それでもこの店のバイトを辞めなかったのは、別に仕事が好きだったからでも時給が良かったからでもない。
 新しいバイトを探す気になれなかったからだ。
 新しい人間関係をこれ以上作っても、自分にはどうしようもないだろうな、という予感がリョウにはあった。
 大学の授業にはそれなりに真面目に出ていたので、ノートを目当てに声をかけてくる同級生たちはいた。リョウは彼らのことを便宜上、友人と呼ぶことにした。
 バイトを始めるきっかけになった友人は、もうその頃にはすっかり大学に姿を見せなくなっていた。
 まあ、俺にだって大学に何人かは友達がいるよ。
 自分にそう言い聞かせるための保険。
 ただでノートをコピーさせてやるのだ。それくらいにはなってもらっても文句は言うまい。
 大学でもバイトでも、そんな風にリョウの生活は淡々と流れていった。
 最初の面接で豪語してしまった通り、店長に組まれるがままに連日バイトに入っていたリョウは、入れ替わりに仕事を上がっていくランチタイムのパートのおばさま方に「たまには遊んだほうがいいよ、若いんだから」などとからかわれながら、黙々と働いた。
 一年も同じ店で働いていると、バイトのメンバーは半分近くが入れ替わり、リョウも古株になった。
 慣れなかった蝶ネクタイも、いつの間にか板についていた。
 年がら年中バイトに入っている割に、仕事に熱意があるわけでもなかったし、金を貯めて何かをしようという具体的な目標もなかった。
 バイトたちの中では頻繁に、あいつとあの子が付き合ってるってさ、とか、別れたってよ、などという噂が飛び交ったが、リョウには無縁の話だった。
 それでも、毎日働けば仕事は自然と身に付く。一年もいれば、色々と不測の事態も起きて、トラブルの対処方法も分かってくる。
 無遅刻無欠勤のリョウは店長からいつの間にか信頼を寄せられていたし、バイト仲間からも少なくとも仕事の面では一目置かれていた。
 その子が入ってきたのは、そんな頃だった。


 ミオ、というのがその子の名前だった。男女問わず、明るい連中はみんな彼女のことをすぐにミオちゃん、と呼び始めたが、リョウは八坂さん、と呼んだ。
 誰に対しても、リョウは基本的に下の名前でなど呼びかけなかった。
 だが、ミオは下の名前で呼ばれることに慣れていないようで、居心地の悪そうな顔をしていた。