「こんにちは、また本持ってきました」
「あら、嬉しい」
ここ数日観察していたが、視線が合うことが滅多に無くなった。近づいてみても反応が鈍く、焦りにつばを飲み込むが、その表情の変化もコトには伝わらない。手を取り座椅子に下ろし、修もすぐ横の座布団に座る。距離をなるべくゼロにさせて本を開いた。
一冊目が終わり休憩を挟む。奥の部屋の本棚から一冊取り出して、コトへ戻って本を握らせる。
「そろそろ本棚の本たちも出番を待ちわびています。もう何度も読まれたと思いますが、次からはここの本を読むのはどうですか」
薄っすら開いた瞳で本を見つめ、手のひらで壊れ物のように優しく撫でて頷いた。
「そうね、せっかくだから読んでもらおうかしら」
触る裏表紙には俊彦の名前が記されていて、きっともうこの二文字も見えていない。それなのに、何度も行き来する指が切なくて、修はこっそり俯いた。寂しくなるのも、勝手な気がして。
「明日も来ます。明後日も、ずっとずっと来ますから」
手と手を重ねてぎりぎりの距離まで近づいてみせる。コトの瞳にようやく自分が映ったことを確認して、緩く抱きしめる。暖かく、温かく、コトはここにいるのだと教えてくる鼓動が嬉しくて、突き返されないのをいいことにしばらく甘えていた。
「いつでも来てね。私は待っていますから」
「はい、コトさん。……今日だけでいいですから、おばあちゃんって呼んでもいいですか」
「ふふ、いいですよ」
コトの声は魔法で、どこまでも溶けていってしまいそうだ。
「おばあちゃん」
「はい、なあに」
「おばあちゃん」
――おばあちゃんがいたら、こんな感じって思っていた。いなくならないで、コトさん。コトおばあちゃん。
心臓の音が聞こえてきたら急に我に返り、腕を伸ばして距離を取る。毎回近い距離にいたせいで、気付かない内に随分と勘違いを起こしていた。引かれていたらどうしよう。
「すみませんでした。僕には祖母の記憶が無いので、ちょっとでいいから味わいたくなってしまいました」
「これからも、本当のおばあちゃんと思ってくれて構いませんよ」
「え……」
社交辞令かもしれない。そう思っておかないと。顔がにやける。頭を掻いてごまかした。
「そうだ、この本でしたね。最初からでいいですか」
「ええ、お願いします」
「ただいま~」
二冊目を読み始めようとした時、ちょうど買い物に出かけていた芽衣が戻ってきた。
「おかえりなさい。キリもいいし、休憩にしましょうか」
「何の話してたの?」
「お腹空いたわねって。お茶にしましょ」
三人でテーブルに茶菓子を置いて雑談が始まる。芽衣が小学生の頃転んで怪我をした話や、子ども、つまり芽衣の親の話を聞き、修の知らない芽衣たちの世界に心が躍った。
修は二人の家族ではないが、家族の一部に足先を入れさせてもらっている。二人といられるだけで、心穏やかな日々を過ごすことが出来た。
「何してるんですか」
「ん~~?」
仮眠を取るコトを寝室に連れていって戻ってきたら、棚の中をごそごそ漁る芽衣がいた。手にはいくつか木枠の四角いものが握られている。それらがコトと俊彦が映る写真立ての横に並べられ、ようやく写真立てなのだと気が付いた。
「これね、お父さんとお母さんの結婚式の写真や家族写真。前の家では飾ってたんだけど、おばあちゃんが忘れちゃった時「知らない写真がある」って言われて、私が隠したの。一年も経っちゃったけど、また棚の中から出せると思ってなかったからすごく嬉しい」
写真を順に覗く。どれも修には初めての光景で、芽衣の家族と対面出来た気がして嬉しくなった。
「お母さん、芽衣さんと似てる」
「ほんと?」
ぱあ、花が咲いた芽衣に頷いてみせる。芽衣の父も母も苦労したとは思えない優しい表情で、特に母の目元が芽衣とよく似ていた。
「ほら、ここなんかそっくり。お母さんも美人ですね」
「遠回しに褒めてる?」
「褒めてる」
「ありがと」
三十分程でコトが起き、夕食の準備がされる。結局料理の腕が上がらずに終わった修はもっぱら料理を運ぶ専門だ。バイトを辞めても芽衣の料理上手は健在で、代金を支払いたくなってしまう。三人で食べ始めてから、ここ数日考えていたことを修が話を切り出した。
「せっかく車椅子もあることだし、電車に乗って何処か行きませんか。大学が始まったので、金曜日の夕方……だと遅くなっちゃうから、土日の早番の日……いや、一日くらいなら休みをもらえると思うので、土日のどちらかはどうですか?」
「いいの? 私たちは毎日家にいるから大丈夫だけど」
「それくらい奉仕させてください。夏休みも結局近所しか行ってないですし」
遠慮する芽衣を説得し話を取り付ける。コトの時間は限られているから、明日への希望をあげたかったのだ。朝が来る楽しさを思い浮かべながら眠ることは、どんな薬よりも効くだろう。
「それで、コトさん行きたいところはないですか? 近所じゃなくて、遠出しないと行かれない所でも構いません」
頬に手を当てて悩んでいたが、ぱっと顔がこちらを向く。
「それなら――」
「あら、嬉しい」
ここ数日観察していたが、視線が合うことが滅多に無くなった。近づいてみても反応が鈍く、焦りにつばを飲み込むが、その表情の変化もコトには伝わらない。手を取り座椅子に下ろし、修もすぐ横の座布団に座る。距離をなるべくゼロにさせて本を開いた。
一冊目が終わり休憩を挟む。奥の部屋の本棚から一冊取り出して、コトへ戻って本を握らせる。
「そろそろ本棚の本たちも出番を待ちわびています。もう何度も読まれたと思いますが、次からはここの本を読むのはどうですか」
薄っすら開いた瞳で本を見つめ、手のひらで壊れ物のように優しく撫でて頷いた。
「そうね、せっかくだから読んでもらおうかしら」
触る裏表紙には俊彦の名前が記されていて、きっともうこの二文字も見えていない。それなのに、何度も行き来する指が切なくて、修はこっそり俯いた。寂しくなるのも、勝手な気がして。
「明日も来ます。明後日も、ずっとずっと来ますから」
手と手を重ねてぎりぎりの距離まで近づいてみせる。コトの瞳にようやく自分が映ったことを確認して、緩く抱きしめる。暖かく、温かく、コトはここにいるのだと教えてくる鼓動が嬉しくて、突き返されないのをいいことにしばらく甘えていた。
「いつでも来てね。私は待っていますから」
「はい、コトさん。……今日だけでいいですから、おばあちゃんって呼んでもいいですか」
「ふふ、いいですよ」
コトの声は魔法で、どこまでも溶けていってしまいそうだ。
「おばあちゃん」
「はい、なあに」
「おばあちゃん」
――おばあちゃんがいたら、こんな感じって思っていた。いなくならないで、コトさん。コトおばあちゃん。
心臓の音が聞こえてきたら急に我に返り、腕を伸ばして距離を取る。毎回近い距離にいたせいで、気付かない内に随分と勘違いを起こしていた。引かれていたらどうしよう。
「すみませんでした。僕には祖母の記憶が無いので、ちょっとでいいから味わいたくなってしまいました」
「これからも、本当のおばあちゃんと思ってくれて構いませんよ」
「え……」
社交辞令かもしれない。そう思っておかないと。顔がにやける。頭を掻いてごまかした。
「そうだ、この本でしたね。最初からでいいですか」
「ええ、お願いします」
「ただいま~」
二冊目を読み始めようとした時、ちょうど買い物に出かけていた芽衣が戻ってきた。
「おかえりなさい。キリもいいし、休憩にしましょうか」
「何の話してたの?」
「お腹空いたわねって。お茶にしましょ」
三人でテーブルに茶菓子を置いて雑談が始まる。芽衣が小学生の頃転んで怪我をした話や、子ども、つまり芽衣の親の話を聞き、修の知らない芽衣たちの世界に心が躍った。
修は二人の家族ではないが、家族の一部に足先を入れさせてもらっている。二人といられるだけで、心穏やかな日々を過ごすことが出来た。
「何してるんですか」
「ん~~?」
仮眠を取るコトを寝室に連れていって戻ってきたら、棚の中をごそごそ漁る芽衣がいた。手にはいくつか木枠の四角いものが握られている。それらがコトと俊彦が映る写真立ての横に並べられ、ようやく写真立てなのだと気が付いた。
「これね、お父さんとお母さんの結婚式の写真や家族写真。前の家では飾ってたんだけど、おばあちゃんが忘れちゃった時「知らない写真がある」って言われて、私が隠したの。一年も経っちゃったけど、また棚の中から出せると思ってなかったからすごく嬉しい」
写真を順に覗く。どれも修には初めての光景で、芽衣の家族と対面出来た気がして嬉しくなった。
「お母さん、芽衣さんと似てる」
「ほんと?」
ぱあ、花が咲いた芽衣に頷いてみせる。芽衣の父も母も苦労したとは思えない優しい表情で、特に母の目元が芽衣とよく似ていた。
「ほら、ここなんかそっくり。お母さんも美人ですね」
「遠回しに褒めてる?」
「褒めてる」
「ありがと」
三十分程でコトが起き、夕食の準備がされる。結局料理の腕が上がらずに終わった修はもっぱら料理を運ぶ専門だ。バイトを辞めても芽衣の料理上手は健在で、代金を支払いたくなってしまう。三人で食べ始めてから、ここ数日考えていたことを修が話を切り出した。
「せっかく車椅子もあることだし、電車に乗って何処か行きませんか。大学が始まったので、金曜日の夕方……だと遅くなっちゃうから、土日の早番の日……いや、一日くらいなら休みをもらえると思うので、土日のどちらかはどうですか?」
「いいの? 私たちは毎日家にいるから大丈夫だけど」
「それくらい奉仕させてください。夏休みも結局近所しか行ってないですし」
遠慮する芽衣を説得し話を取り付ける。コトの時間は限られているから、明日への希望をあげたかったのだ。朝が来る楽しさを思い浮かべながら眠ることは、どんな薬よりも効くだろう。
「それで、コトさん行きたいところはないですか? 近所じゃなくて、遠出しないと行かれない所でも構いません」
頬に手を当てて悩んでいたが、ぱっと顔がこちらを向く。
「それなら――」