偽りの花嫁~虐げられた無能な姉が愛を知るまで~

「初めにも言いましたとおり、俺は神導位になんて興味はありませんので。それなら、どうぞ黒百合さんに」


このとき、貴一は不覚にも迷ってしまった。

ほんの一瞬だけ。


しかしすぐに、帝の命令が覆るわけがないと悟り、玻玖を睨みつける。


「馬鹿にするのも大概にしろ!貴様からなど、情けは受けぬわ!」


鼻息を荒くする貴一。

こんなに取り乱した貴一を見るのは、八重も乙葉も初めてだった。


「それに貴様のその軽率な言動は、『神導位』の地位を言い渡した帝様をも侮辱することと同じであるぞ!」

「……たしかにそうですね。これは失礼しました、帝さん」


帝に対して、軽く頭を下げる玻玖。


「よいよい。そなたがこれから立派に神導位の務めを果たすのであれば、わらわはなにも言わん」

「ありがとうございます。それじゃあ、俺はそろそろお(いとま)します」
「そうか。ご苦労であった」

「…待て、東雲!」


部屋から出ようとする玻玖を貴一が呼び止める。


「まだなにか…?」

「貴様なら『予知眼ノ術』で、翌日どちらが神導位の地位を言い渡されるのかが…視えたのではないのか?」


貴一の言葉に、玻玖の肩がわずかに動く。

そして、遠くのほうに目を移す玻玖。


「そうですねぇ。視ようと思えば」

「ならば、こうなるということはわかっていたということか?それとも、余程自分に自信があってその必要もなかったか…」

「そんなことないですよ。買いかぶりすぎです。今回は帝さんに、『予知眼ノ術』で視るようにと言われたからそうしただけのこと。予めなにが起こるかわかっていたら、人生つまらないでしょう」


貴一に目を向け、微笑む玻玖。


「…そうです。最後に『予知眼ノ術』で後の世を視たのは、もうかれこれ…300年も前のこと」
玻玖は、庭園の空を仲睦(なかむつ)まじく舞う2羽の小鳥を眺めながら小さくつぶやいた。


「それに、本来であれば俺はあのとき帰るつもりでした。ですが、黒百合さんがああおっしゃってきたので」


玻玖に言われ、貴一は思い出してはっとする。


『玻玖はどうじゃ?『予知眼ノ術』は扱えんのかの?』

『帝さん、そんな簡単に言わないでくださいよ。『予知眼ノ術』なんて、だれにでも習得できるものではないですよ』

『いやいや、ご謙遜されて。これほどまでの呪術師であらせられる東雲殿なら、『予知眼ノ術』もお持ちではないのですかな』


自分があんなことさえ言わなければ今頃は――。

と、貴一は後悔の念に駆られるのだった。
こうして、『神導位』の座から外された黒百合家。


「…聞いたか?今回の呪披の儀で、神導位が替わったらしいぞ」

「神導位が!?…まさか〜!そんなことあるわけ――」

「いや。どうやら、最後の最後で黒百合家が敗れたらしい」

「…え〜!!あの黒百合が!?」


皇居のある都では、すぐに噂が広まった。


そんな会話を耳にもしたくない貴一たちは、翌日には都で土産などの買い物もせずに、すぐに荷物をまとめて帰ることになったのだった。


和葉は、貴一たちが帰ってきた翌日の新聞で呪披の儀の結果を知った。

『東雲玻玖』という名の呪術師が新たな神導位に選ばれたと。


しかし、玻玖に関する情報はほとんど書かれていなかった。

狐の面をつけた不思議な男ということくらいしか。


そもそも、『東雲』という呪術家系もこれまでに聞いたことがない。
そんなぽっと出の呪術師が、果たして黒百合を打ち負かし神導位になることなどできるのであろうか。


呪披の儀の後、貴一は部屋にこもってなにかを調べているようだった。

八重は、屋敷に戻ってからも周りの噂が気になって外には出たがらず、『治癒ノ術』を求めてやってきた患者たちも突き返した。

乙葉は、玻玖に『予知眼ノ術』で負けたからといっても鍛練する様子もなく、腹いせに和葉や使用人をこれまで以上にいびっていた。


しかし、1ヶ月もすれば徐々に八重の機嫌ももとに戻り、乙葉を連れて買い物にも出かけるようになった。


そして、調べものをしていた貴一があるものを見つける。


「…これだっ!『東雲』…、まさかこんなところにいたとは」


貴一は、蔵から引っ張り出してきたある書物を持って、居間でお茶を楽しむ八重と乙葉のところへやってきた。
八重たちとは反対側の席で和葉も出されたお茶を飲んでいたが、貴一は和葉のことを気にもとめない。


「まあ、どうしたの?貴一さん」

「2人とも、これを見てみろ」


貴一はテーブルの上に、持ってきた古い書物を置く。


「お父様、…これは?」

「黒百合家がこの300年、神導位についてからの記録が書かれてあるものだ」

「へ〜、そうなんだ」


乙葉は興味なさそうにつぶやくと、(ほこり)っぽいの書物を指先でわずかに挟んで汚らしそうに表紙をめくる。


年代別に、神導位着任時期とそのときの当主の名前が書かれてある。


これと同じものに貴一も神導位継続のたびに書き記していて、貴一が持っているものは6冊目。

テーブルにあるものはその1冊目となり、約300年前に黒百合家が初めて神導位の座についたときに書きとめ始めた記録だった。
「…で、これがなんだっていうのかしら?」


首を傾げる八重。


「『東雲』という名前…。最近では聞かなかったが、以前どこかで見たことがあるような気がしてな」


そう思って貴一は1人で調べ、黒百合家の蔵に保管されていたこの書物を見つけたのだった。


貴一は、最初の1ページ目をめくる。

それを見た八重と乙葉は、思わずお茶といっしょに食べていたクッキーを持つ手を止める。


なぜなら、そのページには――『東雲』という文字があったからだ。


内容は、黒百合家が初めて神導位になったときのもので、東雲家からその座を勝ち取ったと記してあった。


つまり、黒百合家が300年前に神導位の座につく前に着任していたのが、――東雲家だったのだ。


聞こえてくる話から、和葉でもだいたいの内容は把握できた。
「つまり、あの東雲玻玖という男は、黒百合家が神導位になる前に神導位だった呪術師の子孫ということ?」

「そういうことになるな」


首をかしげて尋ねる乙葉に、貴一はうなずく。


300年前の黒百合家のことや、当時の東雲家についても調べようとした貴一。

しかし、蔵にある書物はみな、黒百合家が神導位に初めて着任したときからのもので、それより前のものは残されていなかった。


「これ…300年前の書物なのね〜。どうりで汚いと思った。でも、どうしてそれ以前のものはないの?」


再びクッキーをかじりながら、貴一に顔を向ける乙葉。


「わしも先々代から聞いた話だが、どうやらちょうどその時期、この屋敷が火事になったそうだ」


火事は黒百合家の屋敷を飲み込み、蔵にあったそれまでの書物もすべて灰になったのだそう。
「いくら調べても、あの『東雲玻玖』という男の素性はわからなかったが、黒百合家以前の神導位の子孫だということはだけははっきりとした」


300年間続いた黒百合家から、神導位の座を勝ち取ったのはどのような呪術師なのか気になっていた和葉。

だが、貴一の話を聞いて納得できた。


「『東雲』という名の呪術家系、あの日まで耳にしたことなどなかった。この300年の間どこでなにをしていたかは知らんが、落ちぶれた呪術家系のくせになんと生意気な…!」


ギリッと奥歯を噛む貴一。

どうしても、東雲家が神導位になったのが許せなかったのだ。


しかしそんな貴一のもとへ、ある日突然とある文が送られてくる。


それは、呪披の儀から三月(みつき)近くがたったころ。


先日、17歳の誕生日を迎えた和葉と乙葉。