そんな日々を送っていた私にある日、お父さんが出来た。
 もちろん、私がこの世に存在する以上、生物学上の父はいるはずだが私は会ったこともないし、写真すら見たことがない。顔は母に似ているし、脚の形も母と同じX脚。ただ、指の形はたぶん父親に似ているのだと思う。母とは似ても似つかぬ形だから、間違いない。指先に宿る痕跡だけが母親と父親と私を繋いでいた。
 母が私をしっかり愛してくれたし、私は不幸ではなかったので、指先ほどの父親で不満はなかった。漠然とした淡い父親への憧れもないわけではなかったが、どうしても欲しいと思うようなものでもなかった。家族は母で満足していたし、愛ちゃんもよく遊びにきてくれていたから、補わなければいけない穴みたいなものはなかったのだと思う。でも、父親が来たなら来たで構わないし、受け入れることにしていた。
 一人目のお父さんは年中さんの時だったと思うが、たった一か月ほどでいなくなったはずなので、顔も形も覚えていない。それでも存在を覚えているのは母が「あの男、私の大切にしていたダイヤの指輪を売りに出しやがったのよ」と、深酒するたびに話していたからだろう。

 そして二人目のお父さんが来たのは年長さんももうすぐおしまいになる、冬の頃だった。
 若くてお父さんというよりお兄さんといった方がいいような感じがして、私が呼び方に迷うと「お父さんかパパって呼んで」と助け舟を出してくれた。私は迷った挙句「パパ」と呼ぶことにし、そう呼ぶとパパは本当ににっこり微笑んでくれた。
 このパパは最高のお父さんだった。なんせ、夜に一緒に居てくれるし、夕飯を作ったり、絵本を読んでくれたりもした。あの頃、私は日本昔ばなしにハマっていて、パパが読んでくれる昔ばなしにワクワクしたものだった。
 夜中、目を覚ました私をトイレに連れて行き、牛乳を入れてくれたのもこのパパだった。パパと居る時はあまり夜中に目を覚ますことがなかったので回数的には少なかったが、それでもうさたんに頼らずにそういったことをできるのは感動を覚える出来事で、愛ちゃんと同じくらいこのパパの事が大好きだった。
 パパは自分も子供の頃、一人で過ごしていたことが多かったからと、私には温かい家族を与えてあげたいなどと難しい話をしていたが、ある日を境にぷっつり居なくなってしまった。母に理由を問えば「始まったものは終わるのよ」と、酷く真面目な顔をして言ってから、私を抱きしめた。母の目に涙が浮かんでいたのをチラリと見てしまった私は、二度とその話をすることはなかったし、母も一人目のお父さんはあんなに悪く言うのに、パパの事は悪くも言わない代わりに口にすることもなかった。
 パパは今どうしているのだろうか。温かい家庭を持つことが出来たのだろうか。私にはわからない。ただ、パパ以外のお父さん達はどの人もイマイチで、私は二度とパパと呼ぶ人が出来なかったし、お父さんと呼ぶこともなかった。