客が途切れた一瞬の隙を見て、手の届くところに置いてあるグラスを手に取る。確かにここは違法売春宿だが、今まで生きてきた場所の中ではいい方だ。少量のパンが与えられ、水分にも困らない。果物屋の店先で盗みを働いていた時の屈辱とは大違いだ。本が読めて、食に困らない。いつだって私は飢えを感じていた。肌を突き刺す寒さに泣いていた。この作り物の膣に与えられる異物感など耐えられる。

 そう自らを奮い立たせ、また本を捲る。爪先で文字を撫ぜた。父はよく本を読み聞かせてくれた。世界のありとあらゆるものに興味を抱いていたレオナルドはいつだって、知識を身につければ世界の見方が変わると仰っていた。父が亡くなってから、私の友達は本と猫だけになった。レオナルドは猫は完璧な生き物だ、と言っていたから私はいつだって猫を愛でた。あなたを感じられたから。でも、レオナルド、猫は完璧ではないわ。いつだって私より先に亡くなるのだから。

 また足の付け根にある入り口を撫でられる。ずぶり、侵入してくる肉片。蹂躙され、物として扱われるこの行為。レオナルドはこの行為を私に語ったことなどなかった。私は父が亡くなってから道端で甲高い声を上げる雌猫を見て知った。本来は交尾をして命を授かるのだと知る。すべて父が亡くなってからのことだ。


「あぁ…いい穴だな」

 
 男の腰の動きに合わせて、さっき飲んだ水が揺れる。グラスに入った水は縁を描きながら、かたかたと音を立てる。私はそのグラスを手で支えた。

 レオナルドはどう命を授かったのだろうか。愛で溢れていたのだろうか。あなたは鳥を買うと食べずに逃していたような人。慈愛に満ちた人だった。愛されて育ったのでしょうね。

 レオナルドを愛しているのに憎い。憎いのに愛しい。私の心はあなたが命を注いだ学問のように難解なのよ。
 

 ぐちゅり。痙攣する肉片と荒い呼吸音が私の鼓膜に届く。抜かれた性器と吐き出された欲望。人間は恐ろしいと感じる。動物は目的があって交尾をする。種の保存だ。けれど、人間は快楽の為だけに肉体を繋げることがある。まさにこの売春宿がそれだ。何世紀と時が経過しても、人間はこの行為だけは正当化する。人造人間の私にとってはそれは理解出来ないことのひとつだった。


「……」


 仕切られた隣の区画から、女性の吐息が漏れ出る音が聞こえる。売春は初めてだろうか? 初々しいその声はまさに雌だった。

 父は誰かと身体を交えたことがあるのだろうか。父に子供はいたのだろうか。



「……私のことを愛していたのかしら」