私は大学に入学し、母から離れて一人暮らしを始めた。

 ワンルームのアパート、なんとなく私は角部屋にこだわって、しかも窓の下にベッドが置けないと嫌だと考えていた。実家からベッドとうさたんと服などを持ってきて、残りは備え付けの物や買い物をして体裁を整えた。初めての一人暮らしの部屋はスッキリといえば聞こえはいいが、がらんどうといった方がしっくりくる、そんな部屋に仕上がった。

 母は私が居ない部屋はなんだか落ち着かないからと、元住んでいたアパートの目と鼻の先、前の部屋が見える距離にある1DKの部屋に引っ越しを決意する。そんなことをされたら、愛ちゃんが会いに来てもすれ違ってしまうじゃないかと抗議しようとしたが、そこは言うのをぐっと堪えて反対はしなかった。
 ただ待っているのは辛い。来るか来ないかわからない人をなんのあてもなく、待つのは苦痛だ。それでなくても『待つ』のは不安なのだから。
 家のインターホンが鳴るたびに愛ちゃんかと思って、パジャマであろうと髪の毛が寝ぐせで立っていようとすっ飛んで出ていくと、大抵そこに居るのがガスの集金か宗教の勧誘の人で、私は大きく落胆した。愛ちゃんだと期待して違う人だった時、恐ろしいほどの脱力感に狼狽える程だった。学校の体育で五十メートルランを繰り返しさせられたときだってあんなに動けなくはなかった。
 ある日、ガスの集金も引き落としにしてくれと唐突に母へ訴えたりして「いきなりなんなの?」と怪訝がられたが、とにかく訪問者に毎度落胆するのはしんどかった。だから私は家から通えなそうな大学を選んだのだ。淡い期待と大きな絶望を繰り返すことから解放されたかった。
 そんな日々から私だけ大学入学という言い訳を作って逃げ出して、母だけ今までのところに住んでくれというのは酷なことなのではないかと考えて、母の引っ越しの荷造りを手伝うことにしたのだ。

 母の荷物は、洋服以外は案外少なく、私からプレゼントされた紙粘土の花瓶とか、私に関わるものがほとんどで、それなのに私も母もそこに愛ちゃんを見つけてしまっては手が止まっていた。
 紙粘土の花瓶は愛ちゃんが花を活けてくれたし、小学校入学時の母とのツーショット写真は愛ちゃんが撮ってくれたもの。
「花瓶さ、捨てちゃっていいよ」
 いびつな形のショッキングピンクに染められた花瓶を母は黙って見つめていたから、私はそう言った。色の鮮やかさは失われているのに、その花瓶はショッキングピンクだとわかる。これは記憶補正だ。愛ちゃんが鼻歌を歌いながらキッチンにそれを置く姿だって見えている、それもまた記憶補正。もうないものを見せるなんて、酷い話だ。切なさが増す。
「でも、母の日に初めてくれたのに」
「アルバイト代で花瓶を買ってあげるから」
「でも、こういうのって二度と作れないのよ」
 人間関係の諦めはさっぱりしているくせに、私からプレゼントされた手作りの花瓶には執着してみせる母がちょっとだけ面白い。一度手放したら戻ってこないのは変わらないはずなのに。