初めは本当に文字通りの幸せな日々だった。夜に眠るなんて可能なのかと思ったが、私は人並みに睡眠をとることが出来、日中は睡魔に襲われなくなった。これは奇跡といっても過言ではないし、振り返ってみればパパが居たとき以来のことかもしれない。
 それに、リクは私が泊まりに行くようになっても何ら変わらずに飄々としていたし、私と性行為をしようとはしなかった。
 こんなに幸福だったのに、その幸せを事もあろうか私の方から崩していきかねない事態に陥っていく。毎日毎日、リクに包まれて眠りにつくことに慣れ始めた私は、それでは段々満足出来なくなっていった。

 やはり私は淫乱なのだ。
 こんなに大事なリクに対して、発情するようになるのだから。触れられるともっと触れてほしくて、直接触れてほしいし、性行為をしたくなるという悲しい現実。どうしてもこの幸せな空間を失いたくないのに、私の身体はそれとは反比例するような反応を示すものだから、本当に質が悪かった。
 浅ましい私の性質を大好きなリクに知られたくない、そんなことを私は本気で悩むようになっていく。
 淫乱であるという事は、せっかく出来た友人たちにも知られたくなくて、相談する相手もおらず、もちろん定期的に電話を掛けてくる母にはもっと話しにくい事柄だった。口が裂けても言えない椎名さんの事が嫌だったのに、私は行為に慣れて感じていたなんて……絶対に言いたくなかった。泣いてくれた愛ちゃんに顔向けできないとも思う、手を腫らして追い払ってくれたのに、私は淫乱だから大丈夫だったのだとは言いたくなかった。

 ある日私は大学の最寄り駅で、自分のアパートへ帰ろうかこのまま何食わぬ顔をしてリクの所へ行こうか思い悩んで動けなくなり、駅の壁にくっつく虫みたいに暫くジッとしていた。動かないとならないのはわかっていても、どちらを向いて歩いていけばいいのかわからなくなったのだ。道を知っているのに、まるで迷子だ。だってゴールがどこだかわからないのだから。
 見つめていたアスファルトに黒いシミ、これはきっと誰かに食べて捨てられたガムの慣れの果て。汚くなって見向きもされなくなったシミをぼんやりと眺めていた。
 その私の視界に見たことのない茶色の革靴が加わりそこで動かなくなったので、私はゆっくりと顔を上げた。
 若いサラリーマンだった。やや小太りだったが、見た目には気を使っているのだろう、髪形も似合っているし、髭も綺麗に剃られていた。目が下がっているし体型も手伝って狸みたいだと思ったが、愛嬌があるし目が合った時ににっこり微笑んでくれたから、印象はさして悪くなかった。
「暇なの? なんだかつまらなそうだけど」
 私は小首を傾げて答えに迷う。見ず知らずの人に暇なのかと問われていることが私には不思議で、そういう意味ではつまらなくない。なんで、そんなことを聞くのか単純に興味が沸いた。
「ご飯食べた?」
 私は素直に首振る。リクの家に行っていないのだから、アルバイトをこなした後の私はお腹が減ったままだった。
「ご飯、ご馳走してあげようか?」
 ここまで来て、私はこれが何を意味しているのか理解しだした。
 まいまいが他の子と話していたパパ活というのではないだろうか。ご飯を一緒に食べるだけでお金が貰えるんだよ、えーご飯だけなのー、あやしー、とか話していたと思う。
「パパ活?」