでいいかもよ。この辺ってそこまで権力とかに固執している人間は居なさそうだし>
「そこは臨機応変でいくか。他には?」
<後はおいおい確認していこうかしらね。あんたのお母さんを呼ぶ準備をするからあんまり返事はできないかもしれないけど、女神スイッチをつけておくからどうしても相談したいことがあれば押していいわよ!>

 なんかカーナビの画面にいくつかタッチパネルのスイッチがありその一つに『女神』と書いていた。雑すぎる。

「まだあるか?」
<だいたいこんなところかしら。カーナビの地図はこっちのものに変更したし。また気になったら呼んでもらえる? そこのメイド、絶対に口外するんじゃないわよ>
「へいへい」
 
 ルアンが頬を膨らませてサリアに指をさすと、彼女は手をひらひらと振りながら適当に返事をする。

<本当に大丈夫かしらね……?>

 納得がいかなそうなルアンだが、なにかをするでもなく首を振る。

<それじゃ一旦お別れよ。あ、そうそう、ヒサトラさんの武器である金属バットは強化してあるから、防衛する時は使うといいわ! それじゃあね☆>

 それだけ言うとルアンの姿が消え、カーナビには俺達の顔が映りこんでいた。正直、トラックがある時点で隠し通せるものなどなにも無いということに気付き、頭を抱える。
 こいつは隠しておくのがいいかもしれないな……? 迷彩とかねえかな? 後で調べてみるかな。
 そんなことを考えていると、サリアが顔を覗き込みながら口を開く。

「これからどうします?」
「とりあえずアグリアスとサリアには知られているからこの町ではトラックを乗り入れるよ。とりあえず仕事を探さないといけねえなあ」
「他の町に行ったりとかはしないんですか?」
「うーん、あんまり良く知らない土地はウロウロしたくないんだよな。物語だと俺みたいなのが物凄い力を持っていて魔王を倒す、みたいな話はあるけどそういうのはないんだろ?」
「あー、魔王は5000年位前に討伐されたらしいですから無いですね」

 居たんだ、魔王。
 物騒じゃない時代で良かったと思いながらシートの角度を変えてにもたれかかると目を瞑って考える。
 
 とりあえず母ちゃんについてはルアンに任せるしかない。信用できるかは五分だが、こうなっては文字通り神頼みになるな……。
 いつになるか分からないので次は俺自身の身の振り方を考えなければならない。
 そこで隣に座っていたサリアが口元に手を添えて笑っていることに気づく。

「ふふふ」
「どうした?」
「いえ、まさかあの窮地で未知の乗り物に助けられて、モノホンの女神に会えるとは思わなかったな、と思いまして」
 
 モノホンってお前いつの時代の人間だよと思ったが異世界ではまだトレンドなのかもしれないので突っ込まないでおく。

「そして私とヒサトラさんは運命共同体。秘密を抱える者同士になりましたね」
「だな、ったく面倒くさいことになっちまったぜ。とりあえずこのことを誰かに喋るとロクなことにならないと思うから言うなよ? 悪いなこんなことに巻き込んじまって」

 俺はサリアに謝罪しておく。勝手に見たといえばそれまでだが、どちらにせよルアンの都合で見る羽目になったので謝っておくべきだろう。

「しがないメイドですし、アグリアス様もトラックはご存じになっているので話す相手もおりません。まあ、私は上も下も口が堅いので余裕ですがね? どちらかと言えばヒサトラさんの方が」

 しれっと卑猥な言葉を発するサリア。というかさっき噂話が娯楽とか言っていたような気がするが……? まあいいかと話を続ける。

「そういうことを言うんじゃない……。ま、金は貰ったし、しばらくはなんとかなるだろ。アグリアスの出方にもよるけど、家は見ての通り後ろに寝床があるから町の隅でも止めて貰えれば宿代はかからない」
「なるほど、いいですね。私がこっそり屋敷から食料を拝借して届けましょうか」
「泥棒だろそれは。そういうのはいい……っと、帰って来たか」
 
 ドアがノックされ、助手席に視線を向けると笑顔のアグリアスが手を振っていた。さて、どうなったかな?