嫌な夢を見た。浮上してくる意識の中で太陽が私を暴き出す。東の窓から燦々と輝く太陽は嫌いで嫌いで仕方がなかった。ネズミがこちらを怪訝そうに見つめている。起きる時間を間違えたか。この太陽の位置だと間違えてはないようだ。私はひとつ欠伸を携えて、古びたバスタブから這い出る。

 父の名を知ったのはいつだっただろうか。彼がレオナルド・ダ・ヴィンチだと知ったのはいつだっただろうか。ルネサンス期に活躍したイタリアの画家だと知ったのはいつだっただろうか。もう過ぎ去った日々が、過去が多く積み重なり忘れてしまった。図書館というものが出来てから、彼を知る機会が増えた。

 私は仕舞ってあったワインを割れたグラスに注ぐ。父、レオナルドが愛したワインだ。高級なワインではない。どこでも買えるものだ。彼が持ってきた上等はものとは違う。それでも父を思い出せるそれは私の喉を潤す。大好きだった。

 つぅ…と涙が溢れる。あの時から私はなにも変わっていない。なにも変わらない。変われない。死ぬことが無い、生きているだけの屍。鍵をかけられ続ける存在。どこにも行く当てがないのだ。

 
「レオナルド……」


 彼の名を呼べるようになったのは最近だ。私は無我夢中で彼の名を呼んだ。愛していると、あなた無しでは生きられないと。それなのに彼からの返答はない。

 1519年5月2日に亡くなったあなた。最期を見届けられなかった。あなたが亡くなってからメルツィに会った。彼は優しくて食べ物と着る物を与えてくれた。そして、私を静かに追い出した。優しかったけれど共に人生を歩むことは許されなかった。私のように美しくない人間は陽に当たることは許されない。


「……どうして、私をお作りになられたの。レオナルド」


 今は1999年。もうすぐあなたの命日がやってくる。あなたが亡くなってからあなたを何度も恨んだ。恨んでも私が歳を取れないことが変わるはずがなく、あなたが蘇ることもない。なにも変わらない日々がそこに鎮座しているだけ。


「娼婦になった私をあなたは怒るかしら」


 汚い身体。つぎはぎだらけのこの身体で娼婦だなんて笑ってしまうわね。それでもお金を稼ぐ為には仕方がないの。美しいとあなたは言ったけれど、そんなことない。これまで生きてきてよく分かる。私は醜い。醜くて仕方がないの。

 それなのに……、あの絵を多くの人が美しいと言う。美しい、と。


「レオナルド・ダ・ヴィンチに」


 私はグラスを天に掲げた。