和歌連作
過ぎ去りし穏やかな日よ懐かしく、恐怖に動けぬ文字を打つのみ 

穏やかに過ごせし夏はもはやなし、恐怖に怯え震え上がるのみ

弱き人耳栓と薬頼りつつ、雷雨打ち付け一人立つなり

人はいざ何もできない砂の中、
耐えることのみ、使えし技なり

穏やかに幸味わいし過去の世を、
戦いの世はいかに見るらむ

時も世も止まることなし流る水、
青き空みて涙ながれつつ

静かなるこの世の中を眺めしに、
何もなきほど幸あるのみなり

久しぶりにこのサイトに帰ってまいりました。やはり和歌を作ってみたいなという気持ちになる時あります。不思議ですよね。なんかピンチというか、そういう恐怖のときにふらりと書いてしまうのです。
今回は四首に絞らないで、制限しないようにしてみました。絞るのも良いのですが、制限しないのも、また良いものです。
それにしても、昔読んだ方丈記とかを思い出すような1日になりました。方丈記に変わらないことのない世の中、という言葉はよく出てきましたが、まさしくそうなんだなあとおもいます。いつの間にか、人間の力では耐えられない暑さが続き、そしてもたらされた伝染病、大規模な災害の連発。変わるというのは、悪いように変わることのほうが多いんだなあと思いましたが、これも方丈記に良く似た記述がありましたね。
昔からあるものは、こうして今の時代にも通じるからあるんだなと思います。
私てきには、テレビを処分したいとか、考えています。もう脅し文句はスマートフォンさえあればよいなと思いますので。テレビは、いらないなあと思う気持ちがつよくなりました。映像は、流してもなんの意味もないですよね。ただ、他人のこととか、関係のない県のこととか流されても、意味がないなあという気がします。
それにしても、恐ろしい気候や世情が続く中、不安だらけで死んでしまいたい気持ちになる毎日ですが、こういう、ほっとした時間というのがすごく貴重なんだなあと思うようになりました。先程は落雷で、ホントに、死んでしまいたいと叫びたかったのですが、いまはほっとできる静けさです。この気持ちを忘れずにいたいなと言う気がします。
そのうち、生きているだけで価値があると言う言葉が本当になるのかもしれません。それは、思想的に価値があるのではなく、本当に生きているだけで精一杯という時代になるのではないかなということです。つまり、食べ物を得るだけで苦しいということ。確かにリモートワークはすごいですが、それには高額な費用がかかりますし。そういう貧富の差も現れるんだろうな。
だからどうしろということも私はできませんが、集団で防衛にあたれる、と言うのが人間の最大の智慧なんだそうでございます。旧人が滅んだのはそれがないからだったとか。
まあ、それはおいておいて。
とにかくですね、ほんとに本日はすごい雨が降って、不安を煽るような、そんな日になりました。それもまた、真実であることも確かなのですよね。
なんだか、今の時代を表す語は不安でしかないのではないでしょうか。
とにかく、不安なんだと思います。
それが一番良く聞かれる言葉なのかなあ。