秋の初め、今井が私の事を茶化さなくなって少し経った頃のことだった。
 私はその月曜日、いつもにも増して死ぬほど眠かった。土曜日に珍しく一日アルバイトをして、その足でアルバイト仲間にカラオケに連れていかれてオールをし、翌日の日曜日は大学の友人まいまいに誘われてなぜか一日鎌倉観光などしていたのだ。
 鶴岡八幡宮や小町通り、その先の北鎌倉までおしゃべりの尽きないまいまいに私は一所懸命相槌を打ちながらついて行った。修行だと思えば歩くことも適度に相槌を打つことも苦ではないと、通りがかったお坊さんを見て心を引き締めた。
 深夜に帰宅した私は、そんな日でも夜は寝ずに過ごし、疲れた脚を湯船に浸かって揉みほぐしたりするのに費やす。朝になり日の眩しさに吸血鬼の大変さに同情しながら、フラフラの状態で大学に出て来ていた。

 まいまいは鎌倉の小町通りで購入した折り鶴のピアスをゆらゆら揺らしながら私の元へきて「寝不足? 私は帰ってバタンキューだったよぉ」と、私の顔を覗き込む。青いかも、などと顔色のジャッジをして、いつものロビーに連れて行き、私を色褪せた青いソファーに座らせた。
「IDカード出して。私が機械通しておくから」
 学生用のIDカードを機械に通すと講義に出席したことになるから、まいまいはただひたすら眠いだけの私を気遣って、右手を出した。そこにカードを乗せろという事らしかったが、私の思考力は霞が掛かっていてまいまいの行動の意味を理解しておらず、しばらく手をまじまじと見つめていた。時間が迫っていることもあって、まいまいは業を煮やして私のショルダーバッグから財布を抜き取り、そこに入っている私のIDカードを引っこ抜いて「終わったら返すから寝てるんだよ」と言い残すと、同じ講義を受ける友人を見かけて駆けだしていってしまう。
 机に突っ伏して教授のまったりまとわりつくような講義を聞いている方がよく眠れるのにと思っていたが、走って追いかける体力はもうなかったので、私はおとなしく言いつけを守り、目を閉じた。
 さすが『長女だから』とよく言っているだけあって、まいまいはテキパキとしていて面倒見が良い。そこまで思って、そうだ私も長女だったとうとうとしながら気がついたが、ゆらりと世界が揺れていく。
 ざわざわと人の話し声がする。話し声が多方面からすると、混ざり合って海で聞いたざあざあというさざ波のようだ。ロビーは空調が利いているので、程よい温度。
 私は目を閉じたまま船をこぎ始めた。さざ波に小舟を浮かべてゆらゆらと身を任せているのはとても心地よい。たった一人、部屋で過ごす闇の中より、瞼を通しても感じられる仄かな明るさ、一人ではないと感じられる人いきれ。
 死ぬほど眠い時、ゆっくりと眠りの波に漂うと、どういう訳か自分の体は少しずつ端から溶け出していって、ぬるぬるとアメーバーのような実態のわからない何かになったような感じになる。消えてなくなるのかもしれない。ああ、きっとそうだ。始まったものは終わるのだから。終わりの始まりは眠りの入口。このまま目が覚めなければ終わるのだ。始まったものは終わるのだから。