さっそく次の金曜日に新しい服を身に着けた。

 この日であれば、コトの家に行くし夕方には桃子がやってくる。袖の長さは変わらないのに、今までの服装と比べるとやたら軽装に見えて不自然にそわそわする。

 本当は似合わないのではないか、かといってあまり変化が無く気付いてもらえないのも中々に悔しい。どう言われたら嬉しいのかよく分からないまま、まずは一限からある大学へ向かった。

 最寄り駅から電車で三十分、一人暮らし仲間としては大学から遠い方でも、自宅に比べれば贅沢な程近い。さらに、つい乗り遅れたとしても、五分待てば次の電車が来るから有り難い。

 ぼーっと立ちながら駅が次々に過ぎていくのを眺めていると、大学名の付いた駅がアナウンスされた。他の学生に混ざって降りて、通路を通ればすぐに校舎が見えた。文学部棟を超えて商学部、経済学部を過ぎていき、奥まった場所にある法学部棟に入る。

 一限を選択している学生は少なく、すれ違う学生たちは必修科目で自動的に決められている一、二年生がほとんどだろう。教室に入りクラスメイトを見つけて、当たり前に隣の席に腰掛けると何故か友人が肩を震わせた。

「び……っくりした。神田か」
「白田、おはよう。どうしたんだ?」

 目が点とはこういう顔を言うのか。初めて見る白田の表情にこちらまでぎこちなくなる。白田は始め首を傾げていたが、何か思い至ったのか修を頭から足までじろじろ睨んできた。心地悪さが頂点に達する頃、やっと解放される。

「変だなって思ったら、服だ服。系統違くない?」
「あれ、変? これ」

 似合うか似合わないか判断付かなかったものの、提示された時は悪くないと思った。途端恥ずかしさが襲いかかってきて、友人の反応に鞄を二人の間に差し込んで少しでも服を隠そうとする。白田が手を振った。

「違う違う。変っていうのは言い方悪かった、ごめんね。いつもの神田と違和感があって変だな~って思っただけだから。似合ってるよ、俺から見たらそういう服のがアリかも」

 誤解があってはいけない、やや大げさに背中を叩いて白田が褒める。兄から勧められた服だがあくまで家族なので、欲目の無い人間からの評価は純粋に嬉しい。口もとが緩んでしまうのは許してもらおう。

「あり、ありがとう」

 礼を言うのは大げさかもしれないが、修にとっては大事な一歩だ。

「それにしても、こんなガタイ良かったんだ。もったいねー」

 腕を触られながらしみじみ言われ、これで一対一だったところに兄へ分がいってしまった。やはり、持っているものを使わないことは、持っていない人間からしたらもったいないことで、しかし持っている人間が望んでいなかったら意味が無いことでもあった。もったいないかどうかは後で考える。修は白田に聞きたいことがあった。

「そうだ。一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」

 サークルに入っていない大学生は同じ学部で友人を作るしかなく、修はあまり友人が多い方ではない。その中でも珍しく白田は読書が趣味だ。ただし昔の作家は読まないため本について話す機会はさほど無いのだが、先日発売した本が面白かったと教えてくれたことを思い出した。

 きっかけは何であれ、新しいことを取り入れてみたいと思い始めた修は、手始めに一冊読んでみようと白田に聞くことにした。

「前に話してた、最近出た本って」

「あれー!」そこへ、後ろから甲高い声が会話を阻んだ。

 振り向くと、見知った顔の女子がいた。

 同じクラスであるが、名前が宮野璃子だと知っているだけで、記憶が正しければ挨拶以外で話したこともない。わざわざ割って入ってくる程緊急事態とも思えなかった。

「神田修君? だよねぇー。雰囲気違くない? 何かイイね」
「ありがとう、宮野さん」
「璃子って呼んでねぇ」
「分かった、璃子」

 中学は部活に追われ、高校は何となく仲の良い友人以外には遠巻きにされてきたので、女子との付き合いがよく分からない。言われた通りに呼ぶと璃子は喜々として両手を叩き、隣の白田は目を剥いて驚愕した。

「おお……神田、潔いな。璃子ちゃん、俺は?」
「白田君はいいや。ギャップ萌えって言うんだっけ。修君って怖そうなのに喋ると可愛いよね」
「可愛いって言われても、僕男だからなあ……」

 璃子に言葉に付いていかれないものの、恐らく褒められている。複雑な面持ちで返答する修に、璃子がずい、と距離を詰めて言った。

「ね、この講義のレポート全然進まなくって。資料集めるの手伝ってくれない? わたし図書館も行ったことないの」

 図書館とは大学の図書館であろうが、二年生で使ったことがないのは驚きだった。修のように読書が趣味でないにしろ、図書館にある本や資料を使ったレポートや宿題がたびたび出る。今まで彼女はどう乗り越えてきたのだろう。まさか、友人が作成した宿題を写しているわけでもあるまい。大人数の講義は別として、全く同じ作りの提出物を良しとする教授は滅多にいない。

「まあ、付き合うだけならいいけど」
「やった!」

 今日はいつもよりコトの家に行くのが遅くなってしまう。せめて、夕飯までには間に合わせたい。ついでに新しい服も見てもらわなければ。

 散歩の時間以外は家にいるのが常なので、いつ訪問するか知らせたことはない。しかし、金曜日を外したことはなく、コトも待っているのではないかと思えば、遅れても顔だけは出しておきたかった。

 女子が数人固まる席に戻った璃子を目で見送る。白田が耳に手を当ててきた。

「おい、あいつしつこそうだから気を付けろよ」

 親切にも、注意してくれた。

 他人との言葉選びが得意な方ではない修でも分かる程、先ほどの璃子は人によって態度を変えるきらいがあった。

 女は、集団行動を好み、自己を認めてもらいたい、気持ちを共有し合いたい欲求を持つ者が男に比べて比較的多い。好かれたくて、あれこれ話し方や表情を変えてみることもあるのだろう。だが、それも程度の話で、一定の限度を超えてしまえば涙ぐましい努力も悪く作用する。