「バイバイ、またね」
「うん、気を付けて」
「あのっ……また月曜日に、ね」
「おう」

 璃子と別れ最寄り駅までそわそわ落ち着かないまま過ごす。

 十八時台であれば桃子はまだいる。今日は最後に桃子の顔が見たかった。友人とも、家族とも違う。こんな気持ちになるのは桃子だけだ。逸り痛む鼓動を押さえ、コトの家を急ぐ。

「はあっ、遅れてすみません」

 結局、家が見えた頃には走り出してしまい、息も絶え絶えで中へ入った修を当然コトたちが心配した。

「どうしたことです! 具合でも悪いなら、無理していらっしゃらなくても」

 遠目で息を乱す修を見ては、体調が悪いと間違えるのは当然だ。余計な心配をさせてしまった。

「コトさん、違う、違うんです。今日は遅くなって会えるか分からないと考えたら居ても立っても居られなくなって、ついには走り出してしまったんです」
「まあ……」

 存外嬉しそうにされたので、会えて、コトの元気な姿を確認出来て安心した。後ろにいる桃子もほっとした様子で笑ってくれる。

「もう、修君ってば真面目な顔で面白いこと言うんだから」
「面白いですか?」
「ううん、素敵だった。それと、服もね。いつもと違う」

 桃子の言葉に興味を示したコトがそろそろと壁に手を当てながら近づき、修の服の裾や色を確認している。初めておもちゃを手にする子どものようで、大変可愛らしく抱きしめたくなった。

「そうねぇ、いつもよりハイカラだわ」
「どうも、その言葉だけで来た意味があります」

 二人の笑顔だけで幸せになれる。この為にしてきたことだとはっきり理解した。例え外見を良くしたところで、この二人に見せなければたちまち意味を無くしてしまう。修の世界の中心は素晴らしいものだった。

「兄が見立ててくれたんですけど、髪の毛もいじったらどうかって」
「今だって変なことはないよ。修君は修君だもん」
「有難う御座います。でもまあ、良い機会だから暑いし短くしてみます」

 ふいに写真立てを見た。白黒の俊彦が、涼しげな短髪でこちらに笑いかけていた。

「もっと、似そうだね。俊彦さんに」

 同じことを思った桃子が写真立てを見る。コトは分かっているのかいないのか、その様子を優しく見守っている。

「俊彦さんはどんな方だったんでしょうか」
「前に聞いたことがあるから、今度教えるね」





「さて、修君も帰ったし、私も帰ります」
「お姉さん、明日も来ます?」
「ええ、十二時に来ますよ」

 寂しそうに眉根を寄せるコトの肩に、手を置いて宥める。

 明日は土曜日、十一時に修がいるレストランで気分転換をして調子を整え、十二時に昼食のため訪れる。もうかれこれ一年になり、この習慣を始めた頃はここまで問題が起きずに続くものと思わなかった。どこかで崩れて、それは桃子かコトかは分からないけれども、この家に来ない日が来てしまうかもしれないと怯えたものだ。

「それもこれも全部修君の……」

 数軒店仕舞いを始めた商店街を通る。窓ガラスに反射して映る修の姿を思い出し、胸の痛みを誤魔化して速足で帰宅した。

 いけない。

 頭の中の靄を忘れたくて、必死に顔を洗った。洗面所の下が水滴で小さな水溜まりが出来た頃、我に返り蛇口を閉める。鏡を見る。寝起きよりもひどい顔をしていた。

 痛いくらいにタオルで顔を拭う。タオル掛けに戻さずに洗濯機に放り込み、リビングのドアを開けてテレビのリモコンを引っ掴んだ。普段観ない賑やかな番組を選び音量を上げる。ソファにどかりと沈み込んで、足を抱えて横に倒れた。

「やだ、やだよ。私、気持ち悪い」

――こんな思い、気付きたくなかった。