初めは、わたしが無理矢理彼女の居場所に押し入った。それでも、そんな風に思っていてくれたのか。
 わたしは嬉しくなって、スカートを握り締める手にそっと触れる。彼女はびくりとしたものの、振り払わない。

「……わたし、美月さんを下手に傷付けたくないです。教室に登校しろとかも言いませんし、嘘つきだなんて言ったりもしない。そもそも首突っ込んで何様って感じですよね。でも、……友達だから……ちゃんと、言いたいこともあります。責任を、負いたいです」

 本当の彼女を知ろうとしなかった。それにはわたしの責任もある。神様として相対することが、お互い理想を挟んでの距離感が心地良かったのだ。
 それでも、この一ヶ月過ごした時間が、全部嘘だとも思えなかった。

「前に言いましたよね? 友達だからって何でもかんでも絶対の味方って訳じゃない。間違ってたら、お互い傷付いてでもそれを伝えて、支え合いたいって」
「……支えなんて、要らないわ。本当の私には、そんな価値ないもの。何にもうまくいかなくて、全部嫌になって、逃げ出したくなる弱虫な私……あなたみたいな人には、釣り合わないの」
「釣り合うとか、そういうのは良くわからないです。でも……わたしは、美月さんの支えになりたいです。だからこれからも、変わらず会いに行きます。屋外には、入れなくなるかもだけど……神様じゃない『あなた』に、会いに行きますから」
「どうして……」
「わたしが会いたいからです。だから、美月さんも、放課後わたしに会うのを楽しみにしてくれませんか?」
「えっ」
「今は、自分を嫌いなのかもしれないけど、他人を信じるのは怖いかも知れないけど……あの日鍵を開けてくれたみたいに、わたしが歩み寄るのを許してください。わたしと一緒に、またのんびり放課後を過ごして、自分を好きになれる時間を見付けていきませんか?」

 蛍光灯に照らされた彼女の瞳が潤んで揺らぐ。夕日を受け遠くを見つめる瞳よりも、より身近に感じた。

「わたしは、いつも屋外で待っていてくれる美月さんも、今こうして保健室に居る美月さんも、どっちも好きですよ。だからもう、自分で自分を傷付けるのは、やめてください」

 わたしの言葉を聞いて、美月さんはしばらく押し黙る。けれど不意に顔を上げて、意を決したように口を開いた。

「あのね……私も、あの日、屋上の神様に会いに行ったの」
「……え?」
「だから、登校を条件に灰谷先生に屋上の鍵を借りて……でも、神様なんて、当然居なかったわ」

 何と言う偶然だろう。屋上の主だと思っていた彼女は、神様だと思っていた彼女は、わたしと同じだったのか。

「それでも、屋上の空気は好きだったわ。高い場所の澄んだ空気と、空が近い感覚。一人きりのそこでは自由を感じて、今にも飛び出したかった。まあ、その自由すら、フェンスに囲まれていたのだけど……。まるで籠の中の鳥よね」

 時折見たあのフェンスの向こうを見詰める横顔は、飛び出してしまいたいという気持ちからだったのか。
 思わずわたしは、彼女の手を強く握る。すると彼女は、振り払うでもなく楽し気に微笑んだ。

「でも私、出会えたのよ。願いを叶えてくれる神様に」
「え!? どこに居たんですか?」
「……わからない? あの日からずっと、私と屋外に居たのは誰?」
「………、わ、わたし……?」
「待っていると思ってた神様が、あんな騒音を立ててやって来るなんて思わなかったわ」

 彼女は出会いを懐かしむようにしながら、わたしの手を躊躇いがちに握り返した。

「おまけに馬鹿だし、うるさいし、突拍子ないし、距離感おかしいし。しかも高校生にもなって遊びに縄跳びって何よ」
「う……」

 彼女の言葉に、ぐうの音も出なかった。しかし彼女は、そんなわたしの反応すら楽しそうに見詰める。

「……それでも、私にとってもあなたは神様だったの。アイスだって、黄泉戸喫になるのかしらって一瞬躊躇うくらいに」
「よ、よもつへぐい……?」
「食べたらもう戻れない、死者の国の食べ物よ」
「……じゃあ、あの頃から、戻れないって覚悟してわたしと一緒に居てくれたんですね?」
「……責任、取ってくれるのよね?」
「勿論! 今日のは溶けちゃいましたし、今度一緒に三段アイスを食べにいきましょう! 人間界のよもつへぐい? です!」
「何よ、それ……」
「えへへ、めちゃくちゃ美味しいってことですよ!」

 わたし達は、どこにでも居る人間だ。狭い鳥籠のような世界に生きて、ちょっとしたことで傷付いて、苦しんで。助けを求めて神様を探して。

 そんな等身大の二人で、時には支えて凭れかかって、この世界を生きていきたい。それが今のわたし達の、神頼みではなく自分達で叶えたい願いだった。

「わたし、まだまだ一緒にしたいことがあるんです。覚悟しておいてくださいね!」

 気合いを入れて拳を握り締めた後、やりたいことをひとつひとつ指折り数えるわたしの姿に、美月さんは僅かに滲んだ涙の気配を消して微笑む。

「とりあえず夏休みですね! 海や山はマストですし、キャンプとかバーベキューもいいなぁ。あ、夏祭りとか花火大会も行きたいです! 屋上が使えたら花火特等席で見られただろうに、残念だなぁ……灰谷先生に言って、何とかなりませんかね?」
「……ふふ、あなたに付き合っていたら、いくら時間があっても足りなさそうね?」
「当然です! 卒業しても、まだまだ付き合って貰いますからね、黒崎先輩?」
「……今さら先輩はやめて、なんだか変な感じがするわ」
「えへへ。じゃあ、やっぱり美月さん、ですね?」
「ええ、あなたの前ではもう、ただの美月よ」
「……わたしのことも、名前で呼んでくれていいんですよ?」
「……、……」
「あっ、もしかして呼ばな過ぎてわたしの名前忘れました!? 白楽です! 白楽陽茉莉です!」
「……選挙じゃあるまいし、そんなに連呼しなくてもわかってるわよ」
「じゃあ……!」
「呼び方は、保留にしておくわ」
「ええー……?」

 すっかりいつもの調子に戻ったわたし達は、薄暗い保健室で炎天下の屋上と同じように語らう。
 特別だったあの空間は、魔法のようなあの時間は、あの場所だけのものではないのだと分かって、ひどく安心した。


*******