「ここ、は……?」
「保健室ですよ、黒崎さん」
「……そう。私、倒れたのね……あの子が来た気がしたんだけど……、ここまでは灰谷先生が?」
「ええ……助けて欲しくなかったって顔ですね?」
「そうね、あのまま先生が来なければ、今度こそ死ねたかもしれないもの。……でも、そうなると鍵を融通してくれた先生の責任問題になるかしら。屋上は、本来立ち入り禁止ですものね」
わたしは先生と会話する美月さんの声を、廊下から聞いた。
朦朧とした意識の中、先生に運ばれて保健室のベッドに横になった彼女を見て、わたしは驚いた。
初めて室内で見る美月さんは、本当に白くて小さくて、お人形のように作り物めいていて、存在が稀薄で弱々しく見えたのだ。
遠くを見つめる凛とした佇まい、カーディガンに隠された傷、保健室登校の黒崎さん、屋上の神様の美月さん。
色んな情報が一気に溢れて、わたしはどんな顔をして彼女に会えば良いのかわからなかった。
「屋上には、事故防止のフェンスがあります。だから危険はないと判断し、黒崎さんの願い通り、登校した日の立ち入りを特別に許可しました。……ですが、今回のようなことになるなら、鍵は返して貰います」
「そんな……!」
「僕だって、あなたのやりたいようにさせてあげたいです。ですが教師として……いえ、人として、あなたを危険に晒す訳にはいきません」
「……返さないわ。あの場所は、私達の大切な場所なの!」
「黒崎さん!」
美月さんが、保健室を飛び出して来た。そして扉の近くに居たわたしに気付き、彼女は目を見開く。そして、全て聞かれていたことを理解したのだろう、その表情はみるみる内に絶望に染まった。
「あなた……」
「えっと、ごめんなさい、立ち聞きして……その、黒崎、さん……?」
「……っ!」
そのまま駆け出そうとする腕を思わず掴むと、彼女は僅かに顔をしかめた。瘡蓋が引っ張られて痛むのかもしれない。それでも、彼女は必死に抵抗する。
「っ……離してよ!」
「嫌です!」
「聞いたでしょう? 私は、神様なんかじゃない。ただの人間なの! クラスにも馴染めない、ただの、臆病者よ……」
「全部、話してください」
「え……?」
「神様じゃなくていいんです! そりゃあ、最初は確かに神様目当てでしたけど……今は、あなたに会いに屋上に通ってるんです。わたしは、神様じゃない、ただの黒崎美月さんのことが知りたいんです」
「……ただの、私……?」
灰谷先生はわたし達の事情を察してくれたのか、保健室に二人きりにしてくれた。隣り合うベッドにそれぞれ腰掛け、改めて室内での会瀬に新鮮な気持ちになる。
「えっと、まずは改めて、自己紹介からします?」
「……三年三組、黒崎美月」
「一年二組、白楽陽茉莉! 帰宅部。得意科目は現国です! 苦手科目は英語。壊滅的なのは数学と理科、その他諸々……」
「……」
「……、……」
本当に自己紹介で終わってしまった。空気が重い。
彼女には、聞きたいことが沢山ある。けれど、今まで隠して来たものをさらけ出すのは、怖いことだろう。まずは当たり障りない質問からすることにした。
「えーと、美月さんは、どうしてセーラー服を着てるんです? うちはブレザーなのに」
「……春に、家の都合で北海道から転校してきたの。どうせ一年しか着ないんだもの、わざわざ新しく作る必要はないでしょう?」
「転校生だったんですね! 通りで見たことない制服だと思った……それに、ずっと外に居たのに色白なのも北国の人だからかぁ……納得です」
「それは関係ない気がするけど……。高三での転入なんて、中途半端よね。コミュニティは出来上がってるし、三年は進路とか、色々あるもの……」
彼女の腕の傷の原因は想像するしか出来ないが、生活環境の変化や、馴染めないことによる不登校、悪循環にも程がある。しかし彼女は淡々と、他人事のように語った。
「でも、勉強は一人でも出来たからテストは問題ないし、何なら成績上位なのよ。授業にも出ないのにそんなだから、僻まれもするけど」
「わたしは、美月さんに勉強教えて貰えて助かりました! 一人でも出来るかもしれないけど、一緒にやる勉強は楽しくないです?」
「……」
「わたしは、友達と勉強するの、好きですよ。嫌いな勉強だって、楽しい思い出が包み込んでくれるから思い返すのが苦じゃないです」
「友達と……?」
「はい。年上美人の神様みたいな先輩と、友達だなんて烏滸がましいですかね?」
「!」
美月さんは、驚いたようにわたしを見た後、僅かに視線を泳がせる。指先でプリーツスカートを握り締め、落ち着かない様子だった。
「……友達……私達が? 神様なんて、嘘をついてたのに?」
「それは、わたしが勝手に言っていただけで……」
「それでも。心地好かったの。ちっぽけな人間の美月じゃなく、屋上の神様の美月で居られる時間が。変に踏み込んで来ない距離感が。嫌な現実を、忘れさせてくれた」
「保健室ですよ、黒崎さん」
「……そう。私、倒れたのね……あの子が来た気がしたんだけど……、ここまでは灰谷先生が?」
「ええ……助けて欲しくなかったって顔ですね?」
「そうね、あのまま先生が来なければ、今度こそ死ねたかもしれないもの。……でも、そうなると鍵を融通してくれた先生の責任問題になるかしら。屋上は、本来立ち入り禁止ですものね」
わたしは先生と会話する美月さんの声を、廊下から聞いた。
朦朧とした意識の中、先生に運ばれて保健室のベッドに横になった彼女を見て、わたしは驚いた。
初めて室内で見る美月さんは、本当に白くて小さくて、お人形のように作り物めいていて、存在が稀薄で弱々しく見えたのだ。
遠くを見つめる凛とした佇まい、カーディガンに隠された傷、保健室登校の黒崎さん、屋上の神様の美月さん。
色んな情報が一気に溢れて、わたしはどんな顔をして彼女に会えば良いのかわからなかった。
「屋上には、事故防止のフェンスがあります。だから危険はないと判断し、黒崎さんの願い通り、登校した日の立ち入りを特別に許可しました。……ですが、今回のようなことになるなら、鍵は返して貰います」
「そんな……!」
「僕だって、あなたのやりたいようにさせてあげたいです。ですが教師として……いえ、人として、あなたを危険に晒す訳にはいきません」
「……返さないわ。あの場所は、私達の大切な場所なの!」
「黒崎さん!」
美月さんが、保健室を飛び出して来た。そして扉の近くに居たわたしに気付き、彼女は目を見開く。そして、全て聞かれていたことを理解したのだろう、その表情はみるみる内に絶望に染まった。
「あなた……」
「えっと、ごめんなさい、立ち聞きして……その、黒崎、さん……?」
「……っ!」
そのまま駆け出そうとする腕を思わず掴むと、彼女は僅かに顔をしかめた。瘡蓋が引っ張られて痛むのかもしれない。それでも、彼女は必死に抵抗する。
「っ……離してよ!」
「嫌です!」
「聞いたでしょう? 私は、神様なんかじゃない。ただの人間なの! クラスにも馴染めない、ただの、臆病者よ……」
「全部、話してください」
「え……?」
「神様じゃなくていいんです! そりゃあ、最初は確かに神様目当てでしたけど……今は、あなたに会いに屋上に通ってるんです。わたしは、神様じゃない、ただの黒崎美月さんのことが知りたいんです」
「……ただの、私……?」
灰谷先生はわたし達の事情を察してくれたのか、保健室に二人きりにしてくれた。隣り合うベッドにそれぞれ腰掛け、改めて室内での会瀬に新鮮な気持ちになる。
「えっと、まずは改めて、自己紹介からします?」
「……三年三組、黒崎美月」
「一年二組、白楽陽茉莉! 帰宅部。得意科目は現国です! 苦手科目は英語。壊滅的なのは数学と理科、その他諸々……」
「……」
「……、……」
本当に自己紹介で終わってしまった。空気が重い。
彼女には、聞きたいことが沢山ある。けれど、今まで隠して来たものをさらけ出すのは、怖いことだろう。まずは当たり障りない質問からすることにした。
「えーと、美月さんは、どうしてセーラー服を着てるんです? うちはブレザーなのに」
「……春に、家の都合で北海道から転校してきたの。どうせ一年しか着ないんだもの、わざわざ新しく作る必要はないでしょう?」
「転校生だったんですね! 通りで見たことない制服だと思った……それに、ずっと外に居たのに色白なのも北国の人だからかぁ……納得です」
「それは関係ない気がするけど……。高三での転入なんて、中途半端よね。コミュニティは出来上がってるし、三年は進路とか、色々あるもの……」
彼女の腕の傷の原因は想像するしか出来ないが、生活環境の変化や、馴染めないことによる不登校、悪循環にも程がある。しかし彼女は淡々と、他人事のように語った。
「でも、勉強は一人でも出来たからテストは問題ないし、何なら成績上位なのよ。授業にも出ないのにそんなだから、僻まれもするけど」
「わたしは、美月さんに勉強教えて貰えて助かりました! 一人でも出来るかもしれないけど、一緒にやる勉強は楽しくないです?」
「……」
「わたしは、友達と勉強するの、好きですよ。嫌いな勉強だって、楽しい思い出が包み込んでくれるから思い返すのが苦じゃないです」
「友達と……?」
「はい。年上美人の神様みたいな先輩と、友達だなんて烏滸がましいですかね?」
「!」
美月さんは、驚いたようにわたしを見た後、僅かに視線を泳がせる。指先でプリーツスカートを握り締め、落ち着かない様子だった。
「……友達……私達が? 神様なんて、嘘をついてたのに?」
「それは、わたしが勝手に言っていただけで……」
「それでも。心地好かったの。ちっぽけな人間の美月じゃなく、屋上の神様の美月で居られる時間が。変に踏み込んで来ない距離感が。嫌な現実を、忘れさせてくれた」