「広也くん!!もう、ここにいたんだ!!翔子さん達も心配してたんだから!!」
「美華…?あれ?なんで俺此処にいるんだ?」

俺はいつの間にか大きな桜の木の下で立っていた。さっきまで控え室にいたはずなのにとビビり散らかしていると、赤い色打掛姿の美華が現れた。どうやら突然いなくなった俺を探してきてくれた様だった。とても悪い事をしてしまった。

「ご、ごめん。なんか緊張して外の空気吸いに行こうとしたらいつの間にか此処に…」
「びっくりしたんだから。それよりも、ここの桜とても大きくて綺麗ね。他の桜も綺麗だけどここのは特に素敵」
「ああ…」

どこか引っかかるものがある。何か大切な事を忘れている気がする。
それがどうしても分からなくて変に桜を見つめてしまう。

「広也くん大丈夫?まだ緊張してる?」
「だいぶ和らいだかな」
「フフ、よかった。後でここで写真撮ってもらうのすごく楽しみ♪あのドラマのワンシーンみたいでさ♪」
「あはは。確かに」

嬉しそうに笑う美華に緊張していた気持ちが和らぐ。絶対この人を幸せにしなきゃと身が引き締まる。

(なんでかな?何か大事な事を覚えてた筈なんだけど…)
「そろそろみんなのところに戻ろう?先に遅れちゃうよ?」
「うん。行こうか」

俺は、色打掛に身を包んだ美華の手を取り元のいた場所に戻ろうとする。
どうしてあの大きな桜の木の下にいたのか思い出せなかった。
どこか切なく悲しい思いをした気がしたのに。
とても大事な事を忘れてしまった気がしたのに。
けれど、その思いはこれから始まる結婚式で消えてしまうだろう。
一つ分かることは、その記憶は思い出してはいけないという事だけだ。
桜色の優しい風が吹き渡る。
俺と美華は舞い散る桜の祝福を受けながら桜色の花道を歩んでいった。






広也がずっと大事に持っていた手紙は波音の手元に戻っていた。
波音は空に還る前に広也や大事な人達から自分の記憶を消してしまった。全ては愛する人がこれ以上自分のせいで苦しませたくない一心だった。
この手紙も2度と自分を思い出さない様に桜色の吹雪を使って奪い取った。
波音は大きな桜の木の上から、広也が目の前にいる美華と幸せになって欲しいと願いながらから見守る。

「大好きよ広也。私は遠くで見守ってるから。今度こそ私のことは忘れて幸せになって。私の分もたくさん生きて」

波音の目から一筋の涙が零れ落ちた。彼女は広也との気持ちが通じ合ったあの素敵な夜を過ごした時間を思い出しながら2度目の死を迎える。
忘却という死は、ゆっくりと波音の身体から感覚を奪ってゆく。けれど、自ら死を選んだ時と同じで後悔はなかった。


「さよなら。大好きよ内藤広也。私の初恋の人」


波音はゆっくりと目を瞑り空へと還る。
彼女の2度目の死によって、広也は長年苦しめられてきた初恋という呪縛からようやく解放されたのだった。