「ピピピ、ピピピ、ピピピ」
 目覚まし時計の電子音で目を開けた。手を伸ばして電子音を止めて、うつ伏せの姿勢のまま時計の表示を見る。
「6:00」。朝の六時だ。
 時刻表示の下の日付を見る。その表示は……「12/22」。今日は……12月22日だ。
 僕は跳ね起きた。
 戻った。いや進んだ。一日進んだ。
 ギターケースの上のスマホの画面を開く。そこに表示された日付は……「12月22日」。やっぱり今日は12月22日だ。
 ギターケースの上に、青い粒があった。ラピスラズリ。ラピスラズリに願った思いが、通じた。
ということは……
 僕は考えた。この日、僕が何をすべきかを。僕は起き上がった。

 青空台。あの場所。白い塀沿いの歩道、ハクモクレンの木の下。僕が初めて里木さんと出会った場所。里木さんが、僕のことを待っていてくれた場所。僕はそこで里木さんを待った。
 わかっている。知っている。この日、里木さんは来ない。それでも僕は里木さんを待った。
 そしてやっぱり、里木さんは来なかった。僕は大学へ向かった。同じだ。前の12月22日と。その前の12月22日とも。やっぱり今日は、「12月22日」だ。そう思うと安心できた。
 この後僕は……そうだ。ラインだ。里木さんにラインするんだ。
 僕は里木さんにラインを送った。
『大学来てますか? 心配してます』
 すぐに返事は来ない。わかってる。返事が来るのは、昼休みだ。

 僕は大学へ行った。授業に出席したけどまったく聞いていなかった。その授業を受けるのはもう三回目だし。
 教室の前の方の席に慶野君がいるのがわかったけど、やっぱり僕は、声をかけなかった。

 午前の授業が終わった。僕は教室に一人残った。
「テロリン」
 スマホが鳴った。里木さんからの返信だ。
『体調が悪くて大学を休んでました。でも、もう大丈夫です』
『それならよかったです』
 僕は一度深呼吸をしてから、次のメッセージを送った。精一杯の勇気を振り絞って。三回目でもやっぱり。
『あさって、12月24日に会えませんか』
 里木さんから返信がきた。
『ごめんなさい。その日は会えません。その日は毎年両親と過ごすことにしてます』
 そう。わかっている。知っている。
『少しでもいいので時間取れませんか?』
 しばらくして里木さんから次のラインが入る。
『お昼から両親と買い物へ行って、それからクリスマスの準備をしないといけなくて。でも、午前中なら少し時間が取れます。午前中じゃ、ダメですか?』
 ダメなわけない。
『大丈夫です。よろしくお願いします』
 僕はすぐに返信した。
『ありがとうございます』
 うれしかった。三回目だけど、やっぱりうれしかった。
 続けて里木さんからラインが入る。
『昨日も一昨日も、青空台にいてくれたんですか?』
『ごめんなさい。この前のことがあって、ちょっと倉田さんに会いづらくなってしまって』
『倉田さんに会うのが、なんか恥ずかしくなってしまって』
 僕の方だった。恥ずかしいのは僕の方だった。
『倉田さんに迷惑かけたんじゃないかと思って。余計な心配かけて』
 迷惑なわけない。里木さんに対する心配が僕にとって余計なわけない。
 会いたい。今すぐに里木さんに会いたい。でも……今日じゃない。今日はまだ、何の準備もできていない。そうだ。これから 僕は、里木さんへのプレゼントを買いに行くんだ。

 午後の授業をパスして、僕は駅前通りの脇の商店街にある雑貨店へ向かった。
「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか?」
 僕がお店に入るとすぐにあの女性の店員さんが話しかけてくれた。この前の、そしてその前の時と同じように。この人に会うのは……四回目になる。
「昨日はありがとうございました」
 店員さんが言ってくれた。前にはなかったことだ。そうだ。昨日、というのは今の僕にとっての昨日、僕はラピスラズリを一粒買ったんだ。店員さんはそのことを覚えていてくれた。
「石を一粒入れることができる、小さなカプセルのついたペンダントをください」
「はい……中入れるのは、昨日お買い求めいただいたラピスラズリですか?」
 僕が里木さんへのプレゼントを買いに来たことは、この日の店員さんはまだ知らない。
「え……ええ、まあ」
 僕はあいまいに答えた。説明できないし。
「でしたら、こちらはいかがでしょうか」
 店員さんが何本かペンダントを出してきてくれた。
 あった。その中の一本、鎖の先にしずくの形、ティアドロップの形の小さなカプセルが付いたペンダント。
「これをお願いします」
「はい、かしこまりました」
 店員さんがペンダントを持ってレジカウンターへ向かう。
 もう一つ、もう一つだ。
「あの、ブレスレッドも見せてください」
「はい? ブレスレッドも、お買い求めですか?」
「はい。ラピスラズリのブレスレッドを」
 店員さんがブレスレッドを持ってきてくれた。ラピスラズリのブレスレッド。あの、切れてしまったブレスレッドと同じもの。里木さんが、おばあさんからもらったと言っていたのと、同じもの。少しだけ、石の粒が小さいけれど。
「これもお願いします。彼女、12月24日生まれなんです。誕生日とクリスマスが、いっしょなんです」
 先に説明しておいた。店員さんはペンダントとブレスレッドをそれぞれ別の箱に入れてきれいに包装してくれた。そして一つにはピンクの、もう一つには緑色のリボンをつけてくれた。
「彼女さんが、うらやましいです」
 店員さんが言ってくれた。三回目だったけど、やっぱり僕はてれた。

 店員さんからプレゼントを受け取って、僕は雑貨店を出ると向かいの古いビルの壁にあった看板が目に入った。
「占い 未来の窓」
 そうだ。お礼を言わないと。あの占い師さんのおかげで僕の時間はまた未来に向かって流れ始めたんだ。
 僕は階段で四階へ上り、「未来の窓」の扉を開けようとした。開かなかった。鍵がかかっているみたいだった。仕方がない。 お礼はまたの機会に。そう思って、階段を降りた。

 僕はいったんアパートの部屋に戻って里木さんへのプレゼントを置いてから、アルバイト先の「いつき庵」へ向かった。
「今日は、何か元気ね」
 藤川さんが言ってくれた。うれしかった。
 
 閉店後、夜食をご馳走になって、いつき庵を出る。アパートの部屋に戻った僕は、フローリングの上に敷いた布団に寝転んだ。
 再び不安が襲ってきた。明日は、この次の日は、きちんと、12月23日になるのだろうか。また逆戻りしてしまうことはないだろうか。
 僕は布団の上に正座し直した。ケースの中からラピスラズリの粒を取り出す。それを手のひらの上に乗せて、願った。
「明日へ行けますように。12月23日に行けますように。12月24日に、向かって行けますように」
 ラピスラズリの粒をケースに戻して、枕元に置いてから布団に潜り込んだ。
 間もなく僕は、眠りに落ちた。

「ピピピ、ピピピ、ピピピ」
 目覚まし時計の電子音で目を開ける。手を伸ばして電子音を止める。うつ伏せの姿勢のままデジタル表示を見る。
「6:00」。時刻表示の下の日付を見る。その表示は……「12/23」。
 ほっとした。安心した。正常だ。僕は正常に進む時間の中にいる。涙が出てきた。
 目覚まし時計の横を見る。スマホと、里木さんへのプレゼントの紙袋、それに、ラピスラズリの青い粒の入った小さなケース。
「ありがとうございます」
 僕はケースから取り出したラピスラズリの粒を手のひらに乗せて、お礼を言った。

 この日は土曜日で大学の授業はない。僕はアパートの部屋の掃除をして、それからギターを弾いて過ごした。
 午後3時過ぎからいつき庵へ行った。普段は大学の授業が終わってからだけど、早めに行って店の準備を手伝った。
 いつき庵からはいつもどおり夜遅くに戻る。僕はエアコンの暖房を消して、フローリングの上に敷いた布団に潜り込んだ。
 枕元を確認する。ギターケースの上に置いた覚まし時計、スマホ、ラピスラズリの入った小さなケース、そしてきれいな模様の紙袋。中には里木さんへのプレゼントの箱が二つ。
 目覚まし時計の時刻を見た。
「23:45」。もうじき明日、12月24日だ。
 枕元のギターケースの上に置いたスマホを手に取って、ラインを打つ。
『明日、よろしく』
 しばらくして、里木さんからの返信が入る。
『こちらこそ、よろしくお願いします。おやすみなさい』
 ほっとした。ほっとして、涙が出てきた。
 明日がやってくる。12月24日がやってくる。クリスマスイヴが、里木さんの誕生日がやってくる。
 もう一度読み返してから、僕も返信した。
『ありがとう。おやすみなさい』
 すぐに『既読』になった。
 スマホに表示されている時刻を見た。「23時55分」。
 僕は布団の上に正座し直した。枕元の目覚まし時計の横に置いたケースからラピスラズリの粒を取り出す。それを手のひらの上に乗せて、願った。
「明日へ行けますように。12月24日に、行けますように」
 ラピスラズリの粒をケースに戻して、枕元のギターケースの上に置いてから布団に潜り込んだ。
 間もなく僕は、眠りに落ちた。

「ピピピ、ピピピ、ピピピ」
 目覚まし時計の電子音で、僕は目を開けた。
 手を伸ばして目覚まし時計の電子音を止める。デジタル表示の時刻は、「6:00」。
 時刻表示の横の下の日付は……「12/24」。
 僕は跳ね起きた。
 来た。やっと来た。この日。12月24日。クリスマスイヴ。里木さんの誕生日。
 ギターケースの上を見た。ある。目覚まし時計とスマホ、僕のラピスラズリが入ったケース、そしてその横に、きれいな模様の入った紙袋。里木さんへのプレゼント。
 僕はもうじっとしていられなかった。
 待ち合わせ場所の里木さんの家の最寄りの駅までは一時間もかからない。待ち合わせ時間は9時だから、8時にアパートを出れば十分に間に合う。でも、待ちきれなかった。僕はすぐにアパートを出た。プレゼントの紙袋を持って。
 今から行っても、さすがに早すぎると思った。僕は駅を通り抜け、北口から大学の方へ向かった。もちろん大学に行くわけじゃない。
 空の色は、濃い青。ラピスラズリ。あの石と同じ色。歩いているうちに空が明るくなってきた。この日も快晴。少し風が強い。
 青空台。あの場所、何度も里木さんに会ったあの場所。白い壁沿いの歩道、ハクモクレンの木の下。僕はしばらくそこに立って、冷たい空気を吸った。それから再び、駅に向かった。
 駅から電車に乗って、里木さんの家の最寄りの駅へ。
 間もなくその駅に到着した。電車から降りるとすぐに、スマホで時刻を確認した。8時20分。待ち合わせの時間にはまだだいぶ早い。
 線路とホームをまたぐ形で駅舎があって、ホームの真ん中にそこへ登る階段があった。階段を登ると、すぐに改札があった。 改札の外は、左右に伸びる通路になっていた。通路の先、駅の両側に出口があるようだ。北口と南口、僕が毎朝通る駅と同じだ。
 まだ時間が早かったから、僕は駅の外の様子を見ておこうと思った。北口と南口、両方。里木さんがどちらから来るのかわからなかったから。
 どちらの出口にも外へ降りる階段があった。北口の階段を降りると、すぐに商店街になっていた。僕は引き返して南口の階段を降りた。駅前に小さなロータリーあって、その中央にはクリスマスツリーが飾られていた。ロータリーの周りには喫茶店やコンビニもあったけど、その向こうは住宅街だった。青空台ほどではないけど、きれいな住宅街だ。
 里木さんとの待ち合わせ場所は改札の前だったけど、僕は、南口、住宅街側の階段の上の通路の端で里木さんを待つことにした。そこの窓から駅前のロータリーとクリスマスツリー、それにその向こうの住宅街が見渡せたから。僕は、里木さんはきっと、そっちの方から来るだろうと思った。
 待ち合わせ時間は9時だけど、きっと里木さんは早めにやってくる。そう思った。里木さんはそういう人だ。
 8時40分。
 階段の下に、黒い髪と青いマフラーの姿がいきなり現れた。里木さんだ。僕は里木さんが住宅街の方から来るものとかってに決めつけていてずっと住宅街の方を見ていたから少し驚いた。きっと線路沿いにも道があって、そっちの方から来たのだろう。
 里木さんも僕に気が付いてくれたようだ。階段の下から僕の方を見て、微笑んだ。そして小さく右手振ってくれた。いつものように。
 うれしかった。僕はうれしくてたまらなくなっていた。僕は里木さんに向かって階段を降りようとした。里木さんも、階段を登り始めた。
 その時。
『キュンキュンキュン、 キュンキュンキュン』
 聞き慣れない電子音が響いた。僕は階段を降りる足を止めて、ポケットからスマホを取り出した。音はスマホからだ。スマホが叫んでいる。
 里木さんも立ち止まった。里木さんの持っていたスマホも同じ音を発しているみたいだ。
『ジシンデス、ジシンデス』
 スマホの声。そして。
 グラッ。揺れた。地震だ。
 僕は階段の手すりにつかまった。里木さんは、階段の途中にしゃがみ込んでいた。
「里木さん!」
 僕は里木さんに向かって叫んだ。里木さんも僕の方を見て何か言おうとした。
 グラグラグラ、グラグラグラ。大きく揺れた。
 里木さんは両手で頭を押さえてうずくまった。僕は手すりから手を離すことができなかった。
 グラグラグラ、グラグラグラ。
 揺れは少しの間続いて、おさまった。
 里木さんが立ち上がった。
「倉田さん!」
 そう叫んで、階段を駆け登って来る。僕も立ち上がった。
 二人の距離が縮む。あと三メートル、二メートル、一メートル。
 その時。
 再び、大きく揺れた。さっきより、大きく。突き上げるように。
 僕は、左手で階段の手すりにつかまりながら里木さんに向かって右手を伸ばした。里木さんも僕に向かって右手を伸ばした。
 里木さんの指。白くて細い指。あと三センチ、あと二センチ。
 届かない。あと一センチ、届かない。
 里木さんは、そのまま後ろに倒れた。僕は目をつぶった。
 グラグラグラ、グラグラグラ。揺れは続いた。
 立ち上がれなかった。目も開けられなかった。
 しばらくして、ようやく揺れがおさまった。
 僕は目を開けた。
 里木さんが……里木さんが階段の下に倒れていた。目を閉じて。
「里木さん! 里木さん!」
 里木さんは答えない。目を開けない。
 里木さんの足元に紙袋が落ちているのが見えた。そこからこぼれているのは……クッキー。いつかもらったのと、同じ、クッキー。僕のために用意してくれたのだろうか。
 僕は立ち上がって、里木さんの元へ駆け寄ろうとして……そのまま意識を失った。

「ピピピ、ピピピ、ピピピ」
 目覚まし時計の電子音で、僕は目を開けた。
 手を伸ばして目覚まし時計の上部にあるボタンを押して電子音を止める。デジタル表示の時刻は、「6:00」。
 その下の横の日付は……「12/23」。
 もどった。一日、もどった。今日は……12月23日。24日じゃない。
 よかった……と、思った。
 よかった? 何が?
 それから、泣いた。僕は泣いた。
 僕は願った。明日になりませんように。明日が来ませんように。12月24日が来ませんように。そう願った。