「来ちゃった」
「芽衣さんっ」

 バイトをしていたら、久しぶりに芽衣がやってきた。以前は、芽衣のバイトが始まる時間までいたものだが、辞めた今ではいる理由が無くなり、すっかりご無沙汰になっていた。今日は後で約束があったのだが、散歩ついでにバイト先まで迎えにきたというわけだった。

「は、早いですね」

 予定より大分早い逢瀬に、喜びよりも焦りが上回る。今日は、ただデートしたくて誘ったわけではない。むしろ、デートではないし、二人でもない。

「ダメだった? 今日、会わせたい人がいるって言ってたから、早めに準備と思って」
「それはそうなんですけど」
「遠藤桃子!」

――もう、いるんだよね……璃子……と、何故か白田。

「あ、あの子」
「うん……バイト終わって説明してから会わせようと思ったんだけど、璃子たちも早く来るし、まさか芽衣さんとここで会っちゃうとは」

 お互いせっかちをしてしまって、たいした説明も無い状態で鉢合わせになってしまった。冷や汗を垂らす修に、芽衣が小さく両手を振る。

「ううん、私が早く来ただけだし」
「あ、変なことじゃないから。ちょっと璃子が謝りたいって」
「大丈夫。うん」

 強がりではなく、芽衣には余裕すら感じられた。彼女は、毎日どんどん強くなっている。ただでさえ年齢で負けているのに、精神的にも置いていかれたら困ってしまう。空気を読まない白田が、二人の間に入ってきた。

「あの~神田君の友だちで、白田っていう者です。ってか、年上? 年上彼女? すげえ、いいな~すげえ」
「語彙力。ちょっと、黙ってて。席に座る」
「え、神田ちゃんどうして俺にだけ冷たいの?」
「遠くから見るだけって約束だろ」

 修に退場させられた白田と入れ違いに、璃子が芽衣の前に立つ。このままでは目立つので、奥まった席に二人を案内した。もうこうなった以上、進めてもらうしかない。水とメニューを置くに留まり、修は席を離れた。

「ええと、遠藤桃子、さん」
「はい」

 顔色の悪い、しかも睨んでくる璃子を相手にたじろぐ気配は無い。ふう、ふう、荒い深呼吸をして、もったいぶった口がようやく芽衣へ開けられた。

「あの……ごめんなさい」

 璃子が頭を下げる。額がテーブルに付いてしまっていた。そのまま、璃子が続ける。

「私、ひどいこと言いました。桃子さんのことよく知らないのに、勝手な思い込みで嫌なこと言いました」
「璃子さん、頭を上げて」
「はい……」

 見えた顔は、涙こそ溢れていないものの、誰かが触れたら最後、顔中を濡らしてしまう程に瞳が潤んでいた。我慢する唇が不器用な形を作る。

「わたし、しゅうくんが、すきでっ……それでっ」
「うん」
「でも、全部バレちゃってっそれなのに、許してくれてっ」
「うん。修君、とっても素敵だものね」
「はいぃ……!」

 零れた涙をハンカチで拭き取ってやる。「なんで良い人なの」璃子が泣きながら言った。

「あなただって、修君のお友だちでしょう? それなら、私にも大切な人よ」
「勝てないよぉ……!」
「十分素敵。並んだら、私が霞んじゃう。ただ、何か偶然があって、修君が私を選んでくれただけ。それを大事にしたいの。そこだけは分かってね」
「…………はい」

 こくこく何度も動く頭は大変に可愛らしい。文字通り、遠くから見るだけの白田には会話が聞こえてこず、どんな状況に巻き込まれているのか首を傾げるばかりだった。

「何あれ、なんで泣いてる感じなの? 宮野が悪い事したの?」

 頼んだコーヒーを運びに来た修に聞いてみる。修は控えめに頷いた。

「うん、まあ悪い事、かな。それで謝りたかったんだって」

 白田が両腕を抱いて擦る。嫌いな虫を一人暮らしの部屋で見つけたような目を、二人が座る席へ送った。

「やっぱ悪女じゃんか! うう、怖ァ」
「そんなことないよ。読書もするって言ってたし」
「読書、結構な人数するからね? 日本中いっぱいいるからね?」

「騙されんなよ~~」白田に肩を揺すられながら、友人に恵まれたな、などと修は呑気なことを考えた。

 バイトが終わり、駅前のカフェでお茶だけして別れることになった。璃子に訂正しなかったので、結局最後まで「遠藤桃子」で通すことになったが、後で白田には説明しておいた方がいいかもしれない。話の中で本名を言ったら「今度は別の女か」と騒ぎ出すことが目に見えている。もしくは、将来一緒になる時があれば、白田を招待することになるだろう。

「バイバイまたね~」
「うん、また」
「明日な。桃子さんも」
「今日は有難う御座います」

 乗る電車が同じで、ドアが閉まってからも白田たちは言い争いをしていた。どうやら、席はバラバラに座るらしい。

「仲良しねぇ」

 芽衣も、修と同じことを言っていた。