偽りの花嫁~虐げられた無能な姉が愛を知るまで~

和葉の喜ぶ顔は、玻玖が見たかったものだった。


「…よかった。職人に作らせていたのだが、なかなかうまく仕上がらなくてな。何度も様子を見に――」

「もしかして…!最近よくお出かけされていたのは…」

「ああ。指輪の出来具合を見に行っていたのだが」


それを聞いて、和葉は顔が真っ赤になった。

なぜなら、乙葉に言われたことを真に受けて、和葉は玻玖の浮気を疑っていたから。


「…そういうことだったんですね。…わたしったら、お恥ずかしいことに勘違いをしておりました…」

「勘違い?」

「…はい。無意識だとは思われるのですが、何度か瞳子さんのお名前を口に出されていたことがありましたので…。その…わたしは、他に女の人がと…。それでお出かけになられていたのかと思っていて…」

「俺に…、女…?」
ぽかんとする玻玖。

まさか玻玖も、和葉にそのように思われていたとは予想外だった。


「そんなこと、あるわけないだろう。俺の瞳には、和葉しか映っていないというのに」


そう言って、玻玖は和葉の背中に手をまわしぎゅっと抱きしめる。

まるで、和葉がここにいることを確かめるように。


「とはいえ…、不安にさせて悪かった。俺の愛しい妻は和葉だけだ。この指輪に固く誓う」


玻玖は和葉の左手を取ると、自分の左手もいっしょに月にかざしてみせる。

玻玖の誓いに共鳴するように、2つの指輪はキラキラと輝いていた。


「だから和葉、もう俺の前からいなくなろうとするな。…いいな?」

「はい。かしこまりました」


和葉は玻玖の腕の中に包み込まれながら、そっとうなずいた。


――もう大丈夫。

愛しい旦那様といっしょなら。
2人で、これからどこまでも。


和葉はそう心の中でつぶやいた。


幸せに包まれる和葉と玻玖。


しかしその裏で、悪意に染まった者たちが動き出そうとしていることに、この2人が知るはずもなかった。
「昼間は春の陽気だというのに、まだまだ夜は冷えるな」

「そうですね」


着物の上に半纏(はんてん)を着た玻玖と和葉が縁側まで出てくる。


隣同士に座ると、玻玖が和葉の手の上に自分の手を重ねる。

そして、和葉はそっと玻玖の肩に頭を乗せた。


2人の左手の薬指には銀色に輝く結婚指輪。


もうすぐ、結婚して1年がたとうとしていた。


「今日はとても大きな満月だな」


月を眺めながら、玻玖は狐の面を取る。

その玻玖の美しい横顔を、うっとりしたような表情で見つめる和葉。


玻玖から瞳子の話を聞かされたとき、同時にこの狐の面の意味を教えられた。


この狐の面には、2種類の玻玖の呪術が込められている。


1つ目は、炎耐性の呪術。


『輪廻転生ノ術』で再び瞳子の生まれ変わりの和葉と結ばれたからといって、玻玖の中で瞳子の死は今でも癒えない傷となっていた。
瞳子が死ぬとき、周りは炎に囲まれていた。

それからというもの、玻玖はたとえどんな小さな火だったとしても、直視できなくなっていた。


その火への恐怖が、面越しだと和らぐのだった。


しかし、面越しとはいえやはり火を見ると反射的に顔を背けてしまう。


以前、和葉が七輪でさんまを焼いていたとき――。


『菊代さんがさんまを買ってきてくださったので、七輪で塩焼きをと思いまして――』


一瞬七輪の中の炭から炎が上がっただけで、玻玖はその場にしゃがみ込んでしまった。


あのとき、菊代が七輪でさんまを焼くのを渋っていたのは、玻玖の炎への恐怖心を知っていたからだ。


そしてもう1つは、以前少し玻玖が和葉に話していたが、膨大な妖術の力を押さえる呪術が込められている。


あやかしには人と同じ姿になる『擬人化』のほかに、本来の姿である『擬獣化』がある。
『擬獣化』は、読んで字の如く『獣』。

『擬獣化』は凶暴性が増し、妖狐の玻玖が擬獣化の姿になれば、手がつけられないほどの脅威となる。


意識があるうちはいいが、もしなにかの拍子に我を忘れて暴れるようなことがあれば、多くの人を巻き込む災害となってしまう。


そうならないように、玻玖は狐の面に力を押さえる呪術をかけたのだ。


そんなあやかしだが、その妖術が弱まる特別なときが存在する。

それが、満月の夜。


だから玻玖は、満月の夜にだけ面を取る。


和葉にとっては、美しい玻玖の顔を拝める唯一の日であるため、和葉は満月の夜を楽しみにしていたのだった。


「それにしても、今日の満月は本当に大きいな。まるで、飲み込まれそうだ」

「本当に。大きすぎて…こわいくらいです」


玻玖と和葉が見上げる満月は、まるで不敵に笑っているようにも見えた。
その夜更け。

妙に外が騒がしく、和葉は眠気が薄れ目を覚ます。


今日は、とても大きな満月。

その明かりは部屋の中まで漏れていたが、それにしては明るすぎるような。


そう思った和葉が障子を開けると――。


なんと屋敷の中が燃えていた!


「…火事…!?」


愕然とする和葉のところへ、慌てた様子の菊代が駆けつける。


「和葉様、お逃げください!」

「逃げると言っても、なぜこんなことに…!」

「他の呪術師たちが攻めてきたのです!!」


菊代の言葉に、一瞬頭の中が真っ白になる和葉。


「攻めるって…どうして……」

「…わかりません!しかし、玻玖様のお力を妬んだ者の仕業かと思われます!」


菊代はなんとか和葉を引っ張り立ち上がらせると、和葉を連れて廊下を走る。


「旦那様は…!?」
「あまりにも敵の数が多いので、今外で応戦されております…!」


本来の玻玖の力なら、呪術師が何人束になろうと敵うはずもなかった。


しかし、今日は満月の夜。

妖術の力が弱まるとき。


どうして、よりにもよってこの日に――。


そのとき、逃げ惑う和葉と菊代の前にだれかが立ち塞がる。


「こんばんは、和葉様」


和葉はその人物を見て息を呑む。


なんとそれは、乙葉の結婚相手である清次郎の父親――蛭間家当主だった。


「どうして、蛭間様がここへ…!?」

「どうもこうも、妖狐という化け物が棲み着いていると聞いて、退治しにきたまでです」


ニヤリと不気味に笑う蛭間家当主。


玻玖が妖狐だと知っているのは、今の世では和葉だけ。

それがなぜ、蛭間家当主が。


しかも、屋敷に攻めてきた呪術師たちの数は、とても蛭間家だけとは思えない。
――だれかが裏で糸を引いている。


「そういうことで、和葉様。申し訳ございませんが、あなた様にはここで死んでいただきます」

「……えっ…」

「呪術師同士が殺し合うのはご法度。狙いは東雲玻玖ですが、この現場を目撃したあなた様が黙っているとも思えません」


蛭間家当主は一歩、また一歩と和葉に歩み寄る。

その前へ、和葉を庇うようにして立ちはだかる菊代。


「…和葉様、お逃げください!」

「菊代さんは…!?」

「ここは、私が食い止めます…!」


そう言って、菊代は懐から護身用の小刀を取り出した。


「…そんな!菊代さんもいっしょに!」

「和葉様は、玻玖様の大切なお方!お守りするのは当然のことです!」

「でも――」

「玻玖様は表にいらっしゃいます!そこまで、どうかご無事で…!」