駅前通りの脇道の商店街、あの古いビル。あった。あの看板、「占い 未来の窓」。僕は階段を登った。
四階。薄暗い廊下。一番奥のドア。開けてみた。今日も、カギはかかっていなかった。
薄暗い。ほのかな灯り、蝋燭の火だ。
「お待ちしてました」
声がした。年配の、女の人の声。同じだ。この前と同じだ。
僕は部屋の中に進んだ。アンティーク調の立派なテーブルと椅子。テーブルの上の二本の蝋燭。その間に見える、ベールを被った女性らしき姿。
「お願いです。僕の話を、聞いてください」
占い師さんが微笑んだ、ような気がした。
「そこに、おかけください」
優しそうな声。僕は椅子を引いて、そこに座った。
「どうぞ、お話しください」
「あ……ありがとうございます」
そう答えた途端、わけのわからない感情が押し寄せて来た。うれしいのか、悲しいのか、安心したのか、不安なのか。
僕は泣いていた。泣きながら、いっきにまくしたてた。今までの出来事の、すべてを。
それから、一番心配なことを、占い師さんに訊いてみた。
「里木さんはどうなってしまったんですか? 無事なんでしょうか」
これから起こることを過去形で訊くのはおかしいかもしれない。でも僕にはそんなことを考えている余裕はなかった。
占い師さんが話し始めた。
「12月24日ですね。その日、確かに大きな地震がありました」
ありました? 過去形? やっぱりこの人も……
「あなたも、あなたも未来から過去に、さかのぼっているんですか?」
訊いてみた。僕はまだ泣いていた。泣きながらしゃべっていた。
「さあ、どうでしょう……」
答えてくれない。占い師さんが続けた。
「その地震で、どこかの駅で、女子大生が階段から落ちた、ということがあったような気がします」
「そ……それで、その人は?」
「確か……亡くなったと……」
ああ、やっぱり、やっぱり里木さんは……
「どうすれば……どうすればその人を、里木さんを助けることができるんですか?」
待ち合わせの時間を変えようとしたことは話していた。
「前に、過去も未来もすでに存在していて、人間の心、魂が、過去から未来へと進む時間の流れを感じている、というお話をしましたね」
そうだ。よく理解できなかったけど、前に来た時、占い師さんはそんなことを言っていた。
「はい、聞きました。でも、未来がすでに存在しているなら、その未来を変えることはできないということですか?」
「……そうかもしれません」
やっぱりダメなのか。僕は里木さんを救えないのか。
「結果というのは……」
占い師さんが話を続けた。
「結果というのは、原因があっての結果です。過去、未来ということではなく、結びつき、そう、原因と結果の結びつき……」
占い師さんがまた微笑んだ、ような気がした。
「その、結びつきを変えれば……」
結びつきを変える?
「時間の流れを感じるということは、電車に乗っているようなものだというお話をしましたね。同じ例えを使うなら、電車を乗り換えるのです。乗っている電車が違えば、到着する駅も違ってきます」
やっぱり、よくわからない。でも、でも未来は変えられる、つまり里木さんを助けることはできる、そう聞こえた。
「……あるいは、その結びつき自体を、断ち切らなくてはならないかもしれません。それができれば……」
結びつきを断ち切る?
「春の訪れは、冬の終わりを意味します」
春は……僕? そして冬は里木さんのこと? ということは、僕のせいで?
「結びつこうとした春と冬の、その結びつきを、断ち切ることができれば……」
「具体的に、どうすればいいんですか?」
「さあ……私にできることは、ここまでです。あとは、あなた次第です」
同じ言葉を前にも聞いたような気がする。
「一つだけ言っておきますと、結びつきとは、心と心、魂と魂の結びつきのことです。現象のことではありません」
やっぱりわからない。
蝋燭の明かりが消えて真っ暗になった。
「もう一つだけ訊いてもいいですか」
「はい」
声だけ聞こえた。
「里木さん、いえ、その女子大生以外に……」
「大丈夫です。その女子大生以外に、お亡くなりになったり、大きなけがをなさった方は、いません」
「え? は、はい。あ……ありがとうございました」
僕の言いたいことがわかったのか。
「さあ……お行きなさい」
声がした。僕は立ち上がってドアに向かった。ドアを開けながら奥のテーブルを振り返った。真っ暗で、やっぱり、占い師さんの姿は見えなかった。
ビルから表へ出た。もう大学へ行く気にはなれなかった。そのままアパートへ戻って、敷きっぱなしになっていた布団の上に寝転んだ。
占い師さんの言葉を思い出した。
「電車を乗り換えるのです。乗っている電車が違えば、到着する駅も違ってきます」
電車を乗り換える……僕は、どうすればいい? どうすれば里木さんを助けられる?
待ち合わせの時間を変えて、駅の階段の下で待っているくらいじゃ、電車を乗り換えたことにはならないのだろうか?
「あるいは、その結びつき自体を、断ち切らなくてはならないかもしれません」
そもそも会わなければいい、ていうことか? 里木さんと会う約束をしなければ……
今日、ていうのは、僕がすでに通過してきた今日、12月22日の朝、僕は里木さんにラインをした。
『大学来てますか? 心配してます』
大学の昼休みに返信がくる。そして、里木さんと24日に会う約束をする。
今日、僕にとっての今現在の今日、僕は里木さんにラインはしていない。ということは当然、里木さんからの返信もない。里木さんと24日に会う約束をすることもない。
目覚まし時計を見た。時計の表示は「11:55」。もうじき大学の昼休みの時間だ。
これでいいんだろうか……このまま僕が何もしなければ、24日の朝は、里木さんは自分の家にいて、駅の階段から落ちてしまうこともないのだろうか……
12時。大学の昼休みの時間になった。
「テロリン」
スマホが鳴った。僕は起き上がってスマホを手に取った。
里木さんだ。里木さんからのラインだ。
『ごめんなさい。ここのところ体調が悪くて大学を休んでました』
どういうことだ? 今日、僕は里木さんにラインをしてないのに。
続けてラインが入る。
『ひょっとして、青空台で待っていてくれたんじゃないかと思って』
そういうことか。里木さんの方も、僕を気にしてくれてたんだ。でも……
僕は答えなかった。どう答えればいいのか、わからなかった。
しばらくして、またラインが入った。
『明後日、24日にお会いできませんか?』
え? 里木さんの方から? どうして……
『この前は、ご迷惑をおかけしてしまったと思います。それで、お詫びをしたいと思って。ちょうど、クリスマスイヴですし』
お詫び? クリスマスイヴ?
『午後は予定があるので、午前中にお会いしたいのですが』
里木さんが……里木さんが誘ってくれている。僕のことを、誘ってくれている。でも……
『だめでしょうか?』
だめな……わけない。わけない、けど。
僕は、駅の階段から落ちた里木さんの足元にあった紙袋からこぼれ出ていたクッキーを思い出していた。あれはきっと、里木さんが僕のために焼いてくれたのだろう。僕のために、朝早く起きて……
僕は、くちびるを噛みながら、メッセージを打った。
『だめです。会えません』
そう打った。
里木さんからメッセージが入った。
『この前のこと、怒ってますか? あんなことしてしまって、ほんとうにごめんなさい』
謝ることなんてない……でも、どうすれば……どうすればいいんだろう。
しばらくしてまた、里木さんからのラインが入った。
『私のこと、嫌いですか?』
そんなことない。そんなことないけど……どうしよう。どうすればいい……
「結びつき自体を、断ち切らなくてはならないかもしれません」
占い師さんの言葉を思い出した。
「結びつきとは、心と心、魂と魂の結びつきのことです。現象のことではありません」
そうか……そういうことか。
僕は布団の上に正座しなおした。そして、大きく深呼吸をした。
『慶野君に振られたから、次は僕ですか? 僕は慶野君の代わりですか?』
そう打った。指か震えた。でも。それでも。
『そんなつもりはありません』
里木さんからの返信が入る。
里木さんの表情が目に浮かぶ。あの時の、僕の肩に額をあてて、泣いていた、あの時の表情が……
泣いてた。僕は泣いてた。里木さんも、きっと。
僕はもう一度、大きく息を吸い込んで、ラインを打った。
『誰でもいいんですか? 僕は、そういう里木さんが嫌いです』
里木さんからの返信はない。
僕はもう一度、ラインを打った。
『僕は、里木さんが嫌いです。だから、会いたくありません』
里木さんから、最後の、たぶん最後の、ラインが入った。
『わかりました』
泣いていた。僕は思いっきり、泣いていた。
僕はもう、雑貨店へは行かなかった。里木さんへのプレゼントを買う必要もなくなったから。
いつき庵へ電話して、バイトも休ませてもらった。
「その女子大生以外に、お亡くなりになったり、大きなけがをなさった方は、いません」
占い師さんはそう言っていた。きっと藤川さんも、大将も、雑貨店の店員さんも、それに慶野君も福波さんも、無事でいられるんだろう。そう思った。でも……それでも、僕の涙は止まらなかった。
夜、23時55分。
僕は布団の上に正座した。ケースからラピスラズリの粒を取り出す。そして手のひらの上に乗せて、願った。改めて願った。
「里木さんが無事でありますように。藤川さんも、大将も、慶野君も、福波さんも、雑貨店の店員さんも、みんな、無事でありますように」
間もなく僕は、眠りに落ちた。
「ピピピ、ピピピ、ピピピ」
目覚まし時計の電子音で目を開けた。手を伸ばして目覚まし時計の電子音を止める。時計の表示は「6:00」。
その下の日付は……「12/21」。
12月21日に……戻った。また一日、戻った。そうか……やっぱりそうか。遠ざかる。僕は、12月24日から遠ざかっている。
ラピスラズリの粒を入れたケースも、ない。あのラピスラズリの粒を買ったのは、二回目の12月21日、今日だ。だから今は、あのラピスラズリの粒も、ない。
あの粒がなければ、僕はもう未来へ向かうことはできないかもしれない。
それでもいい。そう思った。僕はこのまま、過去に向かい続ける。
思い出していた。あの、12月19日のこと。後悔した。どうしてあんな対応しかできなかったのか。里木さんを、受け止めてやることができなかったのか。
そして、そのもっと前のことも、思い出した。後悔することばかりだった。
あの日々に、僕はもどって行くのか……
それなら。それならそれでいい。もう一度、もう一度やりなおせるなら。
僕の中に、ある「思い」が生まれていた。ぼんやりとしたその思いは少しずつ形になってゆく。結晶してゆく。そしてとうとう、僕はそれを明確に認識した。それは、「決意」と言ってもいいかもしれない。
僕は、大きく息を吸い込んだ。そして、起き上がった。
四階。薄暗い廊下。一番奥のドア。開けてみた。今日も、カギはかかっていなかった。
薄暗い。ほのかな灯り、蝋燭の火だ。
「お待ちしてました」
声がした。年配の、女の人の声。同じだ。この前と同じだ。
僕は部屋の中に進んだ。アンティーク調の立派なテーブルと椅子。テーブルの上の二本の蝋燭。その間に見える、ベールを被った女性らしき姿。
「お願いです。僕の話を、聞いてください」
占い師さんが微笑んだ、ような気がした。
「そこに、おかけください」
優しそうな声。僕は椅子を引いて、そこに座った。
「どうぞ、お話しください」
「あ……ありがとうございます」
そう答えた途端、わけのわからない感情が押し寄せて来た。うれしいのか、悲しいのか、安心したのか、不安なのか。
僕は泣いていた。泣きながら、いっきにまくしたてた。今までの出来事の、すべてを。
それから、一番心配なことを、占い師さんに訊いてみた。
「里木さんはどうなってしまったんですか? 無事なんでしょうか」
これから起こることを過去形で訊くのはおかしいかもしれない。でも僕にはそんなことを考えている余裕はなかった。
占い師さんが話し始めた。
「12月24日ですね。その日、確かに大きな地震がありました」
ありました? 過去形? やっぱりこの人も……
「あなたも、あなたも未来から過去に、さかのぼっているんですか?」
訊いてみた。僕はまだ泣いていた。泣きながらしゃべっていた。
「さあ、どうでしょう……」
答えてくれない。占い師さんが続けた。
「その地震で、どこかの駅で、女子大生が階段から落ちた、ということがあったような気がします」
「そ……それで、その人は?」
「確か……亡くなったと……」
ああ、やっぱり、やっぱり里木さんは……
「どうすれば……どうすればその人を、里木さんを助けることができるんですか?」
待ち合わせの時間を変えようとしたことは話していた。
「前に、過去も未来もすでに存在していて、人間の心、魂が、過去から未来へと進む時間の流れを感じている、というお話をしましたね」
そうだ。よく理解できなかったけど、前に来た時、占い師さんはそんなことを言っていた。
「はい、聞きました。でも、未来がすでに存在しているなら、その未来を変えることはできないということですか?」
「……そうかもしれません」
やっぱりダメなのか。僕は里木さんを救えないのか。
「結果というのは……」
占い師さんが話を続けた。
「結果というのは、原因があっての結果です。過去、未来ということではなく、結びつき、そう、原因と結果の結びつき……」
占い師さんがまた微笑んだ、ような気がした。
「その、結びつきを変えれば……」
結びつきを変える?
「時間の流れを感じるということは、電車に乗っているようなものだというお話をしましたね。同じ例えを使うなら、電車を乗り換えるのです。乗っている電車が違えば、到着する駅も違ってきます」
やっぱり、よくわからない。でも、でも未来は変えられる、つまり里木さんを助けることはできる、そう聞こえた。
「……あるいは、その結びつき自体を、断ち切らなくてはならないかもしれません。それができれば……」
結びつきを断ち切る?
「春の訪れは、冬の終わりを意味します」
春は……僕? そして冬は里木さんのこと? ということは、僕のせいで?
「結びつこうとした春と冬の、その結びつきを、断ち切ることができれば……」
「具体的に、どうすればいいんですか?」
「さあ……私にできることは、ここまでです。あとは、あなた次第です」
同じ言葉を前にも聞いたような気がする。
「一つだけ言っておきますと、結びつきとは、心と心、魂と魂の結びつきのことです。現象のことではありません」
やっぱりわからない。
蝋燭の明かりが消えて真っ暗になった。
「もう一つだけ訊いてもいいですか」
「はい」
声だけ聞こえた。
「里木さん、いえ、その女子大生以外に……」
「大丈夫です。その女子大生以外に、お亡くなりになったり、大きなけがをなさった方は、いません」
「え? は、はい。あ……ありがとうございました」
僕の言いたいことがわかったのか。
「さあ……お行きなさい」
声がした。僕は立ち上がってドアに向かった。ドアを開けながら奥のテーブルを振り返った。真っ暗で、やっぱり、占い師さんの姿は見えなかった。
ビルから表へ出た。もう大学へ行く気にはなれなかった。そのままアパートへ戻って、敷きっぱなしになっていた布団の上に寝転んだ。
占い師さんの言葉を思い出した。
「電車を乗り換えるのです。乗っている電車が違えば、到着する駅も違ってきます」
電車を乗り換える……僕は、どうすればいい? どうすれば里木さんを助けられる?
待ち合わせの時間を変えて、駅の階段の下で待っているくらいじゃ、電車を乗り換えたことにはならないのだろうか?
「あるいは、その結びつき自体を、断ち切らなくてはならないかもしれません」
そもそも会わなければいい、ていうことか? 里木さんと会う約束をしなければ……
今日、ていうのは、僕がすでに通過してきた今日、12月22日の朝、僕は里木さんにラインをした。
『大学来てますか? 心配してます』
大学の昼休みに返信がくる。そして、里木さんと24日に会う約束をする。
今日、僕にとっての今現在の今日、僕は里木さんにラインはしていない。ということは当然、里木さんからの返信もない。里木さんと24日に会う約束をすることもない。
目覚まし時計を見た。時計の表示は「11:55」。もうじき大学の昼休みの時間だ。
これでいいんだろうか……このまま僕が何もしなければ、24日の朝は、里木さんは自分の家にいて、駅の階段から落ちてしまうこともないのだろうか……
12時。大学の昼休みの時間になった。
「テロリン」
スマホが鳴った。僕は起き上がってスマホを手に取った。
里木さんだ。里木さんからのラインだ。
『ごめんなさい。ここのところ体調が悪くて大学を休んでました』
どういうことだ? 今日、僕は里木さんにラインをしてないのに。
続けてラインが入る。
『ひょっとして、青空台で待っていてくれたんじゃないかと思って』
そういうことか。里木さんの方も、僕を気にしてくれてたんだ。でも……
僕は答えなかった。どう答えればいいのか、わからなかった。
しばらくして、またラインが入った。
『明後日、24日にお会いできませんか?』
え? 里木さんの方から? どうして……
『この前は、ご迷惑をおかけしてしまったと思います。それで、お詫びをしたいと思って。ちょうど、クリスマスイヴですし』
お詫び? クリスマスイヴ?
『午後は予定があるので、午前中にお会いしたいのですが』
里木さんが……里木さんが誘ってくれている。僕のことを、誘ってくれている。でも……
『だめでしょうか?』
だめな……わけない。わけない、けど。
僕は、駅の階段から落ちた里木さんの足元にあった紙袋からこぼれ出ていたクッキーを思い出していた。あれはきっと、里木さんが僕のために焼いてくれたのだろう。僕のために、朝早く起きて……
僕は、くちびるを噛みながら、メッセージを打った。
『だめです。会えません』
そう打った。
里木さんからメッセージが入った。
『この前のこと、怒ってますか? あんなことしてしまって、ほんとうにごめんなさい』
謝ることなんてない……でも、どうすれば……どうすればいいんだろう。
しばらくしてまた、里木さんからのラインが入った。
『私のこと、嫌いですか?』
そんなことない。そんなことないけど……どうしよう。どうすればいい……
「結びつき自体を、断ち切らなくてはならないかもしれません」
占い師さんの言葉を思い出した。
「結びつきとは、心と心、魂と魂の結びつきのことです。現象のことではありません」
そうか……そういうことか。
僕は布団の上に正座しなおした。そして、大きく深呼吸をした。
『慶野君に振られたから、次は僕ですか? 僕は慶野君の代わりですか?』
そう打った。指か震えた。でも。それでも。
『そんなつもりはありません』
里木さんからの返信が入る。
里木さんの表情が目に浮かぶ。あの時の、僕の肩に額をあてて、泣いていた、あの時の表情が……
泣いてた。僕は泣いてた。里木さんも、きっと。
僕はもう一度、大きく息を吸い込んで、ラインを打った。
『誰でもいいんですか? 僕は、そういう里木さんが嫌いです』
里木さんからの返信はない。
僕はもう一度、ラインを打った。
『僕は、里木さんが嫌いです。だから、会いたくありません』
里木さんから、最後の、たぶん最後の、ラインが入った。
『わかりました』
泣いていた。僕は思いっきり、泣いていた。
僕はもう、雑貨店へは行かなかった。里木さんへのプレゼントを買う必要もなくなったから。
いつき庵へ電話して、バイトも休ませてもらった。
「その女子大生以外に、お亡くなりになったり、大きなけがをなさった方は、いません」
占い師さんはそう言っていた。きっと藤川さんも、大将も、雑貨店の店員さんも、それに慶野君も福波さんも、無事でいられるんだろう。そう思った。でも……それでも、僕の涙は止まらなかった。
夜、23時55分。
僕は布団の上に正座した。ケースからラピスラズリの粒を取り出す。そして手のひらの上に乗せて、願った。改めて願った。
「里木さんが無事でありますように。藤川さんも、大将も、慶野君も、福波さんも、雑貨店の店員さんも、みんな、無事でありますように」
間もなく僕は、眠りに落ちた。
「ピピピ、ピピピ、ピピピ」
目覚まし時計の電子音で目を開けた。手を伸ばして目覚まし時計の電子音を止める。時計の表示は「6:00」。
その下の日付は……「12/21」。
12月21日に……戻った。また一日、戻った。そうか……やっぱりそうか。遠ざかる。僕は、12月24日から遠ざかっている。
ラピスラズリの粒を入れたケースも、ない。あのラピスラズリの粒を買ったのは、二回目の12月21日、今日だ。だから今は、あのラピスラズリの粒も、ない。
あの粒がなければ、僕はもう未来へ向かうことはできないかもしれない。
それでもいい。そう思った。僕はこのまま、過去に向かい続ける。
思い出していた。あの、12月19日のこと。後悔した。どうしてあんな対応しかできなかったのか。里木さんを、受け止めてやることができなかったのか。
そして、そのもっと前のことも、思い出した。後悔することばかりだった。
あの日々に、僕はもどって行くのか……
それなら。それならそれでいい。もう一度、もう一度やりなおせるなら。
僕の中に、ある「思い」が生まれていた。ぼんやりとしたその思いは少しずつ形になってゆく。結晶してゆく。そしてとうとう、僕はそれを明確に認識した。それは、「決意」と言ってもいいかもしれない。
僕は、大きく息を吸い込んだ。そして、起き上がった。