「美月さーん! 今日の小テスト、めちゃくちゃ自信あります、美月さんのお陰です!」
「……あなた、本当にまた来たのね」
「ふふっ、来ると見越して鍵を開けておいてくれた癖にー」
「……。閉め出してまた騒音を立てられると迷惑だもの」

 翌日の放課後、彼女は変わらずそこに居た。昨日より早く着いたからだろうか、真上からの日差しを遮る物のない屋上のコンクリートは熱く、夕方にも関わらず陽炎が揺らぐ。

 そんな中でも、彼女は夏の影のような真っ黒なカーディガンを羽織ったままだった。やはり、神様だから暑さは感じないのだろうか。

「えへへ、昨日のお礼、ちゃんと持って来たんですよ」
「お礼?」
「じゃーん!」
「……アイス?」

 わたしは鞄から、購買で選んだ二人で分けるタイプのチューブに入ったアイスを取り出す。これなら溶けても安心だ。
 チョココーヒー味は苦いコーヒーが飲めないわたしにも美味しく頂ける、ちょっとした背伸びの大人の味だった。

「はい、こんな炎天下に居たんじゃ、神様だって熱中症になっちゃいます!」

 わたしは早速アイスを半分に割り、片方を美月さんへと差し出した。しかし何故か、彼女は中々受け取ってくれない。
 手の温度でどんどん溶けていくのを感じて、わたしは思わず、汗一つかいていない彼女の頬へとそれをくっ付けた。

「冷た……っ!?」

 びくりと肩を揺らした彼女は大きく目を見開いて、反射的に距離を取った。そして躊躇いがちに指先で触れて、恐る恐るといった様子でアイスを受け取る。

 神様は人間のアイスなんて食べたことがないのだろうか。しかしその様子が何やら警戒する野良猫のようで、何とも可愛らしかった。

「あ、よかった。冷たいとか分かるんですね。なら暑いも感じないとダメですよ? 熱中症怖いんで! 前にも星羅ちゃんが体育の授業でぐったりしちゃって……」
「……セイラちゃん?」
「あ、はい。クラスの友達です! 班とかも一緒だし、一番良く話すんですよ」
「ふうん? あなた、友達多そうよね……」

 美月さんは、どこと無く不機嫌そうに視線を逸らす。何か気に障ることを言ってしまっただろうか。わたしは僅かに首を傾げつつも、話を続ける。

「そうですか? まあ確かに、基本満遍なく話したりはしますけど、友達って言っていいのか……」
「あら、意外ね。人類皆友達とか言うかと思ったのに」
「いやいや、そんなことないですよー。だって友達とか家族とか名前のある関係って、色々あるって言うか……一緒に居て楽しいだけじゃなくて、困ってたら見捨てないとか、なんていうか、責任もあるじゃないですか」
「……責任……」
「でも友達だからって何でもかんでも絶対の味方って訳じゃなくて、間違ってたらお互い傷付いてでもそれを伝えたり……支え合う? 補い合う? というか、なんかこう、そういうものでしょう? まあ、理想論でしかないですけど」
「……、正直、あなたがそんなにちゃんと考えてるなんて、意外だわ。やっぱり、人間関係って複雑なのね」

 美月さんは何やら考え込んだように眉を寄せる。未だに握られたままのアイスは、最早飲み物になっているだろう。

「そうですね……難しいもんです。……って、ほら、早く食べましょ。あっ、もしかして神様へのお供えって、ちゃんとしなきゃダメです? 儀式的な?」
「しなくていいわ! ……い、いただきます」

 アイスを咥えて空いた両手を合わせ拝むようにするわたしに対して、美月さんはぎょっとして慌てて首を振る。
 そしてようやくアイスの封を切り、冷たい液体と化したそれを少しずつ、幸せそうに味わっていた。

「……もし私がここで熱中症で倒れても、きっと誰も気付かないんでしょうね」

 先に食べ終えたわたしが手元に残った透明のゴミをビニール袋に片付けつつ、身体の中がひんやりとする感覚に浸っていると、不意に彼女は呟いた。

 先程わたしが注意したことを気にしているのだろうか。しかし遠くを見詰めるその横顔は、どこか羨望めいていて、わたしは再び冷えた指先をその頬へと押し当てる。

「つめたっ!? もう、さっきから何……」
「わたしが気付きますよ」
「え……?」
「美月さんが倒れてたら、わたしが気付きますし、神様でも容赦なく救急車に押し込みます!」
「……そう」

 美月さんはその大きな目を見開いて、そしてすぐに、顔を背けてしまった。頑なにそっぽを向く様子につい覗き込んだものの、屋上は彼女のテリトリーだ。
 フェンスと塔屋の隙間に背を向け入り込まれて、どんな表情をしているのか、結局最後まで見ることが出来なかった。


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 それからも、わたしは飽きもせず放課後になると屋上へと足繁く通った。神様に願いを叶えて貰おうと言う当初の目的は既になく、ただ青空の下四角く切り取られた非日常と、ここでしか会えない彼女と一時を過ごしたかったのだ。

 毎度呆れたように出迎える彼女も、わたしを拒みはしなかった。

 ある時はテスト勉強を教えて貰い、ある時はわたしが持って行ったお菓子をつまみながら駄弁り、ある時は水風船やシャボン玉、縄跳び等屋外で遊べる物を持ち込んだ。
 さすがに縄跳びはやってくれなかったが、シャボン玉に見惚れ夢中になる彼女は、いつもより少し幼く見えた。

 普段はスマホを手放せず、SNSやメッセージアプリの通知を気にする現代っ子のわたしだったけれど、彼女と居る時だけは、それらの柵を忘れて童心に帰って全力で遊んだ。

 彼女との時間は、放課後の屋上でのみかかることの出来る、特別な魔法のようだった。


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