「ねえ陽茉莉ちゃん、最近何か調子いいね? テストも点数上がってるし……授業で当てられても答えられてるし。ホームルーム終わったらすぐ帰っちゃうけど、塾とか行き始めた?」

 ある日、いつもならホームルームを終えて部活に直行する星羅ちゃんが不意に近付いて来て、声を掛けてくれた。わたしは顔を上げ、帰り支度をする手を止める。

「へへ、塾じゃないんだけど……ちょっと教えて貰ってて」
「そっか、いいなぁ。わたしもお兄ちゃんに教えて貰えたら良いんだけど……あの人美術だし」
「灰谷先生だよね? 先月廊下で会ってお話ししてから、つい見掛けたら声掛けちゃうなぁ」
「ふふ、お兄ちゃん陽茉莉ちゃんのこと話してたよ。元気で可愛い子だねって」
「本当? 嬉しい! 選択教科、美術取れば良かったなぁ……」

 出会い頭の会話があれで、更には三年生の教室がある階を徘徊する変な子として認識されていないだけ有り難い。

 何だかんだ日課のように屋上に通うようになって、早一ヶ月。今では途中で誰かに見咎められることもほとんど無くなったので、忍者的スキルも格段に上がったと言える。将来は、くのいちになるのもありかもしれない。

「何かね……お兄ちゃんのクラスに不登校気味の子が居るらしくて。そのことでお兄ちゃん、家でも良く悩んでたから……。その子も陽茉莉ちゃんみたいなら、学校も楽しいだろうになぁって」
「不登校って……学校に来ないってこと?」
「ううん、何か、来てはいるけど別室で……『保健室登校』ってやつ? でも、最近は毎日登校自体はしてくれてるから、良い傾向なんだって!」
「へえ、そんなのあるんだ……。もしわたしが何かの拍子に保健室登校になったら、星羅ちゃん、遊びに来てくれる?」
「勿論! でも寂しいから、出来るだけ一緒の教室に登校して欲しい……」
「えへへ、ありがとう!」

 ついいつもの調子で星羅ちゃんとのんびり話していると、次第に教室から人が居なくなっているのに気付いた。もう放課後だ、いつもなら、それぞれ部活と屋上に行く時間。

「そういえば星羅ちゃん、今日は部活行かなくて良いの?」
「うん、今日は顧問の先生がお休みだから、練習もなしなんだ。夏休みには合宿もあるし、今日は羽根を伸ばそうと思って」

 そうだ。夏休みはもうすぐだ。あれだけ楽しみにしていたはずなのに、すっかり忘れてしまっていた。

 そして、思い浮かぶのは海や夏祭りなんかのキラキラした楽しい予定ではなく、黒い髪を靡かせる彼女のことだった。
 屋上の神様には、夏休みはあるのだろうか。帰宅部のわたしは、休みの日には学校に来ない。
 土日くらいならまだしも、長期間の休み、炎天下の無機質な屋上で、彼女はひとりぼっちで夏を過ごすのだろうか。想像して、何だか胸がぎゅっとした。

「ねえ、陽茉莉ちゃん。この後暇? 良かったら駅前に出来たアイス屋さんに行かない? 今日すっごく暑いし……あのお店、ずっと気になってたんだ」
「えっ」

 今頭の中を占めていた、約束もしていないけれど毎日会いに行く少女の姿と、目の前の、普段遊べない友達からの放課後のお誘い。
 突然の選択肢に、わたしは勝手に天秤にかけて、しばらく悩んでから小さく頷いた。


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