5 明日

「ピピピ、ピピピ、ピピピ」
 目覚まし時計の電子音で、僕は目を開けた。
 うつ伏せの姿勢になって、手を伸ばして電子音を止める。暗闇の中に見慣れたデジタル表示の時刻。「6:00」。朝の6時だ。
 時刻表示の下の日付を見る。その表示は……「12/21」。今日は……12月21日。
 僕は飛び起きた。目覚まし時計を手に取って、もう一度日付を確認する。やっぱり……12月21日だ。
 一昨日、ていうのは僕にとっての一昨日、12月23日、僕はその次の日、12月24日に里木さんと会うことを思いながら眠りについた。次の朝、僕が起きると、その日は12月24日ではなくて12月22日だった。僕は時間をさかのぼっていた。
 そして昨日、ていうのは僕にとっての昨日、二度目の12月22日の夜、僕はその次の日、12月23日がやって来るのを待っていた。でも僕は、12月23日になる前にいつの間にか眠りに落ちていたんだ。
目覚まし時計を置いてスマホを手に取る。スマホの画面に表示された日付は……「12月21日」。
 やっぱり今日は、12月21日なのだ。
 枕元に置いてあるはずの紙袋を探す。ない。やっぱり、ない。
 やっぱり今日は、12月21日、12月22日のさらにもう一日前なのだ。
昨日、いや明日? と、同じように僕は手にしていたスマホで母親に電話した。二日も続けて早朝から電話したら驚くかと思ったけど、今日がほんとうに21日なら、母親にとっては二日続けてじゃない。
今日も母親はすぐに電話に出てくれた。
「知春? どうしたの? こんな早くに」
「あの、今日……今日は、何月何日?」
「なに言ってるの? 12月21日でしょ」
 やっぱり。やっぱり21日なんだ。
「ありがとう。また連絡するから」
「え? ちょっと……」
 電話を切った。やっぱり、やっぱり母親には言えない。心配かけたくない。
 僕は昨日、いや、明日、12月22日のこと思い出した。
 朝、青空台で里木さんを待って、それから里木さんラインして、プレゼントを買って……
 では、今日は? は12月21日は? 僕は何をしていた? 思い出そうとした。
 いや、そんなことじゃない。そんなことどうでもいい。問題はそこじゃない。
 問題は……今の僕。今、こうしている僕。僕はこのまま、どんどん過去にさかのぼってしまうのだろうか。未来へは行けないんだろうか。また寝て起きると、明日は12月20日で、その次の日は12月19日なのだろうか。
 12月19日。「あのことが」あった日……
 まて。その前に今日、今日だ。今日の僕は、どうしたらいい?
 もちろん大学へ行く気にはなれなかった。青空台に行っても、この日は里木さんは来ない。里木さんには会えない。そのことはわかっている。
 病院へ行こうか? でも何科の病院へ? そもそも医者に治せるようなことなのだろうか?
それならどこへ? 誰に相談すればいい?
 その時。昨日、僕にとっての昨日、雑貨店で里木さんへのプレゼントを買った帰りに見た「占い」の看板を思い出した。たしか、「未来の窓」、だっただろうか。
「占い」というのは「未来」を知る、ていうことだ。ひょっとしたら、占いをしている人たちはみんな、今の僕と同じように未来から過去に遡っているんじゃないだろうか。だから、未来のことがわかるんじゃないだろうか。そう思った。そんなことありえない。あるはずない。でも。それでも。
 行ってみよう。「占い」のお店? に行ってみよう。行って話をきいてみよう。そう思った。
 あのお店が何時から開店しているのかわからなかった。「占い」も商売だから、10時からかな、と思った。でも僕はじっとしていられなかった。
 朝の駅の人混みを抜け、駅前通りから脇道の商店街に入る。
 あった。雑貨店の向かいのあの古いビル。あの看板。「占い 未来の窓」。
 僕は看板の脇の入り口からビルの中に入ってみた。奥にエレベーターと階段があって、その脇の壁に各階に入っているお店や 会社の事務所の名前が書かれた案内版があった。僕は「占い」の文字を探した。
 あった。四階だ。僕はエレベーターを使わずに階段を登った。
 四階に着くと、薄暗い廊下の両側にいくつかドアが並んでいるのが見えた。その一番奥、突き当りにもドアがあって、その横に看板がかかっていた。
「占い 未来の窓」。
 僕はそこまで行ってドアを開けてみた。開いた。ドアにカギはかかっていなかった。
 中を覗いてみた。薄暗い。でも真っ暗じゃない。ほのかな灯り。僕は部屋の中に入ってみた。
 灯りの正体がわかった。蝋燭だ。部屋の奥に二つ、蝋燭の火が灯されているのだ。
「お待ちしてました」
 突然、声がした。低い、女の人の声。僕は驚いて後ずさりした。その拍子にドアが閉まった。自分で閉めてしまった形だ。
「ごめんなさい!」
 急に怖くなって、そう叫びながらドアを開けようとした。
「お待ちなさい」
 再び声がした。
 僕は踏みとどまった。そうだ。占い師だ。中に占い師の人がいるのだ。驚くことじゃない。
 僕は振り返った。よく見ると、狭い部屋の奥にテーブルがあって、その上に蝋燭が二本灯っている。そして二本の蝋燭の間に……人の姿。黒いベールのようなものを被っている。まさしく占い師だ。
「お待ちしてましたよ」
 また声がした。僕を待っていたということか。まさか。「お客さんを」、ていう意味だろう。
 僕はゆっくりとテーブルの方に向かって歩いた。近づいてみると、テーブルはアンティークな感じの立派なもので、テーブルの前にこれも立派な椅子が置かれていた。
「そこにおかけください」
 僕は声に従うことにした。重い椅子を引いて、そこに腰かけた。
 テーブルの向こう座っているのは明らかに女の人だった。部屋全体が薄暗い上にベールを被っているから顔は見えない。でも、声の感じから、かなり年配の、おばあさん? のように思えた。
「困っていらっしゃいますね?」
 また、占い師さんの声がした。
 いきなり相談? そう思ったけど、その声は優しかった。なんとなく、ほっとさせるような、親近感を持たせるような声だった。
 僕は単刀直入に訊いてみた。
「はい……あの……占い師さんって、ほんとうに、その、未来のことがわかるんですか?」
「……さあ、どうでしょう」
「でも、未来のことを教えてくれるのが、占い師さんでしょ?」
 看板にも「未来の窓」て書いてあった。
「『未来』ではなく、『希望』と『教訓』を教えるのが占い師です」
 なるほど。納得しそうになる。いや、そうじゃない。
「……僕の話、信じてもらえますか?」
「信じましょう」
 間髪入れずに返ってくる。まだ何も話していないのに。かえって迷ってしまう。母親や藤川さんには話せなかった。信じてもらえないだろうし、心配かけちゃいけないと思ったから。でも、この人なら……この場限りの他人だし。
「実は僕……」
 僕は12月23日から今日まで、今日というのは僕にとって二度目の今日、12月21日まで、時間をさかのぼり続けていることを話した。
 占い師さんは黙って僕の話を聞いていた。
「信じてくれますか?」
 話し終わった僕は改めて訊いてみた。
「信じます」
 またも間髪を入れない答え。ほんとうに信じているのだろうか?
「それじゃ、いったいどうしてこんなことが起こるんですか? どうすれば元のように、ほんとうの明日に行けるんですか?」
 訊いてはみたものの、内心、そんなこと答えられるはずない、そう思っていた。でも、占い師さんは話しはじめた。
「物理学に、こんな説があります」
 物理学? なんのことだ?
「人間は、この世界が過去から未来に向かって進んでいるものと思っています。二日前までのあなたがそうであったように。それが時間です。」
「はい」
 そう。その通りだ。だから困ってるんだ。
「しかし実際には、時間というものは存在せず、過去も未来もあらかじめ存在している、という説です」
どいうことだ?
「そして人間の『脳』が、過去から未来へと順番に、その流れを『時間』として感じているのだといいます」
 わからない。実感として、わからない。
「たとえて言うなら、電車に乗っているようなものです。電車に乗っている人には車窓からの風景しか見えませんし、停車した駅のことしかわかりません。しかし実際には、その先の景色も、次に停車する駅も、すでに存在しているということです」
 なるほど。なんとなくイメージできた。
「物理学者は『脳』という言い方をしますが、私はそれを『心』、あるいは『魂』と言ってもよいと思っています」
 心……? 魂……?
「それじゃ、僕の心が、かってに過去にさかのぼっている、ていうことですか?」
「そうです。多くの人が上り電車に乗っている中で、あなたは一人で下り電車に乗っている、そういうことです」
「どうして……どうしてそんなことが起こるんですか?」
「それは、あなたの心が、つまりあなた自身が、未来へ向かうことを拒絶しているからです」
 拒絶? そんなことはない。僕は……僕は12月24日を心待ちにしてたんだ。
「拒絶なんかしてません」
 僕は反論した。
「自覚はしていらっしゃらないのかもしれませんが……その未来にたいへんな出来事があるのかもしれません。それで、そこへ行くことを拒絶しているのでしょう」
 たいへんな出来事? 里木さんに会って、里木さんに告白して、僕が振られる、ていうことか。そりゃ、ショックかもしれない、悲しいかもしれない。でも、それくらいで……
「じゃ、どうすればまた未来に向かうことができるんですか?」
「……願うこと。そこへ行きたいと、願うことです」
 願う……それだけ? だったら……
「何か、対象物があるといいかもしれません。私たち占い師はよく水晶を使いますが、水晶自体に魔力のようなものがあるわけではありません。水晶に向かって願うことで、自分の意志をそこに集中できるのです」
 なるほど……
「私にできることは、ここまでです。あとは、あなた次第です」
 占い師さんが言った。
 明かりが消えて真っ暗になった。蝋燭が燃え尽きたようだ。
「あの、お支払いは」
「けっこうです。どうぞ、ご好運を」
 声だけ聞こえた。
「え? あ……ありがとうございました」
 僕は立ち上がってドアに向かった。ドアを開けながら奥のテーブルを振り返った。真っ暗で、占い師さんの姿は見えず……もう、その気配もなかった。

 すっきりした、ような気がした。原因に納得できた、とは言い難い。それでも、人に話を聞いてもらえただけでもよかったと思った。
 それに、少し安心した。未来へ向かう方法を教えてもらえたから? いや、それよりも、占い師さんの話し方がどこか懐かしく、温かったから。たぶんそのせいだろう。
「占い 未来の窓」のあったビルから外へ出ると、僕はそのままあの雑貨店の開店を待った。
「いらっしゃいませ」
 開店と同時に店内に入った僕に女性の定員さんが声をかけてくれた。里木さんへのプレゼントのペンダントとブレスレッドをきれいに包装して、ピンクと緑色のリボンをかけてくれた定員さんだ。僕がプレゼントを買うのは明日のことだから、この日の店員さんにとって僕とは初対面、ていうことになるけど。
 僕は青くて丸い小さな石を、一粒買った。
 ラピスラズリ。ブラスレッドではなく、そのままの石を一粒だけ。手持ちのお金の事情もあって。
 店員さんはそれを小さなケースに入れて、きれいに包装してくれた。僕はケースごとズボンのポケットの中にしまい込んだ。
 その後、僕は大学へ行って二度目となる授業を受けた。授業の後、いつき庵へ行って働く。閉店後、アパートへ帰る。
 占い師さんは、僕の言うことを信じてくれた。だから僕も、信じよう。占い師さんを信じよう。そう思っていた。
 アパートの部屋に帰った僕は、フローリングの上に布団を敷いて、その上に正座した。
 目覚まし時計を見る。「23:30」。
 僕はケースからラピスラズリの粒を取り出て、それを手のひらの上に乗せた。そして、願った。声に出して、願った。
「明日へ行けますように。12月24日に向かって行けますように。どうか、未来へ向かって行けますように」
 一心に、何度も願った。願ってるうちに、いつの間にか、僕は眠りに落ちてた。