宮野璃子は悩んでいた。

 幼い頃から周りを気にして、ちやほやされるのが好きだった。

 いつしか当たり前に感じ、見てもらえないと気持ちが乱れるようになり、如何にして異性から好かれるか毎日研究した。大きな二重の瞳、赤みをさした頬にぽってりした唇、理想に合わなければ化粧で誤魔化し、体型も太らずしかし痩せすぎずを意識した。

 声をかけて自分を見つめる異性の表情が変わる瞬間が、何より好物であった。別段複数の人間と付き合いたいわけではない。ただ、自分が必要とされている実感が欲しかったのだ。

 同性の目は気にならなかった。

 文句を言われ陰口を叩かれるのは、自分が異性に好かれている証拠だと思った。

 優越を感じていた。

 最初から興味が無いものは空気として扱ったが、一度瞳に入れてしまえば、それがこちらを向くまで付きまとった。飽きればごみ箱に投げ入れるだけだから、璃子にとっては単純な話だ。

 修に対してもそうだった。きっかけは些細なことで、いつもと纏う雰囲気が違うことが璃子の鼓動を速くさせ、修の口に「可愛い」と言われたかった。すぐ決着はついて次に行くつもりだった。

 初めてうまくいかなかった。

 修の見目は、傍目にも引くものであることは前々から分かっていて、機会さえあればつついてみようと思っていた。

 外見を気にする様子の無い彼だったが、それでもぽつぽつ女たちの会話の中で修の名前が出てくることはあった。噂の的になる男程、自分に恋慕を抱いてくれたら気持ちが良く、そして振り回して最後にすっぱり振ってやる。趣味が悪いとは思いつつも、この衝動を止めることは出来なかった。

 それがどうだろう。
 全くいいように事が進まない。

 挨拶はしてくれる、傍によって体をくっつけてみても突っぱねられることはない。

 しかし、男の友人が来たらそれで終いになり、璃子を優先してくれはしなかった。

 始めは、優位に立って余裕を持っていたのはこちらだった。毎日修を考える日々が続いた。自分らしくない。全て遊びなのに。遊びであったはず。

 他の男がどうでもよくなった。

 修が振り向きさえすれば、また前と同じに楽しく気楽に生きられる。そうは思ってみても、頭に浮かぶのは修の顔ばかりで、明日が早く来て一番に教室に入り「璃子」と呼んでほしいと懇願していた。

 璃子は悩んでいた。

 この毒々しい痛みは何なのだろうか。
 今までの遊びが子どもの一人遊びに思えるくらい、狂おしい感情だった。

 誰にも渡したくない。あれは自分のモノ。
 誰にも、どんなことをしたって。

「明日はバイトって行ってたっけ。明後日は無いのにいつも早く帰る……何してるんだろう。彼女? はいないよね。大学でクラス以外の女子と仲良く話してるの見たことないし、電話もしてないし……ううん、こんなんじゃ足りないよ。もしかして外にいるのかも、わたしがいるのに。わたしが一番なんだから」

 決めた。一度理解してしまえば、消化するのは一瞬だ。これからのことを算段して、口もとに大きな弧を描いた。

「いつも、講義のちょっと前に行くんだよねぇ」




「白田、トイレ行ってくる」
「あ、俺も一服」
「あんま吸うなよ。体に悪いし匂いが付く」
「え、そんな? 自分じゃ分かんないもんだな」

 二人が席を立った瞬間、璃子がするりと近づいた。

「この講義人気だから二人で行くと席取られちゃうよ。わたし席取りしとこっか?」
「そうか、悪いけど頼める?」
「修君は鞄使わないなら置いてきなよ。すぐ帰ってくるでしょ?」
「ありがとう」

 礼を言いたいのは璃子の方だ。

 すんなり上手く行く様子に、以前のよく感じていた高揚を思い出した。

 今日はクラスの必修ではなく選択講義、大教室で百人以上が受けるため知り合いも多くなく、何処の席に誰が座って何をしているか気に掛ける生徒はまずいない。

 いつ戻ってきても分かるよう、机の隅にある教科書をどけて後ろのドアが見える位置に手鏡を置いた。自分の荷物を扱うかの如く、人目を気にすることなく鞄を開けてスマートフォンを取り出す。

 秘密は、あからさまに大げさな方がバレないものだ。ロックはかかっておらず、個人情報を盗み見ることは簡単だった。

 まずスマートフォンの持ち主の情報画面を表示させて、連絡先以外まだ知らない修の情報を把握し、次にメールや電話履歴を調べた。家族だろう同じ名字の相手に白田、他に見覚えのあるクラスメイトがちらほら。気になったのは、「山口コト実家」と「遠藤桃子」の二人で、コトは名前の古さと家電話だけの付き合いから親戚だろうと当たりをつけるが、問題は桃子の方だ。

 女の名前、しかもメールでは「次は金曜日」だの「好きなおかずはハンバーグ」だの璃子よりかなり近しい雰囲気を醸し出している。まさか彼女だろうか。

 許せない。
 許さない。

 握った拳に爪が食い込んで痛い。机を力任せに何度も叩いてやりたくなった。


「璃子、ありがとう」
「ううん、大丈夫だよー」

 しっかりスマートフォンを元の場所に仕舞い、手鏡を持ち髪の毛を弄る。これで、証拠は何も残らない。いるのは友人に親切をした優しい女だ。満面の笑顔を張り付かせて自分の席へ帰っていく。修の後ろからやや不躾な視線が届いていたが、気が付かない振りをした。

「何か、やっぱ好きになれねぇな」
「そうか? 僕も最初は慣れなかったけど、普通に良い子っぽいよ」

 白田が眉をハの字、口をヘの字にさせ、修の頭を撫でた。理由は分からないが、褒められていないことは感じ取れて妙な気分にさせられる。

「いいよ、お前はそのままでいい。でも騙されるなよ~」
「子ども扱いするな、もう成人してるんだから」
「いやぁ、神田はまだそれ中学生くらいだろ。免疫無さすぎ」

 安易に女慣れしていないことを言われ、瞬間かっと腹が立ってしまったが、反応したということは自分でも認めているわけであり、結局言い返すことが出来なかった。