やがて暑さの厳しい季節を越え、秋の名残は消え去り、すべてが白く染まるこの頃。
 放課後になると、わたしは閉ざされてしまった屋上ではなく、彼女の居る場所に遊びに行く。

 まだ美月さんの保健室登校は続いているものの、わたし達と過ごす時間が自信に繋がったのか、近々教室に顔を出してみるのだと彼女は笑った。

「まあ、卒業まであと少ししかないんだけどね」
「教室に行けなかったことをいつか後悔して、高校生活最悪だったーって思い出になるより、一瞬でも自信になるならずっとずっといいです。応援してますね!」
「ふふ、ありがとう。……ねえ。あなたのあだ名、考えてみたの」
「えっ、本当ですか!?」
「ええ……初めて会った日、突っぱねてしまったから、反省して」

 正直、今言われるまでそんなことすっかり忘れていた。約半年間、ずっと考えてくれていたのか。
 美月さんは、とても真面目で、繊細な人だ。だからこそ、たくさん悩んで傷付いて来たのだろう。

 彼女の傷や痛みの全てを知ることは、別の人間であるわたしには出来ない。それでも、彼女の不器用な歩みに合わせて一緒に進むことは出来るのだと、近頃思う。馬鹿なわたしに根気よく勉強を教えてくれた、神様のように。

「その、でも、こういうの慣れてないから、おかしかったらごめんなさい」
「おかしくても、美月さんの付けてくれたのなら何でも嬉しいです!」
「……そう? なら、あなたのあだ名は……『ひまわり』なんてどうかしら。私達の出会った季節に咲く、あなたに似た元気一杯の花の名前」
「ひまわり……」
「……やっぱり、変?」
「いえ! すっごく嬉しいです! わたし、ひまわり大好き!」
「本当? なら、良かったわ。……あなたは、太陽のように眩しいけれど、太陽はずっと見続けられないもの。……見上げるなら、手の届く距離で光の方角を教えてくれるひまわりがいいわ」

 安心したように微笑む美月さんの笑顔は、いっそ夏の太陽よりも眩しくて。それでもこれからもずっと、こうして傍で見ていたいと思った。

 そしてわたしは、躊躇うことなく素直に口にする。彼女は三年生だ、この学校で過ごせる時間は、もうあまり残されてはいない。
 それでも、その先の未来も共に描けるのなら、それはなんて素敵なことだろう。

「ねえ美月さん、またひまわりの季節を……ううん、これからもずっと、何度でも一緒に、色んな季節を迎えましょうね!」
「……ええ。その願い、叶えてあげるわ」

 出会ってから今までで一番神様ぶって答える彼女は、自分で言っておいて直ぐに笑ってしまう。そしてお互い目が合うと、悪戯っぽく微笑み合った。
 自らを傷付け死にたいと願った彼女が、未来を描き希望を誓う。その現実は、どんな光より眩しく見えた。

「はい、願いを叶えましょう……二人で!」

 わたしは指切りを交わそうと、小指を差し出す。それは子供じみた約束だけど、大人になりきれない今のわたし達には丁度良い。
 絡んだ小指はやっぱり細くて小さくて、わたしは胸の中がじんわりとするのを感じながら、小さく手を揺らす。

 今もまだカーディガンに隠されて見えないけれど、彼女の傷だらけの腕は、すぐには治ったりしないのだろう。
 それでも、新しい傷が増えないように、刃物を握る代わりに手を繋ぐことは出来る。
 苦しみを自分にぶつけるよりも、分け合うことが出来るはずだ。

 そしていつかの夏、彼女がカーディガンを着ずに過ごせる日が来るかもしれない。
 そんな少し成長した未来を、わたし達は想像し、願い、きっと叶えることが出来る。痛みも傷も孤独も全てその腕に抱えて、歩き出すことが出来るのだ。

「……指切った!」
「ふふ、神様に誓って、約束ね」
「それは破れませんね?」

 眩い夏の日差しが作る影が色濃いように、光も闇も併せ持った、不安定で愛しい今しか過ごせない季節を噛み締めよう。
 変わらないはずの日の光が時には鋭く、時には柔らかく世界を包み込むように、時に疲れてしまっても、ゆっくり一緒に日の当たる場所を進もう。

 それが、今のわたし達に出来る最善だと信じて。もしも迷子になったって、一緒ならきっと、大丈夫だ。

 離れた小指の先、二人の間に冬の澄んだ匂いを纏った風が吹く。彼女の黒髪がふわりと靡くのを見て、あの夏の日の放課後の屋上を思い出した。

 一歩ずつ、ひとりひとりのペースで時は進む。夢見るだけの子供から、やがて大人に至るまでのこの刹那の時間を、わたし達は、今この瞬間もひとつひとつ光に向かって積み重ねていくのだろう。

 放課後の日差し、夏の陽炎、切り取られた空の青さ。あの日出会ったひとりぼっちの屋上の神様は、もう居ない。